完全犯罪 加田伶太郎全集
 戦後日本文学を代表する作家・福永武彦が、別名義で発表した本格推理小説を集成、個人文学全集の体裁を模して刊行された『加田伶太郎全集』
 日本推理小説史上に於いて記念碑的一冊に数えられる本書が、この度『完全犯罪 加田伶太郎全集』として創元推理文庫より刊行されます。

 まずは昨年の刊行予告からお待たせしましたこと、読者の皆様にはお詫び申し上げます。本書については、別途紹介記事があるので、そちらをご覧いただけますと幸いです。
『加田伶太郎全集』は、かつて幾度か書籍化されている名作です。本記事では、創元推理文庫版の編集に際しての覚え書き(のようなもの)を書かせていただきます。

○底本について
 福永武彦氏は1979年に逝去されました。既に他界されている著者の著作を新たに刊行するにあたって、先行して複数のエディションが存在する場合、何を底本に選ぶかは重要な作業のひとつです。
 雑誌も含めて最初に世に発表されたものを、または最初に書籍として刊行されたエディションを底本とするか。あるいは、生前最後に刊行されたエディションを底本にするか。より正確な校訂が行われている個人全集を底本とするにしても、生前に刊行されたものと没後に刊行されたものとある場合どちらを選ぶか……名作と呼ばれるものほど複数の文庫版や愛蔵版が刊行されていてエディションも多く、底本選びも慎重になります。
 もちろん元を辿れば同じ作品です。エディションによって内容が大きく異なることはほとんどありませんが、一方で見逃せない異同のある場合があることも事実です。

『完全犯罪』という名前を冠した書籍が加田伶太郎名義で講談社から刊行されたのは1957年、福永武彦名義による『加田伶太郎全集』が最初に桃源社から刊行されたのは70年です。
 その後『加田伶太郎全集』は1974年に新潮社の〈福永武彦全小説〉第5巻に収められ、翌年はじめて同社で文庫化されました。福永氏の没後は、88年に新潮社の〈福永武彦全集〉第5巻に収められたのち、2001年に扶桑社文庫〈昭和ミステリ秘宝〉から、17年には小学館〈P+D BOOKS〉から『加田伶太郎作品集』と改題のうえ刊行されています。

 今回、創元推理文庫版『加田伶太郎全集』を刊行するに際して上記の五つのエディションを参照した過程で、福永武彦氏の生前に刊行されたエディションから著者本人のものと思われる改稿の形跡が見受けられました。
 一例を挙げると、伊丹英典を探偵役に置いた最終作「赤い靴」では、解決編において、被害者のある情報を犯人が知り得た方法について伊丹英典の推測が加筆されています。加筆は10行ほどで、これから推理を展開するにあたっては疎かにできない余詰めとなります。この改稿は新潮社〈福永武彦全小説〉版以後になされたもので、桃源社版と、同エディションを底本にした版には存在しません。福永氏は作品の発表後も細かく改稿をして、推理小説としての完成度を追求されていたのではないでしょうか。
 このように、本作品集を推理小説として鑑賞するにあたって看過できない改稿もあったため、創元推理文庫版では、著者の存命中に刊行された最後のエディションを決定版として、新潮文庫版を底本としました。

〇目次構成について
『加田伶太郎全集』には、エディション毎に収録作品の異同があります。そのなかで、創元推理文庫版『加田伶太郎全集』の底本となる新潮文庫版は、伊丹英典の探偵譚全八編と随筆「素人探偵誕生記」のみを収めた目次構成となっています。ほかのエディションには、それに加えてノンシリーズの掌編(二編)や船田学名義で書かれた未完のSF、または「素人探偵誕生記」以外の随筆が付されていますが、新潮文庫版にはそれらは収録されていません。
 しかし、著者の生前に刊行されたエディションについては、収録の体裁にも著者の意向が汲まれている場合があります。
 ノンシリーズの掌編は伊丹英典の短編と明らかに分量も趣向も異なること、また未完のSFに関してはそもそも船田学名義の作品です。『加田伶太郎』初刊時は単著に収まる機会のなかったこれらの作品が併録されていますが、その後〈福永武彦全小説〉が刊行されたのち新潮文庫版では本格推理小説である伊丹英典の短編に絞った体裁となったのかもしれません。

 この度、新たに創元推理文庫版から『加田伶太郎全集』を刊行するに際して、本文と同様、出来る限り(著者の存命中に刊行された最後のエディションとなる)新潮文庫版の目次構成を決定版としたうえで『完全犯罪』初刊時の序文と、都筑道夫氏・結城昌治氏との鼎談を増補しました。

『完全犯罪 加田伶太郎全集』目次
「完全犯罪」序
完全犯罪
幽霊事件
温室事件
失踪事件
電話事件
眠りの誘惑
湖畔事件
赤い靴
素人探偵誕生記
都筑道夫・福永武彦・結城昌治「『加田伶太郎全集』を語る」(鼎談)
解説 法月綸太郎

『完全犯罪』の序文は、加田伶太郎名義で刊行された同書に、福永武彦氏が“友人”として寄せた体裁となっており、福永氏が「加田伶太郎」に籠めた遊戯精神が窺える文章です。
 また、都筑氏と結城氏との鼎談は、桃源社版『加田伶太郎全集』刊行時に東京出版販売株式会社の〈新刊ニュース〉に掲載されて、福永氏の没後1981年に講談社より刊行された『小説の愉しみ 福永武彦対談集』に収録されました。過去に刊行された「加田伶太郎全集」には併録されていなかった鼎談を、今回特別に収録いたしました。
 そして創元推理文庫版では、推理作家の法月綸太郎先生に新たに解説をご寄稿いただきました。これまで「加田伶太郎全集」は、桃源社版ならびに新潮文庫版の都筑道夫氏、扶桑社文庫版の杉江松恋氏と名解説に恵まれてきました。福永氏と同様、小説家と評論家の両軸で活躍する法月先生にご寄稿いただいた本文庫版の解説は、伊丹英典全短編から英米推理小説の影響を探り、加田伶太郎の諸作が都筑氏の提唱する「モダン・ディテクティブ・ストーリー」へ如何に結実したかを読み解く刺激的な解説となっております。

 福永武彦氏の生誕から100年を迎える本年に、創元推理文庫から新たに甦る『加田伶太郎全集』。日本推理小説史に於ける記念碑的作品集を、この機会にお手に取っていただけますと幸いです。
(T・F)

*脚注
 参考までに、没後刊行された小学館〈P+D BOOKS〉版は奥付の前頁に桃源社版を底本とした旨が記載されております。
 また、扶桑社文庫〈昭和ミステリ秘宝〉版につきましては、私の手元にある第三版(2001年6月)には底本に関する記載がありませんでしたが、先述の「赤い靴」の改稿箇所を比較したところでは、おそらく小学館〈P+D BOOKS〉版と同様、桃源社版が底本となっているようです。

(2018年4月6日)



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