今月の本の話題

2018.04.16

選択の早期修正が勝利を掴む 韓鐵均/洪敏和 『石には方向がある』

現代詩人探偵
 能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、緒道変るべからず。(徒然草150段)

 現代語にすると、
 技能や芸能を身に付けようとする人は、「うまくないうちは、うかつに人に知られないようにしよう。内々でよく練習して上手くなってから人前に出たら、たいそう奥ゆかしいだろう」と常に言うようだが、このように言う人は、一芸も身に付くことはない。全く不完全なころから、上手い人の中に交って、けなされ笑われても恥じないで、平然と稽古する人が、天性の才能が無くても、その道に停滞せず、いい加減にしないで年を重ねれば、才能があって稽古をしない者よりは、最終的には名人の境地に至り、長所も伸び、人に認められて、ならびなき名を得る事になる。天下のものの上手といっても、始めはヘタクソの評判もあり、ひどい欠点もあった、しかし、その人がその道の規則・規律を正しく大切にして、いい加減にしなかったので、いつしか世間から認められる権威となって、万人の師となる事は、どんな道でも変わるはずはない。

 囲碁も同じようなもので、最初は馬鹿にされながらも対局を重ねることも大事である。

 迷ってしまって目的の場所にたどり着けない。そんな人を方向音痴と言う。東西南北の認識が出来ないのか、左右の区別がつかないのか、どうしてもたどり着けない。人の場合は愛嬌で済む場合もあるが、こと囲碁の場合となるとは致命的である。最初から勝負に勝てない。

 しかし勝てないから恥ずかしくて対局できないと言うのでは、話にならない。またいつも方向違いの手を打っていて反省しないのも話にならない。対局をこなさなければ、強くなれないのは自明である。石は何手か打つと、形が出来て、ベクトルのように方向が見えてくる。囲碁の指南書とは、その感覚を掴むためにある。兼好法師の頃とは違って、便利である。

 麻雀とかポーカーは、手の内を見せないことでゲームが成り立っている。しかし囲碁は、目の前にすべてが現れている。将棋もそうだが、情報公開型のゲームと言える。その目の前の現実をどう解釈するのか、優勢なのか劣勢なのか、また石の配置をどう考えるのかで打つ手も変わってくる。石の強弱、模様の焦点など、打たれてみればなるほどなのだが、そこに打たれてしまっては、形勢で一歩退くことになる。

 本書でそのポイントを学び、実戦に向かえば、名人とは言えないまでも、強くなることは間違いない。

(2018年4月16日)



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