まずは翻訳から、ピエール・スヴェストル&マルセル・アラン『ファントマ』(赤塚敬子訳 風濤社(ふうとうしゃ) 2500円+税)はフランスの人気大衆小説シリーズ長篇第一作の新訳・完訳です。

 神出鬼没で変装の名人である怪人ファントマが世間の噂になっていました。パリ警視庁の敏腕警部ジューヴは、予審判事らがその存在を疑うのをよそに、綿密ながら大胆な手口の凶悪犯罪が続く裏にファントマの存在を確信します。しかしジューヴの懸命の捜査も空(むな)しく、奇怪な殺人事件や盗難事件がなおも続いて……。

 最後に紹介されたハヤカワ文庫NV版からおよそ40年ぶりの新訳版刊行です。これまでの邦訳はダイジェストされた底本をさらに抄訳したものだったので、2段組の大著であるこの完訳版の分量には驚かれる方も多いのではないでしょうか。

 フランスの怪盗というと日本ではルパンが馴染(なじ)みがありますが、ルパンが義賊のように受け取られるのと比べると、ファントマは罪無き人を残酷に殺すのも躊躇(ためら)わない悪漢です。乱歩の通俗長篇の怪人たちや久生十蘭『魔都』に直接的な影響を与えたファントマが、現代の読者に新たに供されるというのは意義深いですね。完訳版の訳出が続くかというとなかなか難しいのでしょうが、解説をみると未訳長篇の荒唐無稽(こうとうむけい)な内容には心躍りますし、なんとか紹介が続いてほしいものだと思います。またファントマと似た位置にあるレオン・サジイの『ジゴマ』も再紹介の機会があるとよいのですけれど。

 今年から刊行がはじまったジュール・ヴェルヌの新たな選集より『ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションⅣ 蒸気で動く家』(荒原邦博・三枝大修訳 インスクリプト 5200円+税)はミステリ読みにも見どころの多い作品ではないでしょうか。過去の集英社やパシフィカの選集からは漏れていた冒険小説で、明治期に抄訳での紹介はありますが完訳ははじめてになります。

 インド大反乱の収束からしばらくののち、マンロー大佐は友人たちと北インド横断旅行の計画をたてていました。巨象を模した鋼鉄の蒸気自動車で建物を引っ張る「蒸気で動く家」による旅です。しかし大佐の冒険の旅の裏で、かつての反乱の首領格ナーナー・サーヒブが新たな動きをみせているのでした。マンローとナーナーは、戦いのなかで互いの妻を死に至らしめたという因縁(いんねん)の間柄で……。

 豊富な挿絵(さしえ)が復刻されていることもあって、蒸気を噴き上げる巨象型自動車がヒマラヤの森林を闊歩(かっぽ)するビジュアルが圧倒的です。並行して語られるナーナーの暗躍がどう交わっていくのかというところで、面白い展開をみせてくれます。また解説でふれられる『八十日間世界一周』でのインド横断のくだりとの関連性には目を開かれる思いがありますね。

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■大川正人(おおかわ・まさひと)
ミステリ研究家。1975年静岡県生まれ。東京工業大学大学院修了。共著書に『本格ミステリ・フラッシュバック』がある。

(2017年11月27日)



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