海外ミステリ出張室

2010.06.07

茂木健/ジョー・ウォルトン『英雄たちの朝 ファージングI』訳者あとがき[2010年6月]

ナチスと講和を結んだ、もうひとつのイギリス――
傑作歴史改変エンターテインメント三部作、開幕。
(10年6月刊 ジョー・ウォルトン『英雄たちの朝 ファージングI』訳者あとがき)

茂木健 takeshi MOGI

【特別寄稿】礒部剛喜「ジョー・ウォルトン『英雄たちの朝』が暴き出す、第二次大戦下の隠された英国史」を読む

 

 本書『英雄たちの朝 ファージングI』は、ウェールズ出身でカナダ在住の女性作家、ジョー・ウォルトンによる歴史改変(オルタード・ヒストリー)小説三部作のパート1であり、この三部作は、第二次世界大戦を闘っていたイギリスとナチス・ドイツが、史実とは大きく異なり1941年の6月にいきなり講和した世界を舞台としている。三部作全体では1960年までをカバーしているのだが、本書にかぎってプロットを整理すると、講和から八年が経過した1949年、イギリス南東部に立つ貴族の邸宅で殺人事件が発生し、それを捜査するスコットランドヤードの敏腕刑事のまえに権力の強大な壁が立ちはだかる、ということになろう。

 第二次大戦がらみの歴史改変小説は無数に書かれてきたし、ウォルトンの三部作もまた、イギリスとナチの講和が結局は戦争を枢軸国側の勝利に導く点で、立派にこのジャンルの仲間入りができると思う。ところが著者ウォルトンは、改変された(または改変されつつある)世界の詳述をあえて避け、極めて限られた範囲のなかで苦闘する個人の行動に焦点を絞った。本書『英雄たちの朝』の舞台は主にハンプシャー州のお屋敷だし、第二部『暗殺のハムレット ファージングII』はロンドンの演劇界を文字どおりの舞台として、IRAテロリストと手を組んだ反政府勢力の陰謀が展開されてゆく。第三部『バッキンガムの光芒 ファージングIII』で描かれるのは、『暗殺のハムレット』から十年が経ちファシスト国家となったイギリスに、真の民主主義を回復させようと努力する人びとの姿だ(三部作全体を通じた主人公が、ピーター・カーマイケル警部補)。
 しかもウォルトンは、三部作のそれぞれをふたつの視点から語り、ナレーターのひとりに若い女性を設定することで舞台をいっそう限定した。本書『英雄たちの朝』の語り手ルーシー・カーンは、特に教養は高くないものの自らの信念に忠実で柔軟な思考力をもった貴族の娘であり、『暗殺のハムレット』では、同じく貴族の娘でいながら演劇の世界に身を投じ、舞台女優として成功しつつある女性が語り手を務める。第三部『バッキンガムの光芒』になると、ファシズムになんの疑問も抱かず育った十八歳のお嬢さんが、カーマイケルに対し権力が仕掛けた大きな罠の餌として利用されてしまう。もちろん、この三名の女性が大所高所から国家や世界を弁じることはなく、彼女たちは、自身の身辺で起きる事件を当惑しながら述べてゆくだけだ。しかし、こうすることでウォルトンは、激変するイギリスをピンポイントから描出することに成功した。世界情勢については、新聞の記事などに仮託した簡単な紹介にとどめている(たとえば、本書の239ページ、「飢えたり虐殺されたりする人間が、スターリングラードと上海に未だ残っていたという事実のほうに、カーマイケルは軽い驚きを感じた」)。このあたり、いわゆる架空戦記とは決定的に異なっているといえよう。

