今月の本の話題

2018.10.09

大林薫 /ミリアム・ラウィック、フィリップ・ロブジョワ『わたしの町は戦場になった』訳者あとがき

現代の戦争を子どもたちが生きていくとはどういうことなのか
内戦下の日々を曇りなき目で綴った、21世紀版『アンネの日記』

わたしの町は戦場になった
 この『わたしの町は戦場になった――シリア内戦下を生きた少女の四年間』(原題はLe journal de Myriam「ミリアムの日記」)は、シリアに暮らす一少女が書いた日記から生まれた本です。日記の作者ミリアム・ラウィックは、シリア最大の都市アレッポで生まれ育ちました。
 美しい景観で知られる古代都市アレッポは、ユネスコの世界遺産にも登録されていますが、このたびの内戦で壊滅的な被害を受けました。インターネットでは内戦前との比較映像が公開されていますが、その深刻なダメージには戦慄を覚えるほどです。変わり果てた衝撃的な町の姿は、ここでいかに激しい市街戦があったかを物語っています。
 二〇一二年七月、アレッポは当時反体制諸派の中でも最大の勢力を誇っていた自由シリア軍が侵攻したことで戦場と化しました。以降、反体制派と政府軍とのあいだに激しい戦闘が繰り広げられましたが、二〇一六年一二月、最終的に政府軍が勝利を収め、反体制派はアレッポから撤退しました。
 フランス人ジャーナリストのフィリップ・ロブジョワが取材のためにシリア入りしたのは、そんな折のこと。ロブジョワには旧ユーゴスラビアやアフガニスタンなど数々の紛争地帯で取材活動をしてきた経験がありますが、彼にとってシリアははじめての国でした。現地の人々の生の声を拾わなければ、とうていシリアの内戦を理解し、語ることはできない――そんな思いを抱いて、ロブジョワは、アレッポで避難民の支援活動をおこなっているカトリック系組織のマリスト・ブルーを訪ねます。そして、そこでもうすぐ十三才になるというアルメニア系シリア人の少女に出会いました。それがミリアム・ラウィックです。ミリアムは内戦下の暮らしや自分たち家族が経験したことを、日々学習ノートに書きつけていました。そしてまた、アレッポの現実を外の世界に伝えたいとも考えていたのです。その日々の記録について、ロブジョワは一つ一つ質問し、ミリアムからさらに記憶を引き出していきました。その作業を繰り返すことで、日記の内容は厚みを増していきました。
 二〇一七年五月、ロブジョワの尽力によってミリアムの日記がフランスで発売されると、書評サイトには「このようなシリア内部からの貴重な証言を待っていた」「子どもの目がとらえた戦争の衝撃的な証言」「まさに二十一世紀版アンネの日記。アンネと同じく、ミリアムの言葉からは希望を捨てずにたくましく生きようとする強い気持ちが感じられる」などといった賛辞が並びました。
 ミリアムは日記にこんなことを書いています。「大統領に賛成する人と、反対する人がいて、ケンカをしている。ケンカは国じゅうにひろがっている。でも、国営テレビでは、『大統領に反対しているのは、サウジアラビアからお金をもらっている〈イスラムかげきは〉だ』といっている。(中略)チャンネルをかえると、そっちでは、『まるごしでデモ行進をしている人びとに、政府は、銃を向けた』といっている。人によっていうことがちがっていて、もう何がなんだかさっぱりわからない」
 いっぽう、ロブジョワは二〇一七年六月のフランス24(フランスの国際ニュース専門チャンネル)のインタビューで次のように話しています。
「欧米ではメディアもふくめ、内戦の始まった二〇一一年からアサド独裁政権を〈悪〉、それに対峙する自由シリア軍などの反体制派を〈善〉ととらえています。つまり、いまだに〈アラブの春〉の一般的な構図にあてはめようとしているわけです。フランスもアメリカ同様、アサドは退陣すべきと考えていました。しかし、六年経ったいまでもアサド体制は存続しています。大統領の退陣を求める人びとの多くは、自由な暮らしを切に願ってはいても、別に反体制派の登場を待ち望んでいたわけではないのです。これまで理解してこなかった体制支持派の意見に耳を傾けることも考えていました」
 このミリアムとロブジョワの言葉は、〝今世紀最悪の人道危機〟といわれるシリアの惨状が、善悪二元論では説明がつかないことを示唆しています。
