今月の本の話題

2018.04.03

日本推理小説史に於ける記念碑的作品集が甦る。福永武彦『完全犯罪 加田伶太郎全集』

完全犯罪 加田伶太郎全集
 戦後日本文学に偉大な足跡を残す作家・福永武彦。先鋭的な手法を駆使して文学の可能性を拡げ、斯界に特異な地位を築いた彼は、同時に熱心な推理小説愛読家としても知られています。
 福永武彦氏が1958年から〈エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉に連載を始めた読書エッセイ「深夜の散歩」は、あとを引き継いだ中村真一郎「バック・シート」、丸谷才一「マイ・スィン」とともに『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』と題して書籍化され、今なおミステリ評論に於ける名著のひとつに数えられています。
 また、エッセイ「『深夜の散歩』の頃」のなかで「早川書房の『EQMM』が出る前は、古本屋でアメリカ兵の読み捨てた本国版の『EQMM』を見つけて来て暇な時に読むことが、一種の知的な愉しみだった」と書いている福永氏は、A・E・W・メースン『矢の家』の翻訳を自ら手掛けていることからも、その推理小説への造詣の深さが窺えます。

 福永氏の推理小説に対する興味は、評論や翻訳に留まらず創作にまで及びます。
「深夜の散歩」に先駆けて「完全犯罪」という短編小説が1956年〈週刊新潮〉誌上で三号に亘って掲載されました。迷宮入になった奇怪な密室殺人を巡って四人の男が推理を競う同作は、第一作にして自らの推理小説のスタイルを間然なく完成させて傑作と名高い一編です。
「完全犯罪」が発表された後、同作に登場した私立大学の古典文学科助教授・伊丹英典が探偵役を務める推理短編が〈小説新潮〉に掲載されるのに前後して、大岡昇平、三浦朱門といった純文学の領域で活躍する(そして福永氏同様、推理小説愛読家である)ほかの作家たちも推理小説を書き始めます。この流れには、かの江戸川乱歩が編集長を務めた推理小説雑誌〈宝石〉の功績も大きく、同誌では石原慎太郎、梅崎春生、吉行淳之介といった作家たちが推理小説を発表しました(後に福永氏の伊丹英典物の一編も、同誌で発表されることとなります)。
 ところが、福永氏は彼らとはすこし異なるかたちで推理小説を発表していました。「完全犯罪」から始まる諸作は、福永武彦の名義ではなく、覆面作家・加田伶太郎の作品として発表されたのです。

「完全犯罪」発表の翌年、伊丹英典の推理譚五編を収めた作品集『完全犯罪』が講談社から刊行された際も、同書も著者の名前は加田伶太郎となっていて、福永武彦氏は加田伶太郎の“友人”として序文を寄せています。
 その後1970年になって『加田伶太郎全集』が福永武彦名義で桃源社より刊行されます。同書には『完全犯罪』の五編に伊丹英典物の短編三編とノンシリーズの掌編二編、船田学名義のSF(未完)のほか、加田伶太郎誕生の経緯を語る随筆「素人探偵誕生記」(初出は1959年に光文社より刊行された江戸川乱歩、松本清張編『推理小説作法 あなたもきっと書きたくなる』)が収められました。
 福永氏自ら序文で「全集のパロディ」と書いているように、桃源社版『加田伶太郎全集』には月報が付録されていて、国産ハードボイルド小説の先駆者にして名匠と謳われる結城昌治のほか、先に挙がった丸谷才一、三浦朱門らが寄稿しています。更に解説では都筑道夫が、坂口安吾の本格推理小説のなかでも傑作と名高い連作『明治開化 安吾捕物帖』と本書を列して、モダーン・ディテクティブ・ストーリイであると同時に、日本推理小説史上でもユニークな地位をしめる本と讃しました。

 福永武彦氏が推理小説に傾ける遊戯精神は、個人文学全集を模した同書の体裁だけでなく、作品の雰囲気にもよく表れています。例えば「温室事件」という短編のなかで登場人物の一人が、読みかけの洋書の探偵小説を気前よく二つに引き割いて別の人物に渡し、同じところまで読んで犯人当てを競う場面があります。福永氏にとって、推理小説を読むということは大人の愉しみであり、知的遊戯でした。推理小説のみが有する遊戯性と精緻な論理を高い次元で共存させたところに、福永武彦=加田伶太郎の推理短編の偉大なる功績があるといってよいでしょう。
 この度、福永武彦氏の生誕から100年を迎える2018年に「加田伶太郎全集」『完全犯罪 加田伶太郎全集』として創元推理文庫より刊行されます。日本推理小説史に於ける記念碑的作品集を、この機会にお手に取り、推理小説を読む愉しみを存分に堪能してください。

(2018年4月3日)



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