海外ミステリ出張室

2003.06.15

三村美衣/スーザン・プライス『500年のトンネル』解説 [2003年6月]


 時の壁に隔てられた恋人たちを描くタイムトラベル・ロマンスには、切なさがじんわりと心に沁みる名作が多い。たとえばリチャード・マシスン『ある日どこかで』(創元推理文庫)、ロバート・F・ヤング「たんぽぽ娘」(創元SF文庫『年刊SF傑作選2』所収)、ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』(創元推理文庫)、恩田陸『ライオンハート』(新潮社)、ジュード・デヴロー『時のかなたの恋人』(新潮文庫)、佐藤正午『Y』(ハルキ文庫)。両家の確執や身分の違いで引き裂かれる恋は、時代がかっていて現実感がとぼしいし、運命の恋なんて嘘っぽくて気恥ずかしい。ところがここに、時という要素がはいりこんだとたん、ロマンスは理屈の殻を突き破り、もろに涙腺を刺激する。

 本書は英国児童文学ファンタジー界をリードするスーザン・プライスが発表したタイム・トラベル・ファンタジー、The Sterkarm Handshake の全訳である。イングランドとスコットランドの国境地域を舞台に、タイム・トンネルで繋がれた21世紀と16世紀を往還する、恋あり戦いありの波瀾万丈の物語で、児童文学を専門に出版しているスカラスティック社から1998年に刊行され、イギリス児童文学の二大タイトル、カーネギー、ガーディアンの両賞にノミネートされた。カーネギー賞のほうは惜しくも逸したが、J・K・ローリング『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(静山社)、デイヴィッド・アーモンド『肩胛骨は翼のなごり』(創元推理文庫)など、並みいる強豪を押さえ、ガーディアン賞を受賞している。

 ご覧のとおりの大部だし、血腥い殺戮シーンもあり、きわどい会話も交わされる。これでも児童文学かと驚く方もいらっしゃるだろうが、昨今のティーンエイジャー向け書籍では、「大人も楽しめる」ではなく、高度な理解力を要請する、シビアで本格的な小説が発表されているのだ。

 さて、物語はイングランドとスコットランドの境界に近い城塞都市、カーロエルからはじまる。先進的なテクノロジーを誇る企業FUPは、この街で極秘のプロジェクトを進行していた。それは16世紀に向けてタイム・トンネルを開き、500年前の世界に炭鉱や農地、観光施設を建設するという、途方もない計画だった。

 FUPがこの場所を選んだのは、カーロエル周辺から石炭や鉱物が産出されるうえに、16世紀当時はイングランドとスコットランドどちらの国の統治下にもなく、租借交渉も容易と踏んだためだ。ところがいざトンネルが開通してみれば、そこにはスターカームという野盗のような一族が住んでおり、差しむけた調査団を襲撃するし、他氏族とも戦闘を繰り返していて危険きわまりない。このままでは物騒で、観光客どころか開発チームを送りこむことすらできない。すでに莫大な費用をつぎこんでいるのに、空手で引き揚げたのではプロジェクトの存続にさしさわる。困ったFUPは、駆け出しの女性人類学者アンドリアを16世紀に派遣し、彼らと生活をともにさせ、スムーズに交渉を進めようとした。

 21世紀では太めで冴えない女性だと思われていたアンドリアが、16世紀では異界から来た肉感的な美女としてスターカームたちの注目の的になり、一族の跡とり息子でキュートな美少年ピーアから熱烈な求愛を受ける。しかしアンドリアが戸惑いながらも彼の愛を受け入れはじめた矢先、ピーアは他の一族との争いに出陣し、生命にかかわる深傷を負うことに。16世紀にいてはピーアは助からないと考えたアンドリアは、会社の幹部を説得し、ピーアを21世紀の病院へと運んだ。この一件が、やがてとんでもない事態を引き起こすことになるとも知らずに……。

 この後の展開の大胆さもさることながら、なによりも16世紀社会とスターカーム一族――平気で人から物品を奪い、諍いが起きようものなら男も女も関係なく残虐な殺戮行為に走り、その血糊も乾かないうちに、人懐っこく陽気な隣人へと立ち返る――の実在感には圧倒されるばかりだ。

 このスターカームには実はモデルとなった歴史的な一族がある。

 16世紀当時、スコットランドとイングランドの国境地域には、のちにボーダーランド・リーバーズ(国境地域の略奪者たち)と呼ばれることになる無法者たちが割拠していた。彼らは首長を中心に大家族(氏族・クラン)を形成し、羊の放牧と強奪やゆすりを生業としていた。氏族の結束はかたく、それぞれが自分たちの伝統やしきたりにのみ従い、スコットランドの王にもイングランドの王にも決して服従することがなかった。約70もの氏族が乱立し、氏族間の争いが絶えず、押し入りや放火、誘拐が、日常的にまかりとおっていた。1603年、エリザベス女王が没し、遠縁にあたるスコットランド王ジェームズ六世がイングランド国王を兼任。両国間の国境紛争が落ち着くや、国王は国境地域の治安回復に乗り出し、13世紀から400年つづいた無法者たちの歴史は終わりを告げる。氏族の中にはアメリカに移住した者も多く、中には現在まで続く名門の家系も含まれている。

