この女たち、危険(ヤバ)すぎる。

殺人の濡れ衣は自分たちで晴らす!
凄腕(?)スパイ&最強おばあちゃんズ、
破壊と混乱の大捜査



 いやあ、楽しい!
 ──というのは、シリーズ第一作『ワニの町へ来たスパイ』(創元推理文庫)が出たときに雑誌に寄稿した書評の、冒頭の一文である。感想はその一言に尽きる。パワフルなヒロインと、それに輪をかけてパワフルなおばあちゃんコンビが巻き起こす騒動に、腹筋が攣るほど笑った。彼女たちの小気味いい闘いに、日々の生活で溜まった疲れがすっと消えた気がした。
 スイーツやロマンスに特化した甘いコージーミステリもいいが、もう少しパンチが欲しい。ノワールやハードボイルドには痺れるが、やっぱりハッピーエンドじゃなくちゃ嫌。ユーモアは必須だけど、それだけじゃ軽すぎる──そんなワガママな読者に絶対の自信を持って推せるシリーズが登場した、と嬉しくなったものだ。
 イメージとしては、ジャネット・イヴァノヴィッチの「ステファニー・プラム」シリーズや、ジョーン・ヘスの「マゴディ町ローカル事件簿」シリーズ、あるいはコリン・ホルト・ソーヤーの「海の上のカムデン」シリーズなどを思い浮かべていただければいいだろう。愉快で、痛快で、ドキドキさせて、皮肉が効いていて、しゃれてて、笑わせて、少しばかり苦味もあって、ビックリさせて、安心させて、スッキリさせて。「楽しい」という言葉が持つすべての要素が詰まった小説。それが『ワニ町』だった。
 主人公のレディング(通称フォーチュン)はCIAの女性秘密工作員だが、任地で暴れすぎたために命を狙われるようになってしまう。上司が潜伏先として選んだのはルイジアナ州のシンフル。ワニの棲むバイユー(濁った川)が流れる小さな田舎町だ。フォーチュンは、元ミスコン女王で編み物が趣味の図書館司書、という自分とは正反対の人間になりすましてそこに住み、ほとぼりが冷めるのを待つことになった。
 ところが着いた早々、家の裏手で人骨を発見! 町を仕切っているおばあちゃんコンビに振り回されるうちに、なぜか一緒に調査する羽目になってしまう──というのが第一作の粗筋だ。
 プロフェッショナルのはずの工作員が田舎のおばあちゃんズに振り回されるというドタバタでありながら、思わぬ伏線や意外な真相といったミステリの面白さも充分。脇を固めるキャラクターは皆抜群に魅力的だし、スイーツと銃器が違和感なく同居するのもまた楽しい。だが笑いの中に……いや、それは後にしよう。
『ワニの町へ来たスパイ』は2017年12月に邦訳が刊行されるや否や、「何これ面白い!」と多くの読者を虜にした。
 本書『ミスコン女王が殺された』は、その「ワニ町」シリーズ第2弾である。

 物語の始まりは、なんと前作のラストシーンの翌日。フォーチュンがシンフルに来てまだ六日目だ。こんなに忙しないシリーズがかつてあったろうか。
 あの大事件が大立ち回りの末にようやく片付いたその翌朝、未婚を通しているか、夫を亡くして十年以上経つ女性しか入れない婦人会〈シンフル・レディース・ソサエティ〉のアイダ・ベルとガーティがフォーチュンを訪ねてきた。前述した、町を仕切るパワフルおばあちゃんズである。
 彼女たちが言うには、シンフル出身でハリウッドに行った元ミスコン女王、パンジーが帰ってくるらしい。おりしも夏祭りのイベントに子どもミスコンが予定されており、元ミスコン女王という経歴を偽装しているフォーチュンは、マスカラの塗り方すら知らないのに、パンジーと共同で運営に当たることに。ところがこのパンジーが強烈に嫌なヤツで、フォーチュンは公衆の面前で彼女と衝突してしまう。
 その翌日、パンジーが他殺体で発見された。町の人々はフォーチュンを犯人扱いするが、身元を偽って潜伏している身としては逮捕されるわけにはいかない。フォーチュンと婦人会の面々は自分たちで犯人を探し始めるが……。
 というのが本書の導入部。感心したのは、冒頭十ページほどで実に巧みにシリーズの設定や登場人物が紹介されていることだ。前作を未読でも、あるいは忘れていても、すんなり状況を飲み込める。
 だが、できれば前作からお読みいただきたい。なぜなら前作の最後で明かされる、事件の真相とは別のもうひとつの〈意外な真相〉が、本書では最初から前提としてはっきり書かれているからだ。そこが前作の最大のサプライズだったので、あの驚きはぜひとも味わっていただきたいのである。
 さらに、前作の事件についても本書でいろいろと触れられている。さすがに露骨なネタバレは避けているものの、せっかくなので、巻数の少ないうちに第一作からお読みいただくことを推奨する。
 話を戻そう。
 今回もフォーチュンと〈シンフル・レディース・ソサエティ〉は大活躍。ユーモラスな掛け合い、スカっとする啖呵。秘密工作員であるフォーチュンの身体能力を活かしたプロフェッショナルな活躍はもちろんだが、それに勝るとも劣らないおばあちゃんズの頭脳と度胸とアクション(!)も相変わらず絶好調だ。イケメン保安官助手カーターとの距離が縮まりそうな予感にもワクワクさせられる。今後レギュラーメンバーになりそうなコンピュータの天才も登場した。そしてドタバタだけじゃない、手に汗握るクライマックスの危機とミステリの構造にも唸らされること請け合いだ。
 けれど前作にしろ本作にしろ、ただ笑えるだけの物語ではない。このシリーズを読んでいて楽しいのは、根底に流れる〈あなたの人生の肯定〉ゆえである。

