海外ミステリ出張室

2014.11.05

熱風よ再び!――ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ『赤い右手』訳者あとがき(全文)(1/2)

夏来健次 kenji NATSUKI



 アメリカの大衆小説家ジョエル・タウンズリー・ロジャーズが一九四五年に発表した本作『赤い右手』The Red Right Hand は、一九九七年に国書刊行会から《世界探偵小説全集》第二十四巻(以下、国書版と略記)として邦訳刊行され、今般十七年の歳月を経て創元推理文庫に収録される運びとなった。再刊に臨んでは翻訳を見直し、略地図を新作した(原書に地図はないが、国書版と同様読者の便宜のため添付することにした)。

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 また同版にはミステリー研究家・翻訳家の小林晋氏より精緻な解説を頂戴したが、当文庫版では本稿を以て代えさせていただくこととする。ストーリーの内容にまで深く踏み込んだ小林氏の鋭利な分析は極めて評価が高く、多少とも倣うべきか悩んだが、書き手の非才もあり、この度は敢えて物語の詳細には触れず、作品をめぐる周辺事情のみを述べるに止めることをお断りする。したがって、真相やトリックの勘どころなど、所謂ネタと呼ばれる具体的な点には言及していないので、本文を読む前にここに目を通してもらっても差し支えはない――とは言えるものの、初読の方には願わくは能う限り先入観や予備知識なしで本編を読み始めていただきたい、というのが訳者の希望するところである。
the_red_right_hand.jpg  本書の原著は一九四五年、サイモン&シュスター(Simon & Schuster)社より初刊行された。当初はパルプ小説誌New Detective Magazine の同年三月号に発表された中編小説だったが、単行本化に際して大幅に書き足され長編化された。作者ロジャーズは当時そうした雑誌に幾多の中短編を掲載してきたパルプ作家で、長編版の本作も当然のごとくパルプ・フィクションの範疇にあった。既に読まれた方はおわかりと思うが、実は決して本格ミステリー的な首尾結構を具えたものではなく、むしろサスペンスとかスリラー、あるいは単に犯罪小説と呼んだほうがいい様相を呈した小説である。元々の発表媒体からして、ジャンル的な約束事に囚われたり、まして文学性を論【あげつら】われたりする性質のものではなく、むしろそれらとは逆の方向、即ち、俗受け狙いの煽情性やあざとい表現法によってでも読者を一時的に楽しませられればそれでよしとされる大衆読み物の一つに過ぎなかった。
 しかしそんな極度の通俗性や作為性といった往々にしてネガティヴに捉えられかねない面が、この作品の場合には奇蹟的なほど効果的に作用し、出版直後から評判を呼んで版を重ね、さらにはアメリカ国外で翻訳されて一段と声価を高めるに到った(フランスではミステリー界の大きな賞を獲得した)。

 そしてわが国においては、それより相当の歳月を置きはしたが、冒頭に記した通り《世界探偵小説全集》の一冊として世に問われ、同年(一九九七)末、名にし負う『このミステリーがすごい!'98』において、ミステリー&エンターテインメント・ベストテン海外編の第二位に選ばれる栄誉を得た。スティーヴン・キング『グリーン・マイル』、ミネット・ウォルターズ『鉄の枷』、ジェフリー・ディーヴァー『静寂の叫び』など錚々たる超一流作家の傑作群を抑えての上位入選で、さらには同時期の『週刊文春』のベストテン同年版海外部門でも第五位にランクインした。
 これらの好評は、既にあった国際的な人気からすれば決して偶発事ではなかった――と今にして言えるかもしれないが、しかし訳者にとっては予想だにしなかった快挙で、唖然とするほどの驚きだった。というのは、当時は遺憾ながら個人的には全く未知の作品・作家であり、同全集の企画者である藤原義也氏(現・藤原編集室)からの用命を受けて初めて原文に接したものだったためだ。一読して、(藤原氏には申し訳ないが)あまりの異色さにひるみ、読者に受け入れてもらえるか懐疑的な思いを禁じえない、というのが正直なところだった。それが刊行後には右記のような大きな反響が得られたので、同氏の選択眼にあらためて敬意を懐【いだ】いたのは言うまでもない(尤も氏にとってもそれほどの好結果というのは意外だったようだが)。
 実際この小説をめぐる熱気(とすら感じられた)は相当なもので、それは特に『このミス』で高得点を入れてくださった評者諸氏のコメントに窺われる。当時の空気を呼び戻す意味で一部を引用してみる。