 本書『英雄たちの朝』に戻ろう。先述したとおりのプロットが犯人は誰だ(フーダニット)を軸に展開するため、途中までは誰もが本格ミステリの歴史改変版だなと思うだろう(訳者もそうだった)。ところが読み進めるうち、ウォルトンの狙いがそれだけではないことが明瞭になってくる。要するに本書の眼目は、単なる犯人捜しにとどまらず、本書で起きた殺人事件の結果、世界に冠たる民主国家だったはずのイギリスがどう変質してゆくかを提示することにもあるのだ。
 もちろん歴史改変小説だから、1941年までの歴史は現実世界のとおり進行するわけで、それ以降の展開も同年に至るまでの「史実」に基づいている。この点は、歴史改変モノの王道といえるだろう。そしてこの王道を、ウォルトンは実にていねいに踏襲した。
 ダンケルク撤退、バトル・オブ・ブリテンといった有名な史実が架空世界の物語を推進させてゆくのはもちろん、実在のブランド名や人名、文学作品などが次々に動員され、登場人物たちの地位、階級、性格を強調または示唆するために活用される。しかしながら、日本の読者には馴染みの薄いものも少なくないようだし、そのままスルーしたら著者の意図した効果は得られないのではと危惧して、煩雑になるのを承知で訳注を入れさせていただいた。ついでといってはなんだが、政治史や戦史にかかわる重要事項も、念のため訳注で要点だけをまとめてある。その結果、エンターテインメント小説にあるまじき注の多さとなってしまった(本書だけでなく第二部と第三部も)。もちろん、こんな注を無視して読み進んでも、この三部作の面白さが損なわれることは全然ないと信じる。飽くまでもご参考までにということなのだが、やっぱり目障りだと感じられる方がいらっしゃったら、この場を借りてお詫びしておきたい。
 そう書いておきながら、訳注で触れるには適切でなかった事項に関し、ついでにここで説明しておきたいと考えてしまうのは、調べものを日常とする翻訳屋の宿痾なのだろう。この三部作全体を貫き、後景を淡く彩っている重要なことが少なくともあと二点あるので、もうちょっとおつきあいください。

 この三部作では、上流階級の邸宅に住み込んで働く使用人たちが、魅力的な脇役として活発に動きまわる。特に本書の使用人諸君は、事件の展開や主人公たちの性格形成にまで深くかかわりながら、物語にさらなる奥行きを与えてゆく。たとえば、ルーシーの住込家庭教師(ガヴァネス)だったアビー。経済的に逼迫した中流以上の家庭出身であることが多く、寄宿学校へ入学するまえの上流子弟の教育を家庭内で引き受けるガヴァネスは、しかし「実際のところ女中と同じで、金で雇われた人にすぎない……なまじ『先生』として子供たちに対してある種の威厳を示すことを要求されながら、他方では雇い主とその子に見下されても文句が言えない。その上、他の召使たちからは……反感と嫉妬の的にされる」(小池滋『英国流立身出世と教育』岩波新書)。ルーシーの考え方に多大な影響を与えた彼女は、第三部『バッキンガムの光芒』でも大きな役回りを果たす。
 ガヴァネスを白眼視した普通の使用人たちのほうも、富裕な大貴族の家では家政婦長を頂点として最大八つの職種があったというから(それも女性使用人だけで)、階級社会はこちらにもしっかりと滲透している。ちなみに十九世紀後半、ひとかどの金持ちが雇うべき使用人の数は最低三名とされていた。料理人とハウスメイド、パーラーメイドの三名であり、幼い子どもがいる場合はこれにナースメイドが加わる(Pamelar Horn, The Rise & Fall of the Victorian Servant, Suttonによる)。ファージングの屋敷で働く使用人は全部で十二人(本書54ページ)だから、この子爵家がいかに金持ちだったかうかがい知れるし、ルーシーとデイヴィッドのロンドンの新婚家庭が三人しか雇っていないのは、このふたりの現在の社会的/経済的地位を暗示しているわけだ(本書267ページ)。
 なお、エヴァズリー家の料理人ミセス・スモレットは、ポーランドから逃げてきたユダヤ人難民と設定されている。実際、本書の第十九章にあるルーシー・カーンの説明に違わず、現実世界でもドイツでナチが政権を獲得した1933年以降、大陸ヨーロッパからイギリスへ逃れ使用人となる男女の数は増加の一途をたどった。具体的にいうと、使用人として働くことを雇用主に証明してもらい入国/滞在許可を得たユダヤ人や左翼活動家は、1936年の8449名から二年後には13792名にまで増大している(Horn前掲書による)。このような細部にも、著者ウォルトンは、周到な考証に基づくリアリティを物語に付加しているといえよう。
 かれら使用人たちの生態にも反映され、誰もがすぐにピンとくるであろうもうひとつの重要な要素が、イギリス階級社会の特殊性だ。とりわけ注目すべきは、この三部作の主人公であるピーター・カーマイケル警部補の階級的出自だろう。
 イギリスのジェントルマン(=上流)階級は、世襲の爵位をもつ地主貴族と身分上は平民であるジェントリーから構成されており、ジェントリーのなかでも所有地の少ない地主はスクワイアと呼ばれた。産業革命によって、莫大な資産を得た産業資本家がジェントルマン階級にどっと流れこみ、時期を同じくして大量に生まれた中流階級の人びとは、精一杯背伸びをして上流階級の生活様式や考え方を真似ようとした(この態度が、ヴィクトリア朝イングランドの体裁ばかり気にする倫理観を醸成するひとつの土壌となった)。イングランドの北西部ランカシャーを地盤とするカーマイケル家は、代々わずかな土地を小作させることにより、生計を立ててきたとおぼしい最下層のスクワイアだ(本書99ページ)。それでも彼の父親は、成り上がりの中流階級に負けじと無理をしてジェントルマン階級の旧習にこだわり、ふたりの息子を二流のパブリック・スクールへ入学させた。ところがそのおかげで、カーマイケル本人は、なおのことコンプレックスを抱きながら成長してしまい、貴族でもなければ平民でもない宙ぶらりんの立場を、ことあるごとに思い知らされる。おまけに、彼は優秀な捜査官であると同時にゲイでもあり、結局はこの性的傾向が、やがて彼の運命を大きく狂わせてゆくことになる。ネタバレにならない程度に予告しておくと、第二部『暗殺のハムレット』での彼はヒトラーを憎悪しているにもかかわらずナチのため大手柄を立てて英雄となり、第三部ではイギリスに新設された秘密警察の指揮官に「出世」してゆく。

