今月の本の話題Science Fiction

2017.11.20

市田泉/ソフィア・サマター『図書館島』訳者あとがき(全文)[2017年11月]

多感な十代の時期に、
〝文字〞と〝異国の物語〞を合わせて与えられたら、
その衝撃と影響は計り知れないのではないだろうか。

市田泉 Izumi ICHIDA


 突然だが、塩漬けライムをご存じだろうか。『若草物語』の四女エイミーの学校ではやっていたおやつ(?)である。訳者が子供だった昭和四十年代、田舎のスーパーには塩漬けどころか生のライムすら並んでいなくて、手に入る緑の柑橘類といったらスダチくらいだった。本の中に出てきた塩漬けライムは、それってどんなもの? かわいい名前だけどおいしいの? 学校に持っていくって羨ましくない? というさまざまな疑問と憧あこがれをかき立て、頭にくっきりと刻み込まれた。同じ経験をした人は多いらしく、本好きのママ友と塩漬けライムの話で盛り上がったこともあるし、ネットで塩漬けライムとは結局なんぞやと熱く語っている人もよく見かける。外国の本を読んでその国の珍しい風物に憧れる経験というのは、人の心にとって侮り難いほど大きな意味を持つようである。まして多感な十代の時期に、〝文字〞と〝異国の物語〞を合わせて与えられたら、その衝撃と影響は計り知れないのではないだろうか。
 この本の舞台は架空の帝国オロンドリア、主人公のジェヴィックは帝国の南方に位置する紅茶諸島の大農園の跡取り息子である。紅茶諸島には文字が存在しないが、ジェヴィックはオロンドリア人の家庭教師、ルンレからオロンドリア語の読み書きを教わり、詩や物語に親しむようになる。やがて父が亡くなり、農園を引き継ぐころには、文学を通じて知った彼方の国オロンドリアへの憧れは途方もなく大きくなっている。そんなジェヴィックが、ついに交易のためにオロンドリアへ向かうのだが、船上で不治の病の少女と出会ったことにより、思いもよらぬ困難に巻き込まれ、憧れの国の実情を予想以上に深く知るはめになる。それでも彼は書物と言語への愛をどこまでも貫き通し、人生を揺るがすほどの経験を乗り越えていくのである。

 ここでジェヴィックが訪れるオロンドリア帝国について簡単に紹介しておこう。〝帝国〞といっても皇帝が治める国という意味ではなく、ちょうど大英帝国のように、複数の国々を統合した一大国家という意味で、元首は王(オロンドリア語ではテルカン)と呼ばれている。もともとはファイアレイスという中心部だけを版図としていたが、ケステニヤ、ネイン(地図には記されていないが、ケステニヤの北方)、エヴメニといった周辺諸国を征服して勢力を広げてきた。そのため地方により言語はまちまちである。現在のオロンドリアは、北方に住むブログヤーという民族と国境付近で戦争を続けている。建国以来、王家の始祖であるアヴァレイ女神への信仰が盛んだったが、近年では、砂漠で見つかった〈石〉に刻まれた神々の言葉を信奉する宗教が王の庇護を受け、絶大な権力を握っている。

 ジェヴィックはこの、女神の信徒対〈石〉の教団の宗教紛争に巻き込まれるはめになるのだが、その紛争にもまた、言語が深くかかわっている。〈石〉の教団は書かれた言葉を信奉し、理性的な教えを授けることが国民のためになると信じている。女神の信徒は文字で表されぬ精神を重んじ、口伝による教育や物語を大切にしている。こうして本作は、個人の精神と一国のあり方、双方を左右する〝言語の力〞をさまざまな角度から描き出していく。

