藤田真利子 mariko Fujita


シリアの秘密図書館
 訳者あとがき

 シリア難民が百万の単位であふれ出たとき、わたしが会員になっているアムネスティ・インターナショナルは難民受け入れの世界的キャンペーンを始めた。シリア難民は日本にも来ている。いったいどんな状況でこれほどたくさんの人が故郷を捨てることになったのだろうと関心を持ってニュースを見たりしたが、これがよくわからない。他の国のいろんな内戦では、政府軍と反政府軍、あるいは反政府ゲリラが戦って、一般人が巻き込まれて被害を受け逃げ出すというパターンが多かった。宗教的な争い、民族的な争い、土地を手に入れるための争いで、誰と誰が戦っているかなど、ある程度説明はつけられた。
 だが、シリアではイスラーム国が入って三巴になっているという。さらに、ニュースなどで見る悲惨な映像は、政府軍の攻撃で一般市民が被害にあっているものだし、政府は反政府派をイスラーム原理主義のテロリストと呼んでいる。あの血だらけで抱えられている子どもがテロリストだというのか。そしてロシアとトルコはどういう理由で誰の味方をして誰を攻撃しているのか。
 中東は遠い。地理的にも、意識の上でも。私の中で、シリアの人々はいつまでも顔がないままだった。そんなとき、シリアの封鎖された町で瓦礫の下から掘り出した本で図書館を作った人たちのことを書いた本があるから読んでみませんかという話をいただいた。あの悲惨な爆撃の下で本を読んでいる人たちがいる、しかも瓦礫から掘り出してまで。本の好きな人なら誰しも共感以上の感情を抱くに違いない。また、この本の中ではそのダラヤという町の若者たちの目から見たシリア内戦が語られる。街頭デモで叫んだときの思い、何を求めてデモをしたのか、アサド大統領に対する考え、イスラーム国やジハード主義者に対する感情、国際社会への期待、また銃を取った者は数少ないが、どんな気持ちで初めて銃を手にすることになったのかなど。ダラヤの若者たちは、多面的なシリア内乱のたった一つの面にすぎないのかもしれないが、本書を読んでようやくシリアの人たちの人間的な姿が見えてきたように思う。国際情勢だの国と国の思惑だのしか見えていないと、難民を受け入れようという呼びかけはなかなか届かないかもしれない。
 この本の原題はLes Passeurs de livres de Daraya, Une Bibliothèque secrète en Syrie「ダラヤの本の運び屋たち――シリアの秘密図書館」である。著者のデルフィーヌ・ミヌーイはフィガロ紙に中東のレポートを送っているジャーナリストだ。ミヌーイはある日フェイスブックでダラヤの図書館と題した写真を見て興味を抱き、投稿者を見つけ、スカイプで話をするようになる。二〇一六年八月にダラヤが降伏するまでのほぼ一年にわたって、スカイプでのやり取りを通して、包囲と爆撃のもとで図書館を運営する若者たちの戦いを記録する。
 ダラヤはシリアの首都ダマスカス近郊の町である。二〇一一年、チュニジアとエジプトで政権の崩壊に至った民衆のうねり、いわゆるアラブの春に影響されてシリアでも民主化を求める人々が街頭に出た。シリア政府の反応は苛烈だった。大統領を批判する落書きに対しては拷問で応え、平和的なデモ隊には実弾が浴びせられ、逮捕者が出た。逮捕者は凄惨な暴力の痕をとどめる遺体となって返された。それでもデモを続ける市民に手を焼いた政府は、町全体を牢獄に閉じ込めることにした。ダラヤは封鎖された。シリアでは、同じように封鎖された町が十七あった。そのうちイスラーム国に封鎖された町は二つ、残りすべてを封鎖していたのは政府軍だったという。
 バッシャール・アル゠アサドが政権についたとき、彼は民主的な社会制度の方向性を打ち出し、体制内の腐敗一掃と改革を推し進め、二〇〇〇年から二〇〇一年にかけて国内の民主派の期待を集めた。この時期が本文中にも出てくる〝ダマスカスの春〞である。しかし、イラク戦争のあたりから変質したようだ。一部の権力層が利権を回し合っている社会を変えようとしたそうだが、そもそも彼の父親は元大統領である。権力を世襲していく社会が民主的になるはずもなかろうと、日本の現状を省みながら思う。権力に都合の悪い本は発禁にされ、アサド父子の偉業を書いた本ばかりでは、本書に出てくる本を救った若者たちが革命の前には読書家ではなかったと言っているのもわかる。そもそも、ダラヤには図書館がなかったのだ。