 シリア内戦のそもそものきっかけは、二〇一〇年末、中東で発生した〈アラブの春〉と呼ばれる市民による民主化運動でした。チュニジアで起きた体制権力への抗議デモは、すぐにアラブ諸国に広がり、二〇一一年三月にはシリアにも波及します。しかし、シリアで父子二代続くアサド政権はこれに屈しませんでした。政権側が抗議デモに弾圧を加えたことにより、〈反体制派〉は武装して対抗するようになります。そして、激しい暴力の応酬が繰り返され、シリアは内戦状態に突入しました。やがてアサド政権を非難する欧米諸国やトルコなどが〝人道的介入〟と称して反体制派の後押しをするようになります。すると、今度はそれを〝主権侵害〟だとするロシアやイランが政権を支援するように。そのいっぽうで、イスラム過激派の組織がいくつも台頭し、それに対抗して〝テロとの戦い〟を唱える外国の干渉が始まります。こうしてシリア内戦は複雑化・重層化し、泥沼のような状況に陥って、悲劇の道をたどっていくのです。
 ミリアムの日記は二〇一一年六月から始まっています。このとき、ミリアムは七才。日記の最初のほうでは平和な日常の光景が屈託のない言葉で描かれていますが、七月には首都ダマスカスで起きたデモの話題が登場し、以降は日を追うごとにミリアムの身辺に不穏な空気が漂うようになっていく様子がうかがえます。そして、翌年の七月、ミリアムははじめて生の銃声を耳にし、爆弾が炸裂する音におびえます。停電、断水、夜昼となく聞こえてくる銃声。爆撃は激しさを増すばかりです。ミリアムが住むジャバル・サイデ地区の大通りにはバリケードができ、クルド人が見張りに立つようになりました(フランス24によれば、ジャバル・サイデ地区はクルド人が多く住むシャイフ・マクスード地区の別名であるようです)。やがてジャバル・サイデ地区にも反体制派の武装集団がやってきて、ミリアムたちは住み慣れた家を追い出されてしまいます。身内や知人の度重なる死、封鎖による飢餓、バルコニーで拾ったサブマシンガンの薬莢、道路にできた血だまり、迫撃砲やロケット弾、たる爆弾……悲しみや辛苦や恐怖は日常化し、ミリアムの子ども時代は戦争の色に染まっていきます。
 それでも、ミリアムをはじめとする子どもたちは熱心に学校に通います。校舎の近くに爆弾が落とされようが、スナイパーが潜む通りを通学することになろうが、よほどのことがないかぎり、学校では授業がおこなわれ、そしてミリアムは一日も欠かさずに授業に出席しました。ミリアムの母親は、娘から教育を受ける機会が奪われないように心を砕き、また、父親のほうも娘を護って登下校に付き添ったのです。そのことに、わたしは強い衝撃を受け、心打たれました。
〈アラブの春〉以降、一時的に関心を持ったことはあるものの、これまでわたしにとってシリアは遠い国、馴染みのない国でした。そんな折、この本を紹介され読む機会をいただいたことが、シリアへ目を向けるきっかけとなりました。二〇一六年一二月に政府軍が反体制派から奪還したアレッポには、その後数十万人の住民が避難先から戻ってきているそうです。四年半に及ぶ激しい戦闘で疲弊し荒廃した町で、人びとが生活を再建し、日常を取り戻すのはとてもたいへんなことでしょう。それでも、希望を捨てず、そして学びへの情熱を失わずに試練を乗り越えようとしてきたミリアムたちの強さをわたしは信じたいと思います。そしてまた、シリアの人びとがいまなお過酷な現実に置かれていることを黙殺してはならないとも思います。
 最後に、この本を読むきっかけを作っていただき、また、訳出にあたってアドバイスをしてくださった東京創元社編集部の桑野崇氏、校正のみなさまにお礼を申しあげます。

参考資料:青山弘之『シリア情勢――終わらない人道危機』(岩波新書)、現代ビジネス/末近浩太「結局のところ、『シリア内戦』は今どうなっているのか?」、FRANCE24/“Le Journal de Myriam”, la guerre en Syrie à hauteur dʼenfant

(2018年10月9日)



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