海外ミステリ出張室

2010.12.15

小森収/シャーロット・アームストロング『魔女の館』解説[全文](1/2)[2010年12月]

ヒロインが冒険に乗り出し、
ヒロインによって打ち負かされることで、
ポジティヴな勝利をもたらす。
『魔女の館』の美点はそこにあります。
名手が贈る円熟の長編サスペンス。
(10年12月刊『魔女の館』解説[全文])

小森収 osamu KOMORI

 

『魔女の館』は1963年の作品で、シャーロット・アームストロングの中では中期の作品となります。最初に邦訳が出たのは1996年。瀬戸川猛資のトパーズプレスから刊行されていた、〈シリーズ百年の物語〉の一巻でした。この叢書には、のちに創元推理文庫に入ることになる、マーク・マクシェーンの『雨の午後の降霊術』や、デイヴィス・グラッブの『狩人の夜』などが並んでいました。本書もその文庫化ですが、今回、訳者によってさらに手が加えられているようです。
 シャーロット・アームストロングはアメリカの作家で、サスペンス小説家と見られることが多いようです。1956年の『毒薬の小壜』がMWA賞を獲りました。訳者にめぐまれなかった、このころのアームストロングでは、これだけが小笠原豊樹訳だったこともあって、日本でもこれが代表作とされています。
『魔女の館』は、大学講師のオシーが、同じ大学の教授アダムズの不正を嗅ぎつけるところから始まります。ある苦学生が盗んだとされている、大学の高価な備品を、アダムズが隠し持っているのを見つけたのです。自動車で大学を出るアダムズを、オシーも車で追跡します。時は月曜の夕刻。郊外のごみ捨て場でふたりは対決することになります。一方、オシーの妻のアナベル、アダムズと亡妻とのあいだの娘ヴィーが、家人の帰宅の遅れに胸を痛めます。アナベルは警察に連絡しますが、警察の動きは鈍く、大学の学長ドリンクウォーターは、不名誉な騒動に発展しないかという点を危惧するばかりです。ふたりが共産圏のスパイだったという妄想を振りまく口の軽い学生まで登場します。周囲の心配をよそに、アダムズはオシーを殺したと思い込んで姿を消し、大怪我を負ったオシーは、気がつくと近所の一軒家にいます。しかし、その家の主はあたりでは魔女と呼ばれているエキセントリックな老婆でした。彼女は息子を奪われ、どこかに連れ去られたと考えているようですが、あろうことか、オシーをようやく帰って来た息子と思い込み、二度と連れ去られないように、彼を助けたことを誰にも内緒にして、自分だけのものにしようとするのです。怪我で動けないオシーは、満足な治療も与えられないまま、軟禁状態となってしまいます。
 これまでも折にふれて主張してきましたが、サスペンス小説というレッテルは、アームストロングには不似合いだと私は考えています。追跡型のミステリ、もっと言えば、軟派の冒険小説という方が、よほど中身を伝えていると思います。軟派の冒険小説というのは、アンドリュウ・ガーヴを評して、瀬戸川猛資が使った言葉です。具体的に見ていきましょう。
『疑われざる者』(46年)は、社会的な地位も名声もあり、しかし、陰では殺人者である男の正体を暴露するために、共通の友人がその犠牲者となった主人公の男女ふたりが、男の屋敷に潜り込む話でした。『見えない蜘蛛の巣』(48年)は、先妻を謀略によって殺すことで、著名な画家の妻となった女が、忘れ形見の青年をも毒牙にかけようとしていることに、ただひとりだけ気づいたヒロインが、画家の家に招待された機会をとらえて、青年に警告を発し、さらにはふたりでその計略を防ごうとする物語でした。『夢を喰う女』(55年)は、自分の身内である老人に仕掛けられた大がかりな罠と、そのからくりを暴き粉砕する経緯を、主人公の女性が語ります。『毒薬の小壜』(56年)は、毒薬の入ったオリーヴ油の小壜が紛失し、自分に係わりのある誰かが、それを飲むかもしれないと怖れた人々が、連れ立ってその小壜を追跡しました。『サムシング・ブルー』(62年)は、事故死したはずの母親が実際は殺人の被害者で、母親を殺した犯人を、それと知らないままに恋してしまい、彼と結婚しようとする女性を、その男の手から守るために、過去の事件まで遡って真相をつきとめ、結婚を阻止しようとする男女の冒険でした。『始まりはギフトショップ』(67年)は、目前に迫ったあるギャングの死刑を中止させるため、脅迫の材料にと、州知事の父親のご落胤を誘拐しようとする一味を相手に、一家の落ちこぼれの末弟が、事件の鍵となる豚の貯金箱を売った空港のギフトショップの店員の娘とともに、ワールドワイドな貯金箱探索レースを始めました。『風船を売る男』(68年)は、ドラッグ中毒の夫の暴力から、子どもとふたり逃れようとするヒロインが、息子を溺愛する夫の両親が孫の養育権を得るために放った、舌先三寸の山師まがいの男の策略の網を潜り抜けていく話でした。
 こうして見ていくと、アームストロングの小説が、虎穴に入らずんば虎子を得ずとばかりに、あるいは、降りかかる火の粉は払わねばならぬとばかりに、日常生活のただ中から、冒険に乗りだしていく話だとお分かりでしょう。たいていは愛する人を救うために。さらには、主人公が複数であることにも気づきましたか? 例外は『風船を売る男』の孤軍奮闘するヒロインですが、そのことは、またあとで触れます。
 これらの作品を、サスペンス小説のお手本ともいうべき、ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』と比較すると、より分かりやすいかもしれません。『幻の女』は死刑になりそうな親友のために、彼の無実の証人となる幻の女を捜していく話ですが、力点が置かれているのは、女を見ているはずの人間が見ていないと言ったり、探索の過程で次から次へと目撃者たちが死んでいく、そのサスペンスです。意外性の有無とか隠された事実があるという以前に、何がストーリイを駆動させていくかが異なっているのです。翻訳のあるアームストロング作品で、唯一毛色が異なるのは、マリリン・モンローで映画になった『ノックは無用』(50年)です。これは一種のサイコパスを扱っていて、サスペンス小説になっても不思議はありません。しかし、そうはならないのは、狂気をはらんだベビーシッターの被害者となる娘やその家族、あるいはベビーシッターの義兄よりも、その場に居合わせることになった男の右往左往に、小説の力点が置かれているからです。出来上がったものは、他のアームストロングとは一風変わったものであると同時に、サスペンス小説としても異色の、舞台劇でいうドア・コメディを思わせる、オフビートな内容になっていました。



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