ところで、わたしは雨の日が嫌いではないし、うっとうしいとも思わない。小学生のころから日が暮れるまで家には帰らなかったが、外で暴れられない雨の日は、嬉しいおまけのようなものであって、友達の家を探検したり、当時は何軒もあった模型屋をはしごしたりしたほか、昼間から自宅や友達の家で本を読めるのが楽しかった。これはいまも同じで、雨の日には好きな庭仕事ができなくなるが、その時間を読書にまわして乱読の予定表を少し早められる。そして雨の日には、普段とは異なった行動を取ることで、新たな出会いが起こることも多い。<br />
 その日も本降りになってテニス・コートが使えなくなり、部活が休止になって図書舘の二階のソファー(英語としてはソウファ)に坐ってペイパーバックを読んでいたところ、わたしの正面にイスパニア学科の若い先生がどっかりと腰をおろしたのである。兼修語
学でスペイン語も受講していたので、さすがに挨拶をしなければならず、とっさに気のきいたことも思いつかないまま、ボルヘスは新作を書いているんですかとたずねてみた。ボルヘスは高校の図書室で小説好きの司書に薦められて読み、途方もない博学をしのばせるパズルめいた高密度の短編小説に圧倒されながら、『伝奇集』と『不死の人』が翻訳されたにとどまり、欲求不満が長くつづいていたからだ。<br />
 適当にあしらわれると思ったにもかかわらず、得たりやおうといわんばかりに、ボルヘスの近況について滔滔とまくしたてられ、わたしは茫然とするしかなかった。神戸外大柔道部のかつての猛者は、ガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を翻訳した鼓直先生の一番弟子だったのである。これがきっかけで木村榮一先生とのおつきあいがはじまり、わたしはごく身近に新たな導師を得た。当時は専任講師の身軽さもあって、研究室を頻繁に訪れて長居しても嫌な顔一つされなかったが、妙な学生になつかれたと思って苦笑なさっていたのかもしれない。<br />
 はじめて研究室を訪れたときには、ボルヘスのHISTORIA UNIVERSAL DE LA INFAMIA のペイパーバックを貸してもらった。新作ではないにせよ、まだ『悪党列伝』や『汚辱の世界史』として翻訳されてはおらず、ボルヘスの著書のなかでも薄いものなので、これなら兼修語学の学生でも腕試しになると思われたのだろう。わたしのほうは冷汗をかきながら奮闘したが、巻頭のジョン・マレルと勝手知ったる吉良上野介に取り組んだだけで力つき、あとは全編にわたって適当に拾い読みをして、返却時に感想をたずねられてもぼろが出ないようにした。<br />
 まだブームにはほど遠いころに、ラテン・アメリカ文学の豊饒さをたっぷり知らされて、読みたい本が続続と増えていくというのに、原書を消化するのが遅遅としてはかどらず、わたしは業を煮やして体育会の恐るべき縦社会を悪用し、出来のよさそうなイスパニア学科の下級生を強制徴集した。小学六年生のときに『西遊記』に対しておこなったことをやってもらったのである。初心者がこまりそうな単語について、もっぱら動詞と形容詞を主体にして意味を書きこむという作業だが、かつてのわたしのようにいちいち辞書を引く必要もないので、かなり簡単にかたづいたようだ。短編一つで学食の昼食を一回おごるというのが、安かったのか高かったのかはよくわからない。<br />
 木村先生にお借りした本に書きこませるわけにはいかないので、阪急デパートの書籍売場の一郭にあった専門書店で、スペインやメキシコやアルゼンチンのペイパーバックを漁ったものだ。このようにしてラテン・アメリカ文学の短編小説には馴染んでいたのだが、そんなころに木村先生からフリオ・コルタサルのLASBABAS DEL DIABLOを英訳から翻訳してくれないかと頼まれた。映画化もされたこの名作を翻訳するにあたって、日本語でいかなる文体をつくりだすかに苦吟されていたのかもしれない。わたしは若さの怖いもの知らずで翻訳したあと、コリア・ブックスのBLOW-UPをつくづくとながめ、ついに英訳で読むべきものを知ったのである。<br />
 いまから三〇年以上もまえ、英語圏でどんな本が出版されているかを知るには、洋書店に常備してあるBOOKS IN PRINT にあたればよく、著者別、書名別、主題別の三種があって、当然ながら毎年改訂されていた。主題別を活用するのは社会人になってからだが、たいていは著者別で間に合う。ラテン・アメリカの作家を調べると、目当てのものはことごとく英訳されているのがわかり、こうして原書では敬遠していた長編小説も読めるようになった。<br />
 桃源社の澁澤龍彦集成の定価九八〇円が恐ろしく高く感じられた当時、小説のハードバックは洋書店で二五〇〇円以上したので、数カ月置きに一冊ずつ注文するしかなかった。ともあれこれで対象が定まり、大学にいるあいだはラテン・アメリカの小説を英訳で読むようになって、量をこなすことはできなかったにせよ、面白さが御墨付のものばかりを堪能できたのである。歴史のあるBOOKS ABROAD や創刊まもないREVIEWという雑誌に目をつけ、興味のある特集が組まれているものは購入して、木村先生との文学談義に太刀打ちできるようにしたものだ。<br />
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