今月の本の話題

2018.08.28

マクドナルド『動く標的』、ヴァン・ダイン『カナリア殺人事件』、原尞『そして夜は甦る』…「ミステリーズ!89号」(2018年6月号)書評 大川正人[新訳・復刊]その1

 いつものように翻訳から、ロス・マクドナルド『動く標的』(田口俊樹訳 創元推理文庫1000円+税)は私立探偵リュー・アーチャーの長篇初登場作です。

 ロサンゼルスの私立探偵・アーチャーに依頼が舞い込みます。依頼人は富豪の後妻で、その富豪が空港でみずから行方をくらましたというのです。最初は単純な失踪人探しかと思われましたが、現金を用意するよう指示する手紙が富豪の筆跡で届いたことで、誘拐事件が疑われて……。

 リュー・アーチャー登場作は、中期の代表作『さむけ』『ウィチャリー家の女』以降にあらわれる特徴的な家族・家庭の悲劇で知られます。初登場の本作ではまだ、チャンドラーのフィリップ・マーロウものを模写したような印象で、筋も定番といってよいものです。それでも富豪の娘の扱いを後の作風の萌芽(ほうが)とみることもできるでしょうし、代表作のみ読んでいる方にはこの60年ぶりの新訳版をシリーズを通読するきっかけにしていただきたいです。

 S・S・ヴァン・ダイン『カナリア殺人事件』(日暮雅通訳 創元推理文庫 900円+税)は名探偵ファイロ・ヴァンスのシリーズ第2長篇です。

 華やかな男性関係のスキャンダルで知られた元女優のマーガレットは、レビューの踊り子での当たり役から「カナリア」の渾名(あだな)で呼ばれていました。そのカナリアが密室状態の自室で絞殺されているのが見つかり、ヴァンスはマーカム地方検事とともに事件の捜査にあたることに……。

 解決篇の「容疑者にポーカーの勝負をさせて犯人を推理する」という趣向で知られる作です。注目すべきは冒頭「雪の足跡」をめぐって、ヴァンスとマーカムが状況証拠から推理をすすめることの是非を議論する場面です。つまり手がかりに基づく論理的な推論で事件を解決しようとするときは、偽の手がかりや証言の錯誤による誤答への到達を懸念しなければいけないと宣言しているのです。この立場の表明が「ポーカー勝負」による解決篇を創作上の必然としているわけですね。この点を踏まえると印象が変わるのではないでしょうか。

 国内のほうでまず目をひくのは原尞(りょう)『そして夜は甦(よみがえ)る』(早川書房 1800円+税)のハヤカワ・ミステリ版、通称ポケミス版での復刊です。

 私立探偵・澤崎の事務所をある男が訪ね、ルポ・ライターの佐伯が澤崎を訪ねてきたかを確認してきます。前後して、その佐伯の妻から捜索依頼が舞い込みました。澤崎は調査するなかで男性の射殺死体を見つけます。男は警察手帳を持っていて……。

 直木賞受賞作『私を殺した少女』を代表作とする私立探偵・沢崎のシリーズ第1作で、初刊本からの刊行30周年を記念し、また14年ぶりの新作『それまでの明日』の刊行にあわせて、久しぶりにハヤカワ・ミステリに日本人作家の作品がおさめられることになりました。

 もともと本作は早川書房へ持ち込むにあたってポケミスの字組にならって書かれていたといいます。本書に書き下ろされたあとがきで、思い入れたっぷりにポケミス版収録への喜びが語られています。主人公・沢崎の表記が正字の「澤」にあらためられたのをはじめ細かな改稿もあって、記念出版のコレクターズ・アイテムにとどまらず、再読したくなる一冊だと思います。

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■■大川正人(おおかわ・まさひと)
ミステリ研究家。1975年静岡県生まれ。東京工業大学大学院修了。共著書に『本格ミステリ・フラッシュバック』がある。

(2018年8月28日)



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