「あとに残した解決されぬ疑問の数において、「タイタニック号」に匹敵するものはほかにあるまい」――ウォルター・ロード『タイタニック号の最期』佐藤亮一訳

「表面的には忘れたように見えるかもしれない。でもその記憶はずっと深いところに残っているのよ」――アガサ・クリスティー『スリーピング・マーダー』綾川梓訳


     一

 面白いミステリを読みたくないですか? 寝るのも食べるのももどかしく、ページを繰る手を止められない、そんな経験をしてみたくはないですか?
 YESならば、この本を持って真っ直ぐレジに向かうこと。えっ、まだ内容もよく解らないし、好みの分野かどうかも不明なままで判断できるわけないだろう、って。
 大・丈・夫。なぜなら、本格マニアもハードボイルド・ファンも、冒険小説愛好家もサスペンス小説好きも、そしてもちろん、「ジャンルなんてどうでもいい、とにかく面白きゃいいんだ!」という、ある意味ワガママな読者も、ぜんぶまとめて受け止めて、理屈抜きで愉しませてくれる娯楽小説の切り札、それがこの本『エヴァ・ライカーの記憶』なのだから。
 どうです? 興味がわきましたか? そんなこと言われてもいくら何でも情報が少なすぎ、という声に答える為に、客観的データを提示するとともに、強力な二人の助っ人に登場して貰おう。
 まずはデータから。実は、この作品が紹介されるのは今回が初めてではない。今から約30年前の1979年に文藝春秋から刊行され、その年の「週刊文春傑作ミステリー・ベスト10」で見事第4位に輝いたのだ!
 なんだ4位か、なんて言わないで欲しい。当時は国内と海外の作品を一緒に集計していたのだ。部門が分かれるのは、1983年以降のこと。というわけで、1位の高柳芳夫『プラハからの道化たち』――第25回江戸川乱歩賞受賞作――を除くと、ブライアン・フリーマントル『消されかけた男』(新潮文庫)、メアリ・H・クラーク『誰かが見ている』(新潮文庫)に次ぐ、海外部門第3位。スパイ小説と心理サスペンスの大家の出世作と肩を並べ、グレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』(ハヤカワ文庫NV)(6位)、ジョン・ル・カレ『スクールボーイ閣下』(ハヤカワ文庫NV)(9位)という強力なライバルを抑えて、ベスト3の一角を担ったことからも、当時、いかに評価が高かったかがうかがい知れるだろう。ちなみに、本国アメリカでは、MWA(アメリカ探偵作家クラブ)最優秀処女長篇賞にノミネートされている(受賞作は、ウィリアム・L・デアンドリア『視聴率の殺人』(ハヤカワ・ミステリ文庫)。率直に言って、『エヴァ・ライカーの記憶』よりも、この作品が評価された理由が思い浮かばない)。
 続いては、優れた物語作家であると同時に、本の目利きでもある二人による賛辞を。
 一人は、有栖川有栖。「有栖が語るミステリ100」『有栖の乱読』(メディアファクトリー)所収)の中で彼は、「本格の手法が突如浮上するタイタニックミステリ」と題して、「インタビューを重ねながら探っていく前半はハードボイルドのごとく、回想シーンはパニック小説のごとく、真相の解明が始まると本格ミステリのごとく」と、本書の特長を簡潔に並べ、「謎解きが始まったときの興奮は格別」、と誉めあげている。
 もう一人は、恩田陸。彼女は、「あくまで巻措く能わず、のページターナー」を中心に「とにかく「面白い」全集」を編んでみようというコンセプトに基づいた「架空長編アンソロジー」『小説以外』(新潮社)所収)の収録作候補として本書を挙げ、「タイタニックものでは一番面白い」、と太鼓判を押しているのだ。


     二

 本書『エヴァ・ライカーの記憶』とは、かくも熱く語りたくなる作品なのである。なぜか? 結論から言ってしまうと、魅力的な題材をもとに、強力な〈謎〉を核として大胆かつ緻密にプロットを練り上げ、波瀾万丈な物語を、スピーディーな文体で紡ぎ上げているためだ。
 魅力的なモチーフとは、ずばり〈タイタニック〉沈没事件だ。1912年4月14日に起きた、史上最も有名な海難事故。発生後一世紀近くを経た今なお、この〈悲劇〉は世界中の人々を魅了し、数多くの創作物が生み出されている。
 言わずと知れた、ジェームズ・キャメロン監督、レオナルド・ディカプリオ主演のスペクタクル巨編『タイタニック』(1997)や、ウォルター・ロードの不朽の名作『タイタニック号の最期』(ちくま文庫)をベースにした名画『SOSタイタニック 忘れえぬ夜』(1958)など、映像分野での人気もさることながら、活字メディアのクリエイター、とりわけミステリ作家の創作意欲を刺戟し続けてきた。
 代表的なところを挙げると、クライブ・カッスラーが生んだ海洋冒険小説の金字塔『タイタニックを引き揚げろ』(新潮文庫)、SF界の巨匠アーサー・C・クラークによる近未来テクノロジー小説『グランド・バンクスの幻影』(ハヤカワ文庫SF)、ロバート・J・サーリングの異色海洋サスペンス『タイタニックに何かが』(早川書房)、〈思考機械〉の生みの親ジャック・フットレルが探偵役を務める、マックス・アラン・コリンズの『タイタニック号の殺人』(扶桑社ミステリー)といったところか。これら〈タイタニック〉とがっぷり四つに組んだ作品――本書もこのタイプ――以外にも、ジョン・ディクスン・カーの『曲った蝶番』(創元推理文庫)や、クレイグ・ライスの『第四の郵便配達夫』(創元推理文庫)、若竹七海『海神(ネプチューン)の晩餐』(講談社文庫)のように、この〈大惨事〉を巧みに取り込んだ作品は少なくない。