今月の本の話題

2017.05.30

山中峯太郎訳著『名探偵ホームズ全集 第1巻』、ベントリー『トレント最後の事件』、フレッチャー『ミドル・テンプルの殺人』…「ミステリーズ!82号」(2017年4月号)書評 大川正人[新訳・復刊]その1

 翻訳のほうでは、コナン・ドイル原作『名探偵ホームズ全集 第1巻』(作品社 6800円+税)の復刊企画が目をひきます。かつてポプラ社から〈世界名作探偵文庫〉〈名探偵ホームズ全集〉といった叢書で児童向けに出た訳書は、戦前から多くの少年向け冒険小説を書いた作家・山中峯太郎(やまなかみねたろう)による大胆な翻案がなされていました。山中の訳業がパブリックドメインとなったのを機に、ポプラ社版の全20巻を作品内時系列順の全3巻本にまとめ直すものです。小さい頃に学校の図書室で山中版を読んだご記憶がある方にはたまらない企画ではないでしょうか。

 いまでは児童向けのレーベルでも原書に忠実な翻訳をするのが一般的ですが、かつては子どもにわかりやすく翻案する、内容の改変をともなうリライトが文化としてありました。翻訳に限らず、江戸川乱歩や横溝正史の児童書版でも代作者によるリライトがおこなわれています。翻訳のリライトが次第に避けられるようになる当時の事情は、宮田昇『新編戦後翻訳風雲録』(みすず書房)などから窺(うかが)い知ることができますが、山中版ホームズも例に漏れず版は途絶えてしまいます。

 それを今回まとめ直すにあたって興味深いのは、ホームズと山中の研究者である平山雄一が細かな註釈を加えていることです。リライトのあら探しというのではなく、山中がどういう意図を持って翻案・加筆したかをホームズ研究者の視点から読み解こうという註で、これだけでひとつの読み物としても楽しめるでしょう。山中はエドガー・アラン・ポオでもかなり大胆な翻案を手がけていますから、こちらもどこかで紹介の機会があれば嬉しいのですが。

 E・C・ベントリー『トレント最後の事件』(大久保康雄訳 創元推理文庫 1000円+税)は本格ミステリ黄金時代の幕開けの里程標(りていひょう)とされる名作です。

 大物実業家のマンダースンが射殺される事件が起き、名探偵フィリップ・トレントに調査依頼がされました。トレントは事件の捜査をすすめ、ある真相に辿り着きますが、マンダースンの未亡人に心ひかれてしまったことから、口を閉ざさざるをえなくなってしまい……。

 ある種の名探偵の敗北を長篇の主題としてえがき、超人的な名探偵が事件を解決する「シャーロック・ホームズとそのライヴァルたち」の時代から、多種多様な謎解きが繰り広げられる黄金時代へとすすむ契機となった作です。言い換えれば「論理的に謎が解かれるならば何をしてもいい」ということで、ノックスやバークリー、レオ・ブルースのような曲者(くせもの)の諸作もこの基盤の上に成り立っているといって過言ではないでしょう。

 これと併せて読んでいただきたいのが、J・S・フレッチャー『ミドル・テンプルの殺人』(友田葉子訳 論創社 2200円+税)です。55年ぶりの新訳で、奇しくも前の訳は東都書房世界推理小説大系で『トレント~』と併録され、同時期の重要な作と位置づけられています。

〈ウォッチマン〉紙の新聞記者スパルゴは、夜明けの仕事帰りにミドル・テンプル近くで殺人事件に出くわします。特ダネにつながる偶然かと、 スパルゴは取材を通じて犯人を見つけようとします。被害者の身辺を調べると次々と意外な事実がうかび……。

 フレッチャーの作は名探偵ではない普通の人物が足でかせいだ推理で事件を解決するタイプの小説の先駆けだといわれます。代表作の本書は巻頭からスピーディな展開が二転三転し、各章の最後に何かしらサプライズを設ける巧(うま)さもあって頁を捲(めく)る手が止まりません。とはいえこれがクロフツのような作の先駆けかというとそうでもなくて、謎解きの要素はほとんどありません。同時代であればエドガー・ウォーレス、後継者を探せばジョン・クリーシーの作が近いものでしょうか。ただパズラーに偏(かたよ)りがちな復刊企画のなか、こういう作品ももう少し紹介されてもよいのではないかと思わせる、 読んで楽しい一冊です。

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■大川正人(おおかわ・まさひと)
ミステリ研究家。1975年静岡県生まれ。東京工業大学大学院修了。共著書に『本格ミステリ・フラッシュバック』がある。

(2017年5月30日)



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