世界に一枚しかない切手と、
それをめぐる人々の数奇な運命を描く傑作ノンフィクション!

高山祥子 shoko Takayama


世界一高価な切手の物語
 たとえば渋谷の駅前のスクランブル交差点に立っているとする。信号が青に変わった瞬間に四方八方から人々が歩きだす。あっというまに人混みに飲みこまれ、押し流されるようにして交差点の向こう側を目指す。
 そんなとき、ふとあることを思い出したらどうだろう? ずっと探していた好きな作品の初版本を古書店で見つけたとか、ライブで好きなミュージシャンが投げたピックをキャッチしたとか、カプセルトイで集めていたシリーズの人形の、最後の一体をついに引き当てたとか。ここにいる群衆の中で、あの初版本を持っているのは自分だけ、あのミュージシャンのピックが財布に入っているのは自分だけ、机の上にレアなカプセルトイの人形を並べているのは自分だけ―そう考えた瞬間、ちょっと愉快な気分になって、人混みを縫って歩く足取りも軽くなる。
 ばかばかしいなどと言って、笑って片づけてはいけない。本書に描かれているのは、初版本や人形ではなく一枚の切手に大金を注ぎこんだ人々の物語だが、彼らの極端な行為の根っこにあったのは、やはりこんな気持ちだったのではないかと思う。舞台は世界的なオークション・ハウスで、スクランブル交差点とは話のレベルがちがうのだが、そこでものをいうのがコレクターとしての熱い思いであるのは同じだ。彼らを衝き動かした〝コレクター魂〟は、じつはさほど特別なものではなく、多かれ少なかれ誰の心の中にも潜んでいるのかもしれない。

 本書の主人公は一セント・マゼンタと呼ばれる切手と、それに翻弄されたコレクターたちだ。
 一セント・マゼンタは、1856年に当時イギリスの植民地だった英領ギアナ(現在のガイアナ)で、臨時郵便切手として発行された。本国から正式な郵便切手が届かない場合に備えて地元の新聞社で刷られたもので、印刷は粗雑で、発行枚数も定かではない。特別に意識されることなく使い捨てにされ、忘れ去られてしまった。
 ところが17年後の1873年に、切手蒐集に夢中になっていた12歳の少年が、偶然その一枚を発見した。少年はさほど価値のあるものとは思わず、もっといい切手を買う金が欲しくてこの切手を売る。さらにそれを売ろうとした人物によって、南アメリカ北東部に位置するこの小さな植民地からヨーロッパの郵趣家へと送られるのだが、これが一セント・マゼンタの長い旅の始まりだった。たった一セントで発行されたこの切手は、やがて150年後のオークションで、950万ドルという記録的な額で落札されることになる。
 そもそも切手とは、どういうものだったのだろう? 今日わたしたちが暮らす社会では、切手を貼ってポストに入れた郵便物が相手に届くのが当たり前だが、そうした郵便制度が整うまでの道のりは平坦ではなかった。配達経路や料金体系の整備などの紆余曲折を経て、ようやく十九世紀なかばにイギリスで、郵便物に貼って使うキップとして〝郵便切手〟が登場した。本書では意外なほどずさんだった初期の郵便制度とそれが改善されていく経緯も紹介されているが、郵便制度の進歩は近代社会の発展のひとつのバロメーターのようでもあり、とても興味深い。
 やがて切手の普及とともに、切手を趣味の対象とする人々が現われる。図柄や印刷のミスのある切手が見つかって、その稀少性が尊ばれ、切手はコレクターのあいだで実用的な用途以上の価値を持つに至った。
 それにしても、一セントの切手が950万ドルで売買されることになるとは驚きだ。950万ドルは、日本円の約10億円に相当する。一口に10億円といっても、あまりに高額すぎてピンとこない。年末ジャンボ宝くじの一等前後賞を合わせた額なのだが、その全額をそっくりはたいて一枚の切手を購入するだなんて、コレクターと呼ばれる人間のすることは、ちょっと凡人の想像の域を超えている。
 150年のあいだに、一セント・マゼンタは何人かの所有者のもとを渡り歩き、所有者が変わるたびにその価格が上昇した。所有者のなかには投資目的だという者もいたが、小さな紙切れに大金を注ぎこむには、それなりの理由が必要だったはずだ。
 本書には切手にまつわるコレクターならではのエピソードが多数紹介されていて、なかには驚くほど深刻なものや芝居がかったもの、思わず笑ってしまうような奇矯なものもある。切手との向き合い方には、その人間の人となりが反映されているようだ。一セント・マゼンタを手に入れたとき、しまいこんで誰にも見せなかった者もいれば、反対に注目を浴びようとして見せびらかした者もいた。いずれにしても、それぞれがコレクター魂を熱く燃やし、それぞれのやり方で一セント・マゼンタに精一杯の愛情を注いだのだった。
 著者のジェームズ・バロンは、2014年のオークションに向けた準備期間中に、競売人のレッデンを通して一セント・マゼンタと出会った。このときバロンは、切手の世界について特別な知識を持ってはいなかった。〝けっして見栄えのよくないちっぽけな切手を、なぜ大金を出してまで自分のものにしたいのだろう?〟誰もが抱くはずの素朴な疑問の答えを求めて、彼はこの切手の来歴や関係者について丁寧な取材を重ねていく。そうして出会った人々の切手をめぐる歓びや葛藤をまとめたものが、2017年に発表された本書『世界一高価な切手の物語―なぜ一セントの切手は950万ドルになったのか』だ。バロンが見出した答えとは? 一セント・マゼンタほどのレベルのオークションになると、自由に使える大金を持っていることが大前提になるが、それにしてもコレクターとはどんな人々で、そのコレクター魂を刺激するいちばん大きな要因とは、いったいなんだったのか―?

