海外ミステリ出張室

2010.12.06

近藤麻里子/シャーロット・アームストロング『魔女の館』訳者あとがき[2010年12月]

本書『魔女の館』が日本の読者に紹介されるのは
これで2度目になります。
名手が贈る円熟の長編サスペンス。
(10年12月刊『魔女の館』訳者あとがき[全文])

近藤麻里子 mariko KONDO

 

 本書『魔女の館』が日本の読者に紹介されるのはこれで2度目になります。最初は1996年。ミステリ・映画評論家の瀬戸川猛資さんが設立した出版社トパーズプレスから、「シリーズ百年の物語」の第6作として拙訳で出版されました。そして今回、装いも新たに東京創元社から文庫として世に出ることになったわけです。
 この本が最初にアメリカで出版されたのは1963年。前年にキューバ危機が起きていますから、冷戦もたけなわの頃です。それから約90年後に日本で翻訳出版され、十数年の時を経て再び改訳出版されるという軌跡そのものが、この本の持つ力、読み継がれるべき魅力を証明しているのではないでしょうか。
 トパーズプレスから翻訳のお話をいただき、初めて瀬戸川猛資さんにお会いしたとき、「忘れられた過去の作品の中から面白いものを掘り起こして日本の読者に紹介したい。『百年の物語』というシリーズ名は、百年経っても面白く読める本、という意味なんです」と、駈け出しの翻訳者を相手に目を輝かせて話してくださった瀬戸川さんの生き生きとした表情が、今も強く印象に残っています。
 十数年ぶりに読み返してみて、前は気づかなかった作者の人間描写の深みや温かさに改めて感じ入りました。出番の少ない脇役の一人一人に至るまで疎かにされることがなく、それぞれの人生を生きている一人の人間としての存在感を持っています。特に今回は(自分も年を取ったせいか)大学の学長と商店主の、二人の中年男のぼやきには苦笑を誘われました。孤独の果てに「魔女」となってしまった老婆によせる作者の温かい視線にも共感を覚えます。幅広い年齢層と職業の人物を登場させ、味わいのある人間描写を繰り広げながら、サスペンスとしても間然するところがない。徐々に緊迫感を高め、終盤一気に物語を動かす展開の妙は見事のひとことです。この作品は「サスペンスの女王」と呼ばれた作者の円熟の境地を示す一冊であるのは間違いないでしょう。
 余談になりますが、先頃東京創元社から出版された『風船を売る男』は、「面白そうだから読んでおいて」と瀬戸川さんに渡された原書が底本です。「いつか出したいと思ってるから」と言われて手もとで温めていたあの本が十数年後に本当に世に出たことなど、今は故人となられた瀬戸川さんにご報告したい気持ちでいっぱいです。願わくは、本書が50年後も生き永らえ、「百年の物語」となっていますように。

(2010年12月)

近藤麻里子(こんどう・まりこ)
1961年宮城県生まれ。東京外国語大学卒業。英米文学翻訳家。主な訳書に、ストラウブ『ミスターX』『ヘルファイア・クラブ』、アームストロング『風船を売る男』などがある。


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