〈サラファーンの星〉は不老長寿の種族フィーンの聖なる石をめぐる四部作です。サラファーンの星と呼ばれるその石を、人間の王子ダイロスが奪ったことで世界の均衡が崩れて戦争が始まりますが、第三部となる本書では、ダイロスの迷宮の地下牢に捕らわれた盗賊ジョーがサラファーンの星の秘密を知り、物語の鍵となる重要な使命を託されることになります。

 第一部『星の羅針盤』のあとがきで、著者の遠藤文子氏はトールキンの『指輪物語』を「運命の本」と書いていますが、それは私にとっても同じです。『指輪物語』のエルフに魅せられて、トールキン自身の専門分野でもあった中世英文学の世界からアイルランドやウェールズなどケルト語圏の神話や民間伝承の世界へと導かれ、最近ではまたトールキン研究へと立ち戻って、気がつけばトールキンはまさにライフワークになっていました。人に「『指輪物語』のどこがそんなに好きなの?」と聞かれると、私は「物語の背景に神話的な世界が広がっているところ」と答えます。神話世界が物語の現在とつながり、一体であるという実感。これは〈サラファーンの星〉シリーズ、特に本書『盗賊と星の雫』から強く伝わってくる感覚でもあるのです。
『指輪物語』においては、たとえば第二部『二つの塔』で、ホビットたちが指輪を火の山に投げ入れ破壊しに行く旅の途上、自分たちも神話の時代から続いている同じ話の中にいるのだと気づく場面があります。エルフのガラドリエルに贈られた星の玻璃瓶は、天空の星となったシルマリルの光(エアレンディルの光)を集めたものですが、このシルマリルは上古の昔、人間のベレンがエルフの王女ルーシエンとともに冥王モルゴスから奪還したものでした。ホビットたちは、めぐりめぐって自分たちはベレンの冒険を引き継いでいるのだと気づくわけです。物語の「今」が、時の深淵を超え神話時代とつながっているという事実――これはエルフという不死の種族の存在自体がその証となっているだけでなく、物語全編にちりばめられた詩の数々によっても伝えられています。

〈サラファーンの星〉にも、私が愛してやまないこうした神話との一体感が脈々と息づいています。ただしトールキンとはまた違った、独自の表現と描き方によって、徐々に神話世界が姿を現してくるのです。第三部となる本書『盗賊と星の雫』では、第一部・第二部で断片的に、しばしば夢という形で立ち現れた神話時代の出来事や、それらと現在をつなぐ鍵の数々が、まるでパズルのピースが次々とはまっていくようにつながり合って、絵の完成に向けて期待が高まります。〈サラファーンの星〉のシリーズでは一貫して、森や湖、遺跡など、物語の現在を生きる登場人物たちと関係の深いトポスが、幾層にも重なり合う歴史を伝える鍵となっています。あたかもその「場」の持つ波動が登場人物たちに訴えかけ、イメージを結んで眼前に立ち現れるかのように。
 第一巻でリーヴの一家は、故国テスから戦火を逃れてリーヴェインのサンザシ館にやって来ますが、故郷の街サラにあるエルシディ湖は、遙か昔フィーンの故郷ランゲフニー滅亡後に、輝く船で降り立った湖でした。その時フィーンと共にやって来た銀色狼が、リーヴェインの銀の森に住んでいますが、その森は、アトーリスの王子と駆け落ちしたフィーンの王女が娘のルシタナと暮らし、フィーンの世界とサンザシ館の人々の世界とが交わる場となっています。また、サンザシ館がある村には、古代アルディス王国時代の野外劇場があり、戦を起こそうとしたダリオン五世に反対して処刑された古の詩人アローディが、そこで竪琴を奏で歌っていたことが暗示されています。『盗賊と星の雫』では、タイトルにもある盗賊ジョーが、二千年前にはその詩人であったことが、ジョー自身やリーヴの心に浮かぶイメージや夢を通して見えてきます。

