誰もが知る名探偵シャーロック・ホームズ――作家アーサー・コナン・ドイルが生み出したキャラクターでありながら、その名は歴史上の偉人たちとも並び称される程と言ってよいでしょう。
 彼がよき理解者であり、同時に冒険の数々を後世に残るかたちで記録したのが、医師ジョン・H・ワトソン。しかし、ホームズの探偵譚には、別の事件のなかで言及されたのみで、ワトソンによっても語られることのなかった事件がいくつも残されています。

 シャーロック・ホームズの“語られざる事件”とは、いったいどのようなものだったのか? そこには、私たちも知らない名探偵ホームズの新たな一面があるのでは? その謎は、現在に至るも読者の想像をかきたて、絶えず惹き付けています。
 同様に、例えば私たちがよく知る歴史上の人物・出来事にも、もしかすると“語られざる事件”があったのかもしれません。それらが教科書に載ったり、先生に教えてもらったりすることはないでしょう。しかし、もしあるとするなら、それはきっと私たちの知らない、歴史に名を刻む人々の新たな一面を浮かびあがらせるのではないでしょうか。
『シャーロック・ホームズたちの冒険』は、歴史の裏で起きていたかもしれない五つの“語られざる事件”を収めた一冊です。 。

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「スマトラの大ネズミ」事件
 好敵手モリアーティ教授との死闘から数年後、「想像力を刺激するような犯罪」がなくなりホームズが日々に退屈さを感じ始めていた頃、突如として首切り殺人が連続して発生する。ロンドンを震撼させて「切り裂きジャックの再来」とも呼ばれる「首狩りジャック」の犯行現場には、「スマトラの大ネズミ」という謎めいたメモが残されていて……。

忠臣蔵の密室
 大石内蔵助が率いる赤穂浪士たちが主君の仇である吉良上野助を討ち取って、かの有名な「忠臣蔵」の基にもなった赤穂事件。その討ちいりのさなか、雪の降り積もる吉良邸では密室殺人が起きていた。敷地内の炭小屋で死体となって発見されたのは吉良上野助、発見者はまさに討つべきつもりでいた赤穂浪士たち。吉良の足跡だけ残された「閉じたる場」で、どのようにして殺人は行われたのか?

名探偵ヒトラー
 悪名高き独裁者・アドルフ・ヒトラーは、実はシャーロキアンだった!? 秘書のマルティン・ボルマンをワトソンに見立て、日々名推理を披露するヒトラー。彼が指揮を下していた「狼の巣」と呼ばれる施設内で、戦局を左右しかねない重大事件が発生する。兵士たちによって監視下にあった閉鎖状況のなか、狂気に満ちた捜査方法で展開されるヒトラーの推理の行方は……。

八雲が来た理由(わけ)
 ろくろ首、のっぺらぼう、耳なし芳一――小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが後に著作『怪談』に纏めた怪奇の数々。松江の中学校に英語教師として赴任してきた彼は、彼の地で自ら体験した不可思議な現象を、合理的に解き明かしていく。

mとd
 アルセーヌ・ルパンの活躍を伝記にして発表していた若手作家の「私」ことモーリス・ルブランは、新作のストックもなくなって困り果てていた。頭を抱える彼の前に、ひさしぶりにルパンが現れる。ルパンはいま、ジュノアール伯爵の持つ秘宝「サン・ラー王のスカラベ」を狙っていると言う。ルパンの目論みは、宿敵ガニマール警部から果てはシャーロック・ホームズまで巻き込んでいく。

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 シャーロック・ホームズとアルセーヌ・ルパン――ミステリ史に名を刻む両巨頭の知られざる冒険譚から、歴史の裏で起きていたかもしれない事件まで――本書では、在非在の著名人たちが名探偵となって驚きの競演を果たしています。
ミステリ界の異才・田中啓文が虚実を織り交ぜ纏めあげた奇想天外な本格ミステリ短編集、それが『シャーロック・ホームズたちの冒険』です。

『シャーロック・ホームズたちの冒険』に収められた五つの冒険譚のその後ですが、同月発売の『ミステリーズ!vol.79』から、歴史に名を残す人々を名探偵に据えて新たな連作シリーズが始まっております。第一話の題名は「トキワ荘事件」(!)。手塚治虫をはじめとするマンガの神様たちに起こった“語られざる事件”とは――本書とあわせてお楽しみください。

(2016年10月6日)



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