 山口雅也氏――「今年一番楽しめたのが、J・T・ロジャーズ。北村薫、法月綸太郎の両氏から、それぞれ、実に気の利いた表現による愉快な感想を聞いた。つまり、読後にミステリー・ファンがにやにやしながら語り合いたくなるような作品ということ。僕自身は、エド・ウッドやら貸本漫画復刻やらを面白がるような気分で楽しんだ」
 法月綸太郎氏――「どこまでが作者の計算で、どこからが筆の勢いなのか判然としない、八方破れの語り口が結果的に成功を収めた」
 京大推理小説研究会――「意味不明のあおりが読者を期待させ、読後には感動すらおきる」
 福井健太氏――「偏愛の対象。現代でも通用する〈過剰さ〉を備えた恐るべき古典」(註・福井氏のコメントはストリブリング『カリブ諸島の手がかり』と併せてのもの)

 山口氏の大上段に振りかぶらない独特の評言は、そうであるからこそ氏一流の最大限の賛辞と読めるし、法月氏の皮肉めかした感想の言葉は、こうした特異な作品にあっては鋭くツボを押さえた読解と受けとれる。
『赤い右手』がわが国においてこれだけ好意的に迎えられたのは、ちょうど国内外の本格ミステリー復権の機運が高まっている時期だったという〈運のよさ〉があったことは否めないだろう。つまり英米仏の場合以上に、パズラー=謎解き小説としての読まれ方・楽しまれ方を多くされたのが幸いしたことは、高い評価をしてくれた人たちの嗜好の方向性からも明らかであり、またそもそも《世界探偵小説全集》という叢書自体がその方面のニーズを意識したものだったという要因も当然大きかったと思われる。

 さらにこの小説についての話題として避けて通れないのが、世に言う〈バカミス〉という見方をされたことで、以来その道の元祖的作品のひとつにさえ挙げられるようになった。これまた『このミス'98』からの引用になるが、同誌の特集コーナーにおいて『赤い右手』が九七年刊行バカミスの東の横綱格に推され(西の横綱はサミュエル・フラー『脳髄震撼』)、「ややこしい筋立てと、次々とドタバタ起こる大事件。しかも、読者に考える余裕すら与えないストーリー! だが、ヘタな構成とヘタな文章は、なんと作者が読者にムリヤリ仕掛けたスーパー・トリックだった! これが噂の「ヘタミス」なのだ!」という紹介が付された。単なる揶揄ではなく簡にして要を得た惹句だとは思うが、「〈ヘタな文章〉だけ余計だろう」と訳者は独り苦笑した。
 今思えば、前述したように、訳者が当初この小説のあまりの異様さに悲観的だったのは、そうした〈バカミス〉流の読み方・楽しみ方をするだけの度量が足りなかったためなのだ。ミステリー読書術に長けた人々のこうした好反応によって目を開かされたことを白状しなければならない。
 しかし、この作品をめぐるバカミス説――と敢えて言うが――に関しては、実は『このミス』の特集コーナーに先んじて、当の国書版『赤い右手』の解説「探偵小説におけるコペルニクス的転回」の中で、小林晋氏が既にこのように述べていた。
「本書全体を通して、事件の陰惨さに加えて、熱にうなされたような切迫感のある文体が大きな役割を演じている。(中略)作者の企みも、この文体なくしては成立しない」「読者は彼の熱気あふれる文体にドライヴされて、一気に読み切ってしまう。読者に立ち止まって考える余裕を与えないのである」「文体がトリックの一部となっている」
 これらの指摘に牽引されるように、当時この小説について、「熱にうなされた(あるいは熱に浮かされた)文体」といった言い方で評されるのをしばしば見かけた。「毒のある文体」という類似の表現もされた。これらの感想は、言葉こそ違え、〈バカミス〉コーナーの惹句と内実において同ベクトルの観点だと考えられる。先ほど「ヘタな文章は余計だ」と苦笑したと記したが、たしかに、駆け出しだった訳者の未熟さ稚拙さを拭えない訳文が皮肉にも多少の効果に寄与した、ということもないとは言いきれない。しかし早くから本編を始めとするロジャーズの諸作品を原書で読んできた小林氏が感じとっていたように、(言い訳と思われるかもしれないが)文体の特異さはあくまで原著自体に内在するもの、つまり作者ロジャーズの文脈そのものなのであり、拙訳はその影響によって否応なく跡を辿らされているに過ぎない。




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