「不可能犯罪の巨匠」としてミステリ史に名を刻む作家、ジョン・ディクスン・カー。 この度、予審判事アンリ・バンコランを探偵役にしたカーの初期作品『髑髏城』を、新訳決定版にて読者にお届けします。

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 ドイツ・ライン河畔に聳える、髑髏を模して建てられた奇城〝髑髏城〟。城の持ち主であった稀代の魔術師マリーガーが走行中の列車内から消失、謎の死を遂げてから十七年が経った。そして今、男が火だるまになって胸壁から転落して、凄絶な最期を迎える。死んだのは著名な俳優、魔術師から城を継いだ男だった。
 魔術師の遺産を共同相続していた富豪から依頼を受けて、死の影ただよう城へ捜査に赴く予審判事バンコラン。そこで彼は、ベルリン警察の主任捜査官にして好敵手フォン・アルンハイム男爵と邂逅を果たす――。
 現在と過去、二つの事件をめぐって、二人の探偵が推理に火花を散らす。

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「カーの小説は最良のお化け屋敷です」、評論家の巽昌章さんは『夜歩く【新訳版】』の解説で、カーの作品をこのように評しています。「コンセプト、内装、照明、お化けの演出、その他すべてにわたって工夫を凝らし、入り口から出口まで途切れることなく愉しいスリルを提供してくれるアトラクションなのです」(同)。
 カー最初の長編『夜歩く』から始まるアンリ・バンコランが探偵役を務めるシリーズは、後の作風からも窺える怪奇趣味と不可能犯罪といった特徴が、存分に作品世界を彩っています。本書でも、髑髏を模した古城を始め、走行中の列車内から消失した魔術師、火だるまになって城の胸壁から転落した名優、更には地下通路、隠し部屋――登場人物たちから事件、そして真相に到るまで、随所に意匠が凝らされています。

 アンリ・バンコランシリーズは、探偵役であるバンコランが鋭い知性と冷酷さを持った悪魔(メフィストフェレス)の如き人物であること、そして若き日のカー――本書の発表時、彼は若干25歳でした――の創作への情熱が相俟って、全編を通じて異様な熱気を纏っています。
『夜歩く』『蝋人形館の殺人』がパリ、『絞首台の謎』がロンドンと大都市が主な舞台であることに対して、本書の舞台となる“髑髏城”が建つところは、ドイツのライン川とモーゼル川が出合う小都市・コブレンツ。バンコランと語り手ジェフ・マールは、ライン河畔に聳える古城とその対岸に建つ別荘から殆ど移動しません。舞台そのものに「お化け屋敷」的趣向を施したうえで、更に閉鎖的な状況にすることによって、怪奇小説的演出がより作り込まれています。

 また、本書のもうひとつの見所は、アンリ・バンコランとベルリン警察の主任捜査官ジークムント・フォン・アルンハイム男爵、二人の名探偵の対決です。「バンコランの好敵手としてヨーロッパの半分を股にかけて「諜報戦」を演じ、銃撃戦の裏で、死のチェス盤上で虚々実々の駆け引きを繰り広げた」(本書より)というこの人物は、軍人然として、バンコランとはまた別の知性と冷酷さを持っています。
 髑髏城で繰り広げられる推理劇は、まさに二人の名探偵が相手より先に手掛かりを見付けんとする「諜報戦」であり、殺人事件を盤上に乗せて相手の裏をかく「虚々実々の駆け引き」です。火花を散らす二人の推理は、中盤からは物語を牽引する重要な要素となっていきます。それと同時に、推理のみならず二人(特にフォン・アルンハイム男爵)が競うように進めていく捜査の過程が、怪奇的な雰囲気のなかでも推理小説の面白さを保証してくれるものになっています。更には、探偵対探偵という構図さえも隠れ蓑に、名探偵と真犯人の対話によって幕が下ります。最後の一頁まで、読者を楽しませようと様々な趣向が凝らされた娯楽作品、それが『髑髏城』です。

 この度、『髑髏城』新訳版の刊行にあたって、アンリ・バンコランシリーズの新訳版を手掛けている和爾桃子さんが、訳者あとがきを寄せています。前作『夜歩く』でも窺えたルイス・キャロル『不思議の国のアリス』からの影響、登場人物の名前の由来、当時の独仏の情勢など詳細に注釈されています(魔術師の名前が旧訳版の「メイルジャア」から「マリーガー」に変わった理由も触れられています)。本編を読み終わった後にお楽しみください。
 また、解説は作家の青崎有吾さんを執筆いただきました。探偵の対決という構図が作品全体にどういった効果をもたらしているか、二人の探偵の推理方法を軸に論じられています。青崎さん曰く「入門書として最適かもしれません」とのこと。編集者も、まずは本書を読んで、そこから名作群に挑むことをお薦めしたいです。
 ジョン・ディクスン・カー初期の作品にして、カー作品の魅力が随所に鏤められた一冊です。

(2015年11月5日)



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