 そんな物語を執筆した作者、ソフィア・サマターも、ジェヴィックに劣らぬ情熱を言語に対して抱いているようである。詩人でもある彼女の文章は徹底して練り上げられ、そこへ異世界の風物や概念を表す架空の言葉が無数にちりばめられている。サマターがオロンドリア語やキデティ語の語彙や文法をトールキンのエルフ語ほどではないにしろかなり念入りに作り込んでいることは、読み進むうちに自然と伝わってくる。
 余談ながら、独自の言語が頻繁に出てくる本作の翻訳には、ほかの作品とは異なる苦労があった。架空の言葉を地名、人名、その他に分けてExcelで表にまとめ、作中に意味が出てこない場合は推測し(なにしろ原書に用語集のたぐいがついていないのだ。姉妹篇The Winged Historiesの巻末に用語集を見つけ、いくつかのオロンドリア語の意味が判明したときは嬉しかった)、オーディオブックで発音を確かめ……これがかなりの作業量になり、サマターの言語に対する情熱を身に染みて感じることになった。
 苦労話はさておき、本作で架空の言語と同じくらい目を惹くのが引用や作中作の多さである。詩の一節や書物の一部、口伝の神話が本文中に驚くほど豊富に差し挟まれている。インタビューによれば、作者はさまざまな語り口の出てくる話が好きで、『千夜一夜物語』を参考にこのスタイルを選んだのだとかやはりただならぬ言語への愛着ぶりである。これらの引用や作中作たとえば、かつて栄えた城を偲ぶ詩や、英雄の悲恋を描いた物語の背後には、帝国各地の故事や伝承、詩人や作家の経歴といった膨大かつ緻密な設定の存在がうかがわれ、そうした語られざる部分の気配が物語に奥行を与えている。
 文学というフィルターを通すことで、ジェヴィックにとってより深い意味を持つ風景の描写も魅力的である。オロンドリアの首都ベインに初めて降り立ったときの彼は、まさに〝聖地〞を訪れて舞い上がっている状態。書物(や映像作品)に描かれた土地に憧れたことのある者なら、その興奮ぶりに苦笑しつつ共感してしまうに違いない。そんな彼の思い入れを反映して、オロンドリア各地の風景は、空気の色や風のにおいまで伝わってくるように描写されている。にぎやかなベインの町、金色に輝くファイアレイスの秋、寂莫たるケステニヤの高原最初は単純に陶酔していた彼が、絶望や悲哀、郷愁を抱くようになるにつれ、その目に映る景色も深みと陰影を増すように思われる。

 作者のソフィア・サマターは1971年インディアナ州生まれ。父親はソマリ人でイスラム教徒、母親はノースダコタ出身のメノナイト。イリノイ、タンザニア、イングランド、ケンタッキー、ニュージャージーを転々としながら成長し、二十代から三十代にかけては南スーダンとエジプトで英語を教えていた。2013年にアフリカの言語と文学の博士号を取得し、現在はジェイムズ・マディソン大学の英語学准教授としてヴァージニア州で暮らしている。
 第一長篇である『図書館島』の執筆に影響を与えた作家としては、トールキンやル・グウィン、マーヴィン・ピークといったファンタジー作家のほかに、マルセル・プルースト、マルグリット・デュラス、マイケル・オンダーチェ、タイーブ・サーレフらの名前を挙げている。
 2013年にスモール・ビア・プレスから上梓した本書が世界幻想文学大賞と英国幻想文学大賞を受賞、さらにジョン・W・キャンベル新人賞とクロフォード賞も受賞した。また、本書の出版に先駆けて発表した短篇“Selkie Stories Are for Losers”(「セルキー伝説は敗者のもの」未訳)もヒューゴー賞、ネビュラ賞、世界幻想文学大賞、英国SF協会賞の候補となるなど、作家として順調なスタートを切っている。サマターはまた、小説以外に詩も多数発表している。
 現在までに出版された著作は以下の三冊(いずれもスモール・ビア・プレスより)。

  A Stranger in Olondria(2013)本書。
  The Winged Histories(2016)本書の姉妹篇。
  Tender(2017)短篇集。

 2018年2月には、兄弟のデル・サマターとの合作によるチャップブック、Monster Portraitsがローズ・メタル・プレスから刊行される予定。現在執筆しているのは、1880年代に南ロシアから現在のウズベキスタンへ移民したメノナイトの物語で、フィクションと史実の混じり合った作品だという。

 姉妹篇のThe Winged Historiesでは、本作に登場する王子(姉妹篇でようやく名前が判明する)が起こした行動の顚末が四人の女性キャラクターの目を通して描かれる(うち一名は〈石の司祭〉の娘ティアロンである)。本作と併せ読むことでオロンドリア帝国の姿がより鮮明になってくるので、いつかご紹介する機会があることを願っている。
 本書の巻末には、原書にはない用語集がついている。その作成を始め、あらゆる点でお世話になった東京創元社編集部のWI氏に、末筆ながらお礼申し上げる。



■ 市田泉(いちだ・いづみ)
1966 年生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒。英米文学翻訳家。訳書にジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』、キャロル『薪の結婚』、リー『死せる者の書』(以上創元推理文庫)、ジョイス『人生の真実』(創元海外SF叢書)、ヴクサヴィッチ『月の部屋で会いましょう』(岸本佐知子と共訳、創元SF文庫)他多数。




バックナンバー