 著者の紹介が最後になってしまった。先述のとおり、ジョー・ウォルトンはウェールズで1964年に生まれ現在はカナダを拠点とする作家なのだが、この三部作の発表以前はファンタジー小説の書き手として知られていた。とはいうものの、最初のファンタジー作品を上梓したのは2000年秋と比較的最近で、そのまえはロール・プレイング・ゲーム関連の雑誌に執筆していたという。
 2003年に発表した第四作Tooth and Clawがみごと2004年度の世界幻想文学大賞を射止め、翌年には邦訳も出版された。『ドラゴンがいっぱい!』と題された同作(和爾桃子訳、ハヤカワ文庫FT。旧題『アゴールニンズ』早川書房)は、十九世紀までのイギリスを髣髴とさせる国を舞台としているのだが、登場人物は全員が邦題に違わずドラゴンであり、有力な貴族の死を発端に遺産相続問題がこじれたあげく、高貴なドラゴンたちが騒動をくり広げてゆくという内容だ。和爾桃子氏の訳者あとがきによると、ウォルトンはヴィクトリア時代の小説が好きで、特にアンソニー・トロロップを愛読しているらしい。なるほど、十九世紀から二十世紀にかけてのイギリスの歴史、風俗、文化に造詣が深いことは、本書『英雄たちの朝』以下の三部作でも充分にうかがえる。
 現在の時点で、ウォルトンの最新作は2009年2月に発売されたLifelodeとなる。紹介文などを読むかぎり、再び正統的なファンタジーに戻ったようだ。

  2010年4月

(2010年6月)

【特別寄稿】礒部剛喜「ジョー・ウォルトン『英雄たちの朝』が暴き出す、第二次大戦下の隠された英国史」を読む
茂木健(もぎ・たけし)
1959年生まれ。翻訳家。ザッパ+オチオグロッソ『フランク・ザッパ自伝』、アツモン『迷える者へのガイド』、ウィルスン『時間封鎖』『無限記憶』など多数。著書に『バラッドの世界』『フィドルの本』がある。


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