徒然草の五十二段に、仁和寺の法師の話がある。

 仁和寺の法師が、年取るまで石清水八幡宮に参詣したことがないことを心残りに思っていた。あるとき思いたって出かけた。極楽寺や高良神社に参詣して、思いを遂げたと思って帰ってきてしまった。友人に念願を果たした満足感を語った。実は、みんなぞろぞろと山へ登っていくので、何かあるのだろうと興味はあったが、参詣が主眼だったので、そのままに帰って来てしまったのだ。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」とある。
 こんな簡単なことにも、指導者は必要というわけだ。

 さて、プロ棋士は、対局の後に一手一手を遡って、この局面でどのように読んでいたかを対局相手だけではなく他者も交えて、お互いの読み筋とか構想を語り合う。どこで間違えて負けたのか、或いはどの手が良くて、勝ったのかを徹底的に検討する。これを観想戦という。

 007ではないが、趙治勲と打つと二度負けると言われていた時期がある。対局(勝負)に負けて、おまけに観想戦にも負けるという意味で、それだけ全盛期の趙治勲の読みは正確で深いものだったようだ。何も過去形ではなく、これからも大いに期待できる棋士ではあるが。

 ただそれ以外の場所で、プロ棋士が他のプロ棋士の碁を批評するのは珍しい。棋士にとっては、対局が全てだからである。
 
 イ・チャンホと言えば、世界的な実力者のひとりであり、その彼でも他のプロ棋士の打ち碁を語るというのは、稀なことである。本書は、アマチュア高段者を相手にプロ棋士の布石を俎上に、その構想とか感覚を分かり易く、対話形式で語ったものである。

 布石は、「少しのことではなく」、一局の骨格を決める重要な分野であり、プロ棋士でも悩ましいものである。

 アマチュアにとっては、イ・チャンホという先達に接することが出来る、大変貴重な本である。

(2017年5月29日)



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