やがてインターネットがあたりまえのものになると、読むだけでよいというのであれば、無料でダウンロウドできるものがふんだんにあるので、もはやOSに依存するソフトを買うまでもなく、LIBRARY OF THE FUTURE は五千点を収録したWINDOWS 95 専用の第四版が最後のヴァージョンになって、同種のソフトも絶滅の一途をたどった。著作権が切れた文書のディジタル化といえば、七〇年代はじめから活動しているPROJECT GUTENBERG が名を高めているが、ヴォランティアが投稿することもあって、ごくありふれた著作が大半を占めており、古く創立されたおかげで蔵書数だけが抽んでたハイ・スクールの図書舘というに近い。
 わたしもこのころにはテクスト・ファイルに見切りをつけていた。ダウンロウドは一瞬でおわるとはいえ、そのあと手間がかかりすぎる。使い勝手のよいものはないかと探していると、実にありがたいものが見つかった。アドビ(英語の発音はアドウビ)社の開発したPDF(Portable Document Format)と、これを閲覧印刷するためのアクロバット・リーダ(現在ではアドウビ・リーダ)である。リーダに備わった検索機能が素晴しい。全文検索が可能であって、いま開いているPDFファイルはもちろん、コンピュータ内のすべてのPDFファイルや、特定フォルダ内のPDFファイルを検索対象にすることもできるうえ、大文字小文字の区別をつけるオプションまで用意されている。
 この検索機能のおかげで、PDFファイルをハード・ディスクに取りこみさえすれば、引用の出典を調べることも簡単にできる。何がどこにあるかをわかりやすくするため、格納するフォルダを整理したり、PDFのファイル名を変更したりする必要はあるが、その程度のことは負担にならない。実際のところはどうかといえば、ハード・ディスク内のすべてのPDFファイルを対象にして全文検索をすると、リーダにはインデクス化の機能がないため、少し待たされることになるとはいえ、一息つきたくなるときにはじめればよい話である。
 テクスト・ファイルの場合、たまに読みたくなるものがあっても、ワープロ・ソフトでフォント変更といった加工をしなければ、とても読みつづける気にはなれなかったが、PDFファイルは表示が美しくて手間入らずだし、挿絵や図版を取りこんだものも多く、不思議の国のアリスのように、挿絵のない本なんてとぼやく必要もなくなった。そしてPDFという書式が定まっていることにより、コンピュータの機種やOSを問わず、リーダをインストールしてアップグレイドするだけで末永く使える。
 最大の利点として、テクスト問題をまぬかれたディ ジタル・ファイルが、PDFによってついに可能になった。facsimile とreprint の違いをもちだせばわかりやすいだろう。この二つの言葉の意味は截然と異なるが、従来の本にあてはめれば、前者は写真複製等による復刻で、後者は新組による復刊にあたる。復刻にはテクスト問題は発生しないのに対し、復刊には誤字脱字といった誤りが紛れこみ、一流の校正者が目を光らせても撲滅しがたい。
 文書のディジタル化はかつてはキーボードによる手打ちだったが、いまではスキャナで読みこんだものを OCR(OPTICAL CHARACTER READER)ソフトで変換する。手打ちの場合は打ちそこないだけではなく見落としも発生し、OCRには誤変換があって、特殊な書体の場合には急増するので、いずれもどれほど念入りに校正しようと、潜在的にテクスト問題をはらむ。読むだけであればどうでもよいことだが、わたしは翻訳家としてテクストにはこだわらざるをえない。
 では、PDFはどうなのか。印刷原稿をスキャナで読みこみ、OCRソフトでテクスト・ファイルをつくるのは同じだが、印刷物と同じレイアウトのままページ単位で表示するための書式なので、PDFファイルとして表示されるのは、スキャナで読みこまれたもの、すなわち印刷原稿の複写そのものであって、テクスト問題皆無の復刻にほかならない。それだけなら画像ファイルでしかないが、透明テクストが重ねられて検索がおこなえるようにされているのである。
 このために圧縮ファイルになっているとはいえ、他のフォーマットよりファイルのサイズが大きくなる。電話回線の時代からダウンロウドを前提にディジタル化を進めているPROJECT GUTENBERG では、いまやHTML(HYPER TEXT MARKUP LANGUAGE)版やKINDLE 版がテクスト・ファイルに置きかわりつつあるが、PDFはまったく採用されていない。これに対して図書舘におけるディジタル化では、復刻という観点からPDFが採用されており、よく探せば垂涎の稀覯書をあっさり入手できることもある。
 ただしPDFだからといって、必ずしも画像ファイルに透明テクストが重ねられているわけではない。挿絵や図版を取りこみながらも、ファイルを小さくするために、本文をDTP(DESKTOP PUBLISHING)によって整えたものがあって、KINDLE 版でもよく見かけるような、パラグラフのあとに一行空けるといった改変がなされているものが多く、PDFでありながらもテクスト問題をはらんでいる。これとは逆に、スキャンした画像の汚れを取り除いただけで、透明テクストを重ねていないものもあって、もちろん全文検索はできないので、純然たる復刻の企てと見るべきだろう。PDFをあつかうにあたっては、こうした性質の違いを心得ておかなければならない。
 わたしがはじめて入手したのは、ミラージ・プレスから発売された、ジャック・ローランス・チョーカーとマーク・オウイングズの共著、THE SCIENCEFANTASY PUBLISHERS だった。一九九一年に出版された改訂増補第三版を手に入れ、大小さまざまな出版社から刊行されたSFや怪奇小説や幻想小説の詳細きわまりない書誌を活用していたので、これを一九九八年分まで増補したCD-ROM版を買ったところ、実に丁寧につくられたPDFだったのである。
 元版は七四四ページにおよぶ百科事典サイズの大冊でありながら、本文は出版社別に分類され、詳細な索引が備わっていることもあって、調べるときでも拾い読みするときでも、重くてかさばるという以外に不満はなかった。ディジタル化されて使い勝手が格段によくなるわけもないと思っていたが、サムネイルや栞から目当てのページにジャムプできるし、本文には随所にリンクがはりめぐらされているので、リーダの検索機能や本文の索引を使うまでもなく、次つぎに関連項目に移動できるようにされていたのである。
 元版の小さなモノクロの書影がカラーになっていたが、印刷物と同じレイアウトで表示するという仕様のせいで、これらを拡大することはできず、書影集を付録にしてリンクさせればよかったのにと惜しまれる。ともかくPDFもこのようにリンクを埋めこめるので、書誌や事典といった参考図書だけにとどまらず、小説であろうと註釈版に活用すれば、ディジタル版ならではの新しい形式の本もつくれるだろう。ただしここまで手間をかけられたPDFファイルは、これ以後ついにお目にかかることもなかった。