 シリア各地で民主化を求めてデモをして政府と対立状態になった町がいくつもあり、そこでは反体制派の暫定政権として全国評議会ができ、武器を取った人たちは自由シリア軍を名乗った。ダラヤの評議会と自由シリア軍はそれに倣った地方評議会であり、地方部隊の位置付けになるのだろうが、ダラヤには他の町とは違うところがあった。ダラヤには九〇年代から続く平和主義市民運動の伝統があり、シビリアンコントロールを貫いていた。また、自由シリア軍も地元の若者がほとんどで、イラクやアフガニスタンで戦ってきたいわゆる〝イスラームの戦士〞は入り込んでいなかった。
 封鎖されたダラヤには四年間で約六千発の樽爆弾が投下されたという。樽爆弾というのは、国際社会からの制裁で武器を買えなくなったシリア軍が採用した粗製兵器で、ドラム缶のような円筒形の容器に爆薬(TNTやANFO)と金属片などを詰めてヘリコプターから投下するものだ。命中精度が悪く軍事拠点を狙ってピンポイント爆撃などできるものではない。樽爆弾とは住宅地での無差別な殺戮を目的とした非人道的な兵器だといえる。中に詰められた金属片は爆風の範囲を超えて飛散し、被害を拡大する。この本の最後のあたりでは、中にナパームが詰められ、火炎爆弾として使われている。多い日には一日に八十発も降ってくるこの爆弾のせいで、住民は地下で暮らすようになる。家ばかりではなく農地も破壊され、封鎖の中で住民は飢えた。国際社会からの人道支援を待ち望む住民と、届いた支援物資の分配を妨げようと降ってくる樽爆弾。
 この本で語られる若者たちの戦いの中で、政府軍との戦いは一部でしかない。瓦礫から掘り出した本で図書館を作り、彼らは勉強し始めた。自分たちも民主化を要求するんだと、思ったことを口に出せる自由に震えたあとで、飢餓と死に取り囲まれて出口のない状態に追い込まれた。彼らが、自分たちには準備が足りなかったと自覚する部分が印象深い。検閲のある政権下で読書になじみのなかった若者たちは、宗教、政治、歴史、哲学、文学に触れて成長していく。自由とデモクラシーを求める当初の気持ちを維持し続け、ジハード主義者やイスラーム国からの暴力への誘いを撥ねつけるために彼らは戦い、図書館はその砦となった。
 本は成長の糧となっただけではない。恐怖の日常の中で正気を維持するための助けとなり、肉親の死、友人の死、残虐さを見続けて感情が擦り切れた人々が人間らしさを取り戻すための癒しとなった。本を読むと「ここではない別の場所に行くことができる」という。現実逃避と言われても、つらい現実を忘れ優しさを取り戻せるなら、つらい現実に立ち向かう元気を取り戻せるなら、いいことではないか。図書館では映画の上映会もあり、大学のような授業もあり、ワークショップもあり、スカイプを通しての講演会もあった。ときにはゲームもダンスもした。
 この本はルポルタージュではあるが著者は現場に足を運んではいない。封鎖された町には誰も近づけないからだ。だが、外部に開かれた窓が一つだけ残っていた。インターネットである。スカイプとメッセンジャーアプリのワッツアップを利用して、インタビューをして、送ってもらった写真や動画を見る。著者はネットの窓を通して若者たちに寄り添う。あいだを隔てる距離と自分の無力さにもどかしい思いをしながらも、すべてを伝えたいとこの本を書いてくれた著者に感謝したい。私は、最初にいろいろ調べたときにダラヤが降伏したことを知ってしまったので、革命の夢破れた若者たちの末路を目にしている世代としては、あまりに過酷な状況にアフマドたちが暴走しないかと心配でならなかった。しかし、彼らには瓦礫から救い出した本とインターネットがあった。外の世界に開かれていること、知性を投げ捨てないことの重要性を感じさせられる。読書と教育、自由とデモクラシーへの信頼を失わないまま試練を乗り越えたアフマドが、避難先で巡回図書館を始めたことを知って胸が熱くなった。
 二〇一七年の末、イスラーム国のシリア内首都とされていたラッカは解放されたが、イスラーム国、政府、反政府派、クルド人支配地域は地図上でいまだに色分けされ、ロシアとアメリカ、さらにはトルコの思惑がすれ違い、解決の道筋は見えていない。ダマスカスは一見平穏になったようだが、インタビューされる人々は政府への批判と受け取られるのを恐れて自由にものが言えない状態らしい。民主化を求める穏健なグループは脇に追いやられ、存在が忘れられた状態である。しかし、本書に出てくる若者たちは希望を失ってはいない。
 この本に書かれたことは、シリア内乱の一面にすぎない。だから、これを読んでシリア内乱が理解できたとはとうてい言えない。だが、絶望の町で本を救い、本に救われた人々がいることは確かだ。

(2018年2月21日)



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