〈サラファーンの星〉のシリーズではまた、登場人物たちの間のつながりがさまざまな方法で示唆されています。同じ夢を共有したり、空間の隔たりを超えて声を聞き取り、その声に懐かしさや優しさを感じたり、別々の所にいる彼らが同時に銀色狼の遠吠えの声を耳にしたりして、彼らをつなぐ糸が見えてくるのです。たとえば、黒髪に黒装束のジョーは、英国シャーウッドの森を舞台に活躍した義賊ロビン・フッドのような面影を持つ、隣国の盗賊ですが、実は二十年前リーヴェインから行方不明になった小さなトゥーリーでした。リーヴとジョーのあいだには、時空を超えた魂の交感があります。リーヴはトゥーリーの話を知り、彼が母親のもとに帰ってくるよう祈りますが、その想いや祈りは遙か隣国にいるジョーに届き、一方リーヴの方でも、夢に現れたアローディの歌声に不思議な懐かしさを感じ取るのです。ふたりは前世でも何か特別な絆があるのかもしれません。またジョーとリーヴは(そして「さだめられし者」ルシタナも)、ガリウスによってサラファーンの星から光の剣が造られた瞬間の夢を共有しています。しかし、内気で物静かなリーヴの持つ祈りの力は、前世でのつながりという枠を超え、彼女自身気づかぬうちに、暗闇の中で輝く希望の光となって、ジョーやルシタナの孤独な魂を導くのです。

 さて、ジョーは本書で、ギルデアの地下牢で、かつてはサラファーンの星の守り手だったガリウスと出会います。ランゲフニーを滅亡に導いたレクスダリオンからダリオン五世へと転生し、今世ではギルデア皇帝となったダイロス。彼と運命を共にしてきたガリウスの口からジョーに語られる形で、ランゲフニー、古代アルディス王国、そして現在へとつながる、サラファーンの星にまつわる過去が明かされます。
 この壮大な物語を、時空を超えて軽やかに行き来し、登場人物たちをつなぎ合わせる役割をしているのが、銀色の鬣をもつ狼、瑠璃色の鳥フィーナヴィル、そして黒猫のアイラです。
 大の猫好きの私は、登場人物たちの足もとをすっとかすめるベルベットのような感触の黒猫アイラの活躍に、ことのほか心が躍ります。エメラルドのような瞳を持つこの黒猫は、詩人アローディに守護神のように寄り添い、処刑の瞬間霧のように姿を消しますが、二千年ののち、トゥーリーが行方不明になった時、白樺林から姿を現しました。雪の庭でジョサの足元を歩いていたと思ったらふっと消えて、次の瞬間には頭と背に雪をまとったまま、遠い山岳地帯にいるジョーを見上げているという具合で、瞬時に時空を軽やかに飛び超えてしまう鮮やかさが爽快です。アローディのアイラを読んだ詩に「彼女の故郷は 星々の揺りかご」とありますから、始原の時からフィーンたちと共にいて、果てしない歳月も空間も超えて、世界をつなぐ存在なのでしょう。

 トールキンの『指輪物語』におけるホビットたちが、素朴なユーモアに溢れ、実直で揺るがぬ勇気を持ち、大地に根ざした暮らしの視点を提供しているように、本書でも、愛する家族のためにせっせと料理の腕を振るうスピリをはじめ、愛すべき個性の光る脇役の面々の担う役割も見逃せません。また、おいしく淹れたお茶や、ヨーグルト入りの栗麦粉のカシェルなど、食いしん坊のホビットでなくてもよだれが出そうな料理やお菓子も、作品世界に家庭的な温かい魅力を与えています。ヨハンデリ夫人が息子トゥーリーの無事を祈る気持ちと愛情を込めて焼いた、胡桃と干し杏をたっぷり入れたミンカの、香ばしくほのかに酸っぱい匂いが、遠いギルデアの迷宮の地下牢にいるジョーに届くところは、私のお気に入りのシーンの一つです。
 本書では、ジョーがガリウスから〈星の雫〉を託される一方、アトーリスが開発した〈氷河〉が気候を激変させ、ダイロスの暗黒の力以上に、世界を滅亡の淵へ追いやろうとしています。しかし、サラファーンの星の物語が紡ぎ出すタペストリーからは、この世のすべて、森羅万象は時を超えてつながっている、そして世界を動かすのは一人一人の思いなのだという、静謐な、しかし力強い、希望を湛えたメッセージが、きらめく縦糸・横糸のように浮かび上がってきます。
 最終巻の第四部では、この物語のタペストリーがどのように織りあがるのでしょうか。私の足もとで丸くなっている我が家の二匹の黒猫ともども、心待ちにしています。

(2017年5月9日)



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