 プライスは、これら氏族の中でも最も悪辣非道だったというアームストロング家をベースに、そのほかの氏族からもさまざまな逸話を借用し、そこにデンマーク訛があるなどといったオリジナルな設定を交えてスターカーム一族を生み出した。

 ところで、21世紀の企業が16世紀に鉱山を開くなんてそんな無茶な、と思う方も多いのではないだろうか。この地域では、のちに炭鉱が開かれ、イギリスの産業革命の基になるわけだが、その石炭や鉱物がすでにこの土地から採掘されてしまっていたらどうなるのか。歴史が変わってタイム・パラドックスが発生するのではないか。しかしご安心を、世界には無数のパラレル・ワールドがあり、タイム・トンネルが繋がっている過去は出発地点である現代と同じ時間軸には存在しない。つまり過去世界から物質を移送しても、現代世界に影響を及ぼすことはないのだ。だが、自分たちには関係のないよその世界だから取り放題というのでは、21世紀の企業体質もスターカーム一族の略奪と大差ない。

 著者について簡単に紹介しておこう。

 スーザン・プライスは1955年、イギリスの内陸部、ブラックカントリーの工業地帯に生まれた。幼いころの愛読書はキプリングの『ジャングル・ブック』や『なぜなぜ物語』、それに『アンデルセン童話集』だったという。のちにアンデルセンの童話がデンマークの昔話を再話したものであることを知り、神話、伝承文学の世界へと傾倒していったという。ベッドの中で、幼い兄弟の求めるままにお話をつくったのが創作のことはじめで、15歳で小説コンテストに応募。16歳のときに書いた The Devil's Piper が認められ、1973年に18歳で作家デビューしたというのだから、新井素子か乙一かという早熟さだ。しかしなかなか筆一本で食べていくというわけにいかず、その後スーパーの店員や皿洗い、博物館のガイドなどさまざまな仕事に従事したという。80年代に入ってからは、歴史と伝承を絡めたファンタジーを発表するようになり、高い評価を受け、念願の専業作家となった。1987年に発表した壮絶なお伽話『ゴースト・ドラム 北の魔法の物語』(ベネッセ)で一躍脚光を浴び、カーネギー賞を受賞。その後も『ゴースト・ドラム』の続編シリーズや『エルフギフト』(ポプラ社)など、神話伝承に材を得たファンタジーを発表している。

 プライスのファンタジーは、金原瑞人氏が「温かいファンタジー・ブームの海にぽかんと浮かぶ巨大な氷山のような作品」(『エルフギフト』訳者あとがき)と語っているように、安全でもてなしのよい、サービス精神満載のものではない。憎悪や愛や力への渇望といった人間の心の奥底に渦巻く暗部や、死を正面から見据え、力強い筆致で幻想世界を描き出す。甘く優しい子供部屋のお伽話も、プライスの手にかかると、寒風吹きすさぶ野や、闇の中で語られた時代の荒々しさと輝きを取り戻すのだ。

 ところが本書は、作中に古い伝承を効果的に取り入れているところは同様ながら、その役割はこれまでの神話的な物語ともまったく異なる。というのも、スターカーム一族は21世紀から来た未来人たちを、妖精郷から来たエルフだと思いこんでいるのだ。彼らにとってエルフは恐ろしい力を持ち、災や恵みをもたらす存在ではあるが、神のように恐れ敬うような相手ではない。金目のものを持ったエルフ調査団一行が来れば、殺しはしないまでも、迷わず襲いかかり、腕時計から下着まで身ぐるみ剥いで放り出す。エルフの世界の食べ物は口にしないといいながら、頭痛を取り去ってくれるアスピリンの魅力に抗しきれない。この幻想と日常の絶妙なバランスは、この時代とこの設定あって初めて成立する面白さだろう。

 なお、著者の公式ホームページ(http://www.susanprice.org.uk/)には、2003年の年頭に本書の続編にあたる A Sterkarm Kiss を脱稿したというニュースが掲載されている。どのような話しなのかは触れられていないが、FUPのページに入ると、ピーアへのインタビューや、 A Sterkarm Kissの冒頭が読める。他にも作品情報や、創作秘話など、なかなか読み応えがある記事が多数掲載されているので、プライス・ファンは必見だ。
(2003年6月15日)


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