「入門」という言葉がある。師匠を求めてその弟子となることで、今では古典芸能の世界くらいにしか残っていないかもしれない。昔は様々な職人もそうであったが、師匠の身の回りの世話をしながら、その世界に馴染んでいき、技とか芸とかを身に付けていった。雑巾がけとか庭の掃除がどんなふうに役に立つのか分からないが、ともかくそうやって一人前になっていった。

「日本の弓術」(岩波文庫)は、オイゲン・ヘンゲルという新カント派の学者が阿波師範から「弓道」を教わる話だが、西欧流の合理主義とは違う日本の武道に苦闘し、理解していく様は、禅とかの知識がなくても、感動するものがある。

 閑話休題。
 囲碁には三楽ありという。一つは対局の楽しみであり、同じくらいの棋力の相手と勝ったり負けたりしていると時間を忘れてしまう。特にそれが親しい友人であったりするとこたえられない。それで約束の時間に遅れて顰蹙を買ったりする。二つ目は他人同士の対局を観ながら、批評することである。その手はまずい、こっちへ打った方が良かったとか、そんなところに打つと負けるよと、にぎやかなものである。要は無責任な批評である。俗に「岡目八目」と言われるが、指摘が当たっていることもあるいし、そうでないこともある。そうしてもう一つは、名局と言われるプロの棋譜を並べることである。最初は、一手一手を追いかけるのも大変だが、慣れてくると、その意味を考えながら並べることが出来るようになる。そこで囲碁の奥深さに触れることが出来るようになる。プロは修業時代に先人たちの棋譜を並べて勉強するが、石を持つ人差指の爪が薄くなっている人もいるようだ。

 また「学ぶ」とは、「マネブ」の変化したものだと言われ、教わる通りに本を読んだり、物事を考えたり、技芸を覚えたりすること。つまりマネをすることが学ぶことの原型である。

 本書は、プロの対局の棋譜を掲載し、批評したものである。どの手が悪くて負けたのか、そこでどう打つべきだったのか等、当事者にとっては耳の痛いことであろうが、アマにとっては、格好の教科書である。プロがどんな構想を持って対局しているのか、並べてみて、解説を頼りに考えてみて、上達の端緒を作っては如何だろう。

(2017年7月24日)



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