 ジェームズ・バロンはアメリカ生まれのジャーナリスト。プリンストン大学在学中から〈ニューヨーク・タイムズ〉の特約記者として活動し、現在は同紙の首都圏版の記者として、新聞およびウェブ版に記事やコラムを寄稿している。本書のほかに、技術と芸術の融合であるグランドピアノの魅力に迫る『スタインウェイができるまで―あるピアノの伝記』(2009年、青土社)という著書があり、また、〈ニューヨーク・タイムズ〉の記事によってニューヨークという街の変遷を紹介したThe New York Times Book of New York: 549 Stories of the People, the Events, and the Life of the City — Past and Presentの編者でもある。
 バロンを切手の世界に導いたデイヴィッド・レッデンは、美術品のオークション・ハウスである〈サザビーズ〉のオークショニアで、同社の副会長も務めていた。一セント・マゼンタ以外にも、独立宣言の初版やマグナカルタの写本、ティラノサウルス・レックスの骨格、アインシュタインによる特別相対性理論についての手書きの草稿など、さまざまな品物のオークションを手掛けて世間の注目を集めたが、2016年に引退した。
 幅広い品物を扱うオークショニアという存在は、ジャーナリストであるバロンにとっては話題の宝庫であったにちがいない。2014年に偶然カクテル・パーティーで会ったときもその期待は裏切られず、レッデンはバロンを切手の世界へと導いた。
 手にした者の心を蝕む『指輪物語』の指輪ではないが、一セント・マゼンタもまた、関わりを持った人物の人生に少なからぬ影響を及ぼすらしい。著者のバロンは所有こそしなかったが、取材を進めるうちにやはりこの切手の虜になり、切手コレクターの世界にのめりこむことになった。本書ではその奥深い不可思議な魅力が、たっぷりと紹介されている。
 そう、ようこそ切手の世界、コレクターの世界へ。

 最後に、本書の訳出にあたってさまざまな形で力を貸してくださった皆さま、東京創元社編集部の皆さまに、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 2018年6月

(2018年7月16日)



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