今月の本の話題

2014.01.08

《創元海外SF叢書》第1弾、イアン・マクドナルド『旋舞の千年都市』(下楠昌哉訳)、3月刊行予定[2014年1月]

《創元海外SF叢書》は、海外の現代SFエンターテインメント作品を幅広い読者にお届けするために創刊した、単行本仮フランス装の新叢書です。(刊行予定ラインナップは、お正月に公開したこちらの記事もご覧ください。)
 叢書の第1弾、イアン・マクドナルド『旋舞の千年都市』(上下巻)は、イギリスの実力派作家による、英国SF協会賞とキャンベル記念賞を受賞した傑作です。本記事では、3月刊行のこの本についてご紹介いたします。


至近未来のトルコ・イスタンブールを舞台とした、
魅力的な登場人物たちが織りなす都市SF群像劇

 犠牲者ゼロの奇妙な自爆テロがすべての始まりだった!? テロ以降精霊が見えるようになった青年、テロの謎を探る少年探偵&老経済学者、一大ガス市場詐欺を企むトレーダー、伝説の蜜漬けミイラ「蜜人」を追う美術商、起業資金調達のため行方不明の家宝を探す新米マーケッターの6人が、EUに加盟し天然ガス&ナノテク景気に沸く近未来のイスタンブールを駆け回る5日間の大冒険。

 ――本書は、6人の登場人物たちの行動をほぼリアルタイムで追っていく群像劇です。職業も育ってきた環境も価値観もまるで違う6人を結びつけるのは、イスタンブール市内にある「ダルヴィーシュの館」という名のアパートメントの存在。なお、この「ダルヴィーシュ(修道僧)の館」という名は、改装前のこの建物が、一心に旋回をつづける旋舞(セマー)という独特の儀式で有名なスーフィー(イスラーム神秘主義)の一派・メヴレヴィー教団の僧院だったことに由来しています。
 さて、この古びたアパートメントに集う6人が、どんな面々かといいますと――

●ネジュデット:トラムで自爆テロに遭遇して以来、精霊(ジン)が見えるようになった青年
 ある事件を起こして故郷にいられなくなった彼は、「ダルヴィーシュの館」を拠点に新しいイスラーム教団を立ち上げようとしている兄に保護され、ぼんやりとした日々を過ごしていました。しかし彼はたまたま乗り合わせたトラム車内で自爆テロに遭遇して以来、いたるところで精霊の姿や声の幻覚を見聞きするようになります。そうした精霊のもたらす預言が不思議と当たることを知った周囲の人々は騒ぎ始めますが、実はこの現象には裏があって……

●ジャン:探偵と冒険に憧れる、心臓に重い障害を抱えた少年
 難病を抱えるジャンは、両親とともに住む「ダルヴィーシュの館」と特別支援学校の往復以外、ほとんど外出できない生活を送っています。そんな彼の密かな楽しみは、さまざまな姿に変形できるおもちゃのナノマシン・ロボット「ビットボット」を操って、外の世界を探索すること。自爆テロが起こった朝、彼はビットボットを観察に向かわせますが、その現場でネジュデットを密かに監視していた正体不明のボットに襲われます。彼は同じアパートメントに住む老経済学者ゲオルギオスに相談して、謎のボットの目的とテロの真相を追い始めますが……

●ゲオルギオス:47年ぶりの元恋人の再訪に心揺れる、老経済学者
 かつて新進気鋭の経済学者であったゲオルギオスは、ある事情により今は「ダルヴィーシュの館」で隠退生活を余儀なくされている老人。界隈に住むギリシャ系住民の茶飲み友達やジャンとだけ付き合いつつ、趣味として経済学的実験(仮想テロ市場ネットゲームの主催など)を行なう生活を細々と送っていた彼ですが、ある事情でトルコを去った元恋人が47年ぶりにイスタンブールに来ていると聞いて、心を乱されます。しかも同時に、彼の優秀さを知る政府から、イスタンブールを狙う新型テロの可能性を探る秘密シンクタンクに招集され……

●アドナン:天然ガス市場での一攫千金詐欺を企む、野心家の金融トレーダー
 トルコ最大の金融商品取引企業に勤める天然ガス・トレーダーとして、成り上がりの野心に燃えるアドナン。彼は気心の知れた同僚たちと組み、季節はずれの熱波により高騰する天然ガス相場と、欧州と中央アジアを結んでトルコ国内を走るナブッコ・ガス・パイプラインを利用した、詐欺すれすれの投機計画を極秘に遂行中です。アドナンたちは資金提供者探しやパイプラインへの工作など、計画の総仕上げを着々と進めていきますが……

●アイシェ:伝説の蜜漬けミイラ「蜜人」を追う、美を愛する若き美術商
 アドナンの妻でもあるアイシェは、宗教美術品を専門に扱う画廊を「ダルヴィーシュの館」で経営中。確かな鑑識眼と、少々怪しげな入手ルートも含めた独自の人脈を持つ彼女に対し、客としてやってきた男が依頼したのはなんと、イスタンブールの美術商業界で伝説となっている18世紀の蜂蜜漬けミイラ「蜜人」探し。実在するかどうかも怪しいと難色を示す彼女に、男は100万ユーロという破格の謝礼を提示して……

