2017年4月に刊行される『冬雷』は、因習に縛られた古い町を舞台に、青年が過去の失踪事件の真相を探る長編ミステリです。著者の遠田潤子氏に執筆秘話をメールでお伺いしました。

――まず、本書のテーマを、どのようにして決めましたか?

『嵐が丘』のような物語を書いてみませんか? という御依頼をいただいたのがきっかけです。「館ものミステリ」の要素もあればいいですね、とのことで、そのときは本当に嬉しかったです。『遠田版嵐が丘』が書ける。なんて素晴らしい機会なんだろう、と。
 でも、構想に取りかかると、浮かれていた自分が恥ずかしくなりました。久しぶりに読み返した『嵐が丘』が面白すぎたからです。やっぱり、ヒースクリフとキャサリンが強烈なんです。あんなキャラクターは現代の小説では無理なのはわかっていますが、それでも魅力的です。こりゃ到底太刀打ちできない、としばらく落ち込みました。

 悩んだ挙げ句、結局、開き直って自分の好きなことを描くことにしました。一途な男と一途な女。「館もの」なら「館」に絶対的な価値を持たせよう。たんに「館」を舞台にした恋愛ミステリではなく、人々の価値観の中心に「館」が存在する世界と、その世界で成長する男女を描こうと思いました。

――舞台は日本海沿いの魚ノ宮町(おのみやまち)。冬雷が鳴り、伝説が残る古い町という舞台を設定した理由は?

 本当にただの偶然です。物語の構想を考えているとき、どこだったかは忘れましたが「冬雷」という文字を目にしたんです。その瞬間、館の名前を「冬雷閣」にしようと思いました。「冬雷閣」が生まれると、そのあとの設定はほとんど勝手に決まりました。

――デビュー作の、第21回日本ファンタジーノベル大賞受賞作・『月桃夜』は奄美大島を舞台にしたファンタジーですが、以降はサスペンスやミステリを多く書かれています。本書は失踪事件をめぐるミステリでありつつ、神秘的なモチーフもちりばめられています。書く上で意識し、心がけたことはありますか?

 書く際に、ジャンルを特別に意識することはありません。ファンタジーもミステリもサスペンスも同じ書き方をしています。たんに「謎」のある物語を書いているという感じです。私個人の感じ方ですが、「謎」にどんな衣を着せるかで見た目のジャンルが変わると思っています。一枚だけさらりと着ることもできるし、重ね着をすることもできます。たとえば「ファンタジー」「歴史」「恋愛」の衣を重ねた謎物語が『月桃夜』です。『冬雷』では「恋愛」「成長小説」の上に、思い切って「神秘・幻想」の衣を厚めに着せました。主人公の成長小説でもあり、恋愛小説でもあり、館ミステリでもあり、幻想小説にもなれば、と欲張った次第です。好きなふうに読んでいただけたら嬉しいです。でも、どれも中途半端だと言われたら、そのとおりですね。本当に難しい。

――過酷な運命を背負った主人公が、辛い現実にもがきながらも、前へ進んでいく姿は、遠田作品の真骨頂だと思います。本書の主人公・代助は、どのようにして誕生しましたか?

『嵐が丘』を読み返して頭を抱えました。ヒースクリフというキャラクターが凄まじすぎて、引きずられるんです。彼よりインパクトのある人物を描くのは至難の業です。同じようなタイプを書いても意味がない。だから、正反対の理性的な主人公にして、なおかつ激しい物語を描こうと思いました。代助は真面目で努力家で優等生です。どんな理不尽な運命でも怨みや憎悪に身を滅ぼさず、誠実に生きていこうとします。でも、それはとても難しいことです。どれだけ懸命に真面目に生きても、自分の選択を後悔するのです。

――今回、主人公の代助は鷹匠、ヒロインの真琴は巫女です。彼らがそういう職業になった理由は?

 ごく単純に猛禽類が好きなので、以前から鷹匠を主人公にした話を書きたいと思っていました。今作の「館」という大時代的な設定に見合うのは特別の職業だと思い、念願を叶えることができました。
 金に飽かせて建てられた冬雷閣は「俗」の象徴です。ならば「聖」はわかりやすく寺か神社がいい。ということで、ヒロインは巫女に決定しました。

――ふたり以外にも個性的なキャラクターが多く登場し、濃密な人間ドラマを繰り広げます。彼らについてもお聞かせください

 この物語に悪を行おうとする人間はいません。冬雷閣には冬雷閣の、神社には神社の、町には町の価値観があります。限定された価値観の中では善人であり、奉仕者です。三つの価値観のどれにも入れなかったのが、代助、そして酒屋の龍と愛美兄妹です。この兄妹は影の主人公です。ある意味、きれいごとを並べるだけの代助と真琴の汚い部分を引き受けてくれた恩人です。この兄妹が結果的にしがらみを破壊することになるのですが、本当は代助がするべきことでした。愛美を愚かと断じるのは簡単ですが、彼女が幸せになる方法はなかったのか、とも思います。

――遠田作品の主人公は男性が多いですが、男性と女性、どちらが書きやすいですか?