 前作は笑いの中に、町の閉鎖性や女性に対する固定観念など、旧習に抵抗するというテーマがあった。女性はこうあるべき、家族はこうあるべきといったカビの生えた古い価値観を、フォーチュンや〈シンフル・レディース・ソサエティ〉の面々が小気味よくぶち壊していく様が、実に清々しかった。
 翻って本書のテーマは、幸せの多様性だ。秘密工作員であるため〈普通の友人〉や〈普通の楽しみ〉を持たなかったフォーチュン。恋愛も未経験で、日々の生活は仕事のみ、ミッションの遂行が最優先だった。そんな彼女がシンフルで、カフェで働くアリーと知り合った。ビールを飲みながらの雑談。他愛もない会話の楽しみ。生まれて初めての、損得勘定なしの同世代の友達。また、雑貨屋のウォルターもフォーチュンに親切だ。「わたしのことを心配してくれる人──頼まれたわけでも、見返りを約束されたわけでもないのに助けようとしてくれる人がいる」ことに、フォーチュンは感動する。早く任務に戻りたいと思っていた彼女が、これまでの生活では得られなかった、別の形の幸せを体験するのである。
 これは、幸せの枠を自分で狭めることはない、というメッセージだ。拒絶していたものや縁のなかったものの中に、意外な幸せを見つけることがある。たとえば仲間のひとりであるマリーは、長年夫の虐待に耐えてきた女性だ。けれど彼女には意外な能力があり、それを発揮することで新しい自分に気づいていく。アイダ・ベルやガーティは未婚のまま年齢を重ねて一人暮らしだし、ウォルターはずっとアイダ・ベルに片想いしているが、それでも皆、幸せそうだ。初登場のコンピュータの天才の生き方も然り。彼らは、世間一般で語られる幸せの形に合っていなくても、その人がその人らしくいられる形に最大限の満足を得ていることを教えてくれる。
 パンジーを始め、本書で他者に対してマウンティングを仕掛けてくる人々は、幸せを他者と比べる相対的なものと捉えている。だがアイダ・ベルもガーティもウォルターも、アリーもカーター保安官助手も、好ましい人たちは皆一様に、自分の心の中に幸せの基準を置いている。
 何が幸せかは、自分で決めていいのだ。他者に煩わされることも、昨日までの自分に囚われることもないのだ。
 そんなメッセージが、愉快で痛快で爽快なこの物語の背骨になっているのである。

 シリーズ三作目となる次の巻では町長選を巡って事件が起きる。となれば、本書を最後までお読みの方にはお分かりの通り、〈シンフル・レディース・ソサエティ〉が巻き込まれていくことになる。
 また、前作・本作と随所でほのめかされているフォーチュンと両親の間に横たわる問題や、カーターとのロマンスの進展など、今後の注目点には事欠かない。いくら笑ってもいいように、どうか腹筋を鍛えてお待ちいただきたい。


【Webミステリーズ!編集部付記】本稿は創元推理文庫『ミスコン女王が殺された』解説の転載です。



大矢博子(おおや・ひろこ)
書評家。ブックナビゲーターとしてラジオ出演や講演、イベント司会、読書会主宰などを中心に活躍中。著書に『脳天気にもホドがある。』(東洋経済新聞社)、『読み出したら止まらない! 女子ミステリー マストリード100』 (日経文芸文庫) 。創元推理文庫ではリーバス&ホフマン『偽りの書簡』、マクラウド『おかしな遺産』、ウォルターズ『養鶏場の殺人/火口箱』などの解説を担当。

(2018年9月13日)




【2009年3月以前の「本の話題」はこちらからご覧ください】

海外ミステリの専門出版社|東京創元社