●レイラ:ナノテク起業資金集めと家宝探しに奔走する、田舎出身の新米マーケッター
 田舎の大家族の窮屈なしがらみを嫌い、自由で自立した人生を求めてイスタンブールの「ダルヴィーシュの館」のひと部屋に住み始めた彼女は、マーケティングの学校を卒業したものの就職活動には全敗中。そんなとき親族が紹介してくれた、遠縁の若い研究者が計画しているナノテク・ベンチャーの起業資金調達、という仕事に飛びつきますが、その過程でなぜか、失踪した親戚と家宝の「半分に割ったコーラン」の行方を追うはめに……

 ――こうして、てんでバラバラにそれぞれの目的を追う6人の行動は、冒頭の奇妙な自爆テロがもたらした波紋とぶつかってさらなる波紋を呼び、予想もつかないところですれちがったり結びついたり。それぞれの冒険がどんな結末を迎えるか、刊行をお楽しみにお待ちください。


舞台となるイスタンブールの魅力

 邦訳もされた短編集『サイバラバード・デイズ』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)では、大変貌を遂げた21世紀後半のインドを描いた著者ですが、本書の舞台となるのは西暦2027年というさらに至近の、現代と地続きの未来。

 本作中の世界では、安価で環境負荷の低い天然ガスが石油に変わって主要エネルギー源となり、トルコの国策として研究が進むナノテクノロジーは一般人が実用する医薬品やおもちゃのレベルにまで普及し始めており、人々は「ジェプテップ」と呼ばれる装着式のネット端末を使いこなしています。また、トルコは念願であったEU加盟を果たすなど、ヨーロッパ世界への接近をますます深めています。
 舞台となるイスタンブールは、そうした近未来の日常風景と伝統的な生活習慣・信仰が違和感なく同居する空間となっていますが、一方でこうした変化がもたらす資金や人の流れ、文化のダイナミックな変動は、さまざまな場面で従来の価値観とのあつれきや分断を生んでいます。

 また、そうした現代都市としての顔に加え、イスタンブールには27世紀にもおよぶ長い長い歴史を持つ世界都市としての側面もあります。ギリシャ・ローマ・オスマンという大国の主要都市として発展し、「都市の女王」「至福の住処」など数々の美称で呼ばれ、東のアジアと西のヨーロッパ、北の黒海と南の地中海世界を結ぶ「文明の十字路」として栄えてきた歴史の端々は、作中でもそこかしこに顔を出しています。

 そんな東洋と西洋、過去と未来、現実と神秘が多層的に重なり合う混沌とした活気あふれる都市を舞台として、現実と地続きのリアルさを持ちつつもいまだ誰も目にしたことのない未来社会を描き出している点は、本書の大きな魅力のひとつです。最近の海外SFでいえば、チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』、パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』(以上ハヤカワ文庫SF)、そしてクリストファー・プリースト『夢幻諸島から』(新☆ハヤカワSFシリーズ)などを楽しまれた方には、特に気に入っていただけるのではないでしょうか。


補足:英国SF協会賞・キャンベル記念賞とは

イアン・マクドナルド
ペーパーバック版書影
 本書は2010年に発表され、翌年の英国SF協会賞ジョン・W・キャンベル記念賞を受賞――つまりイギリスとアメリカの両方で有力なSF賞を受賞するという高い評価を得ました。

 英国SF協会賞は、前年にイギリスで出版されたSF・ファンタジー作品を対象として、英国SF協会の会員(作家・評論家など)およびイギリスSF大会に参加するファンによる投票で選ばれる、イギリス最大のSF文学賞です。おおまかに言えばアメリカのネビュラ賞・ヒューゴー賞に対応しています。
 近年の受賞作では、プリースト『夢幻諸島から』、ミエヴィル『都市と都市』、アレステア・レナルズ『カズムシティ』(ハヤカワ文庫SF)などが邦訳されています。

 ジョン・W・キャンベル記念賞は前年に英語で出版されたSF長編を対象とする、約40年の歴史を持つアメリカの賞で、ヒューゴー賞・ネビュラ賞に並ぶ三大SF文学賞のひとつです。こちらは投票制ではなく、作家など複数の選考委員たちによる議論を経て選ばれる点が、大きな特徴です。
 近年の受賞作には、プリースト『夢幻諸島から』、バチガルピ『ねじまき少女』、ロバート・チャールズ・ウィルスン『クロノリス―時の碑―』(創元SF文庫)、ヴァーナー・ヴィンジ『最果ての銀河船団』(創元SF文庫)などがあります。

 なお本書はこのほかに、ヒューゴー賞とアーサー・C・クラーク賞の最終候補にも挙がりました。クラーク賞は1987年に創設された賞で、前年にイギリスで出版されたSF長編を対象とし、キャンベル記念賞と同様に選考委員会による選考で選ばれるSF文学賞です。


(2014年1月8日)




【2009年3月以前の「本の話題」はこちらからご覧ください】

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