 男性です。特に、ダメな男性が書きやすいです。自分自身のダメな部分を投影させながらも、違う性であることで適度な距離感を持てるからかもしれません。過去作で言えば、『アンチェルの蝶』の藤太のような男が一番書きやすかったです。

――明かされる事件の真相は悲しいものですが、ラストでは希望も感じます。ドラマティックなカタルシスが描かれるという点で、新境地の作品だと思いますが、書き終えた感想はいかがですか?

 物語の構成が決まらず、とにかく最後まで悩みました。ぐちゃぐちゃの初稿から二転三転し続け……。担当の泉元さんには多大なご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません。
 書き上げて冷静になってみると、自分の書きたいものだけをぶち込んだ話になっていました。リアリティのない設定だらけかもしれませんが、単純に波瀾万丈の物語として楽しんでいただけたら嬉しいです。とりあえず、代助が幸せに向かって一歩踏み出せてよかったと思っています。

――書いていて楽しかったシーンはありますか?

 主人公の子供時代を書くのは楽しかったです。鷹匠修業の部分はもっとページを割いてきちんと描写したかったのですが、物語のバランスが悪くなるので諦めました。いつか、鷹匠がメインの話を書いてみたいと思います。

――反対に、書くのが大変だったシーンはありますか?

 終盤の謎解きです。ミステリでは、探偵が事件の関係者を館の一室に集めて謎の解明をするという場面がよくあります。ですが、一般人が同じようなことを物語の中で違和感なく行うのは、メチャクチャ困難でした。やっぱり不自然だよなあ、でもお約束として見逃してもらえるかなあ、などと悩みました。実を言うと、書き上げた今でも悩んでいます。

――その他、印象的だったシーンはありますか?

 物語の終盤、主人公が海である体験をします。この物語に着手したとき、最初にその部分を書きました。あのシーンを成立させるために、無理矢理に物語を組み立てていったという感じです。あれをどう受け取るかは読者の皆様のご自由ですが、もしかしたら、ミステリには異質な場面だと感じてがっくりくる方もいらっしゃるかもしれません。でも、あのエピソードを含めての『冬雷』の世界なので、ご理解いただけたらと思います。

――また、4月発売号の「ミステリーズ!vol.82」で、「私の一冊」コーナーにご登場いただきました。そこでパトリシア・ハイスミスの『殺意の迷宮』をご紹介いただきましたが、お好きなミステリについてもお聞かせください。

 子供の頃に横溝正史ブームがありました。旧家のドロドロや村の因習といった雰囲気が好きなのは、そのときに刷り込まれたせいだと思います。寂しい田舎道をドライブしていると、不謹慎ですが今でもわくわくします。トリックや犯人捜しにはあまり興味がありません。理不尽な出来事で落ちていく人間を描いた作品が好きです。
 これまで読んだミステリの中で印象に残っているのは、パトリシア・ハイスミス『プードルの身代金』、カトリーヌ・アルレー短編集『21のアルレー』、ジェイムズ・エルロイ『ホワイト・ジャズ』です。

――今後の展望をお聞かせください。

 成功した人間よりも、間違って失敗した人間を描いていきたいです。たとえ惨めで愚かな人生だとしても、否定せずに丁寧にすくい上げて描きたい。安易な救済は失礼だと思えるくらいに真摯に向かい合って、なおかつ面白い物語を書きたいと思います。

――最後に、読者へのメッセージをお願いします。

 デビューから読み続けてくださっている皆様、最近読者になってくださった皆様、とにかくありがとうございます。「重い」「暗い」「くどい」の三拍子揃った疲れる本ばかりですが、これからも懲りずに読んでいただけると嬉しいです。

――本日はありがとうございました。

 好き勝手に偉そうなことを申し上げましたが、大きなことを言ったのは自分を鞭打つためでもあります。こちらこそありがとうございました。


遠田潤子
1966年大阪府生まれ。関西大学卒。2009年『月桃夜』で第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。12年『アンチェルの蝶』で第15回大藪春彦賞候補となる。その他の著書に『鳴いて血を吐く』『雪の鉄樹』『お葬式』『蓮の数式』がある。

(2017年4月20日)



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