こうしてわたしは文体を意識するようになり、さまざまな文体を自在に書きこなす力を身につけなければならないと考え、その手始めとして文体模写をおこなうようになった。好んで手本にしたのは谷譲次の米利堅ジャップものの文体で、アメリカのコミック・ブッ クを紹介するときに米利堅漫画と呼ぶほど気に入って、昭和八年から一〇年にかけて新潮社から刊行された一人三人全集をはじめ、谷譲次と牧逸馬の著書や翻訳書を見つけしだい買いこんだものだ。若い人のために補足しておくと、長谷川海太郎は林不忘、牧逸馬、谷譲次の筆名を使い分け、いずれの筆名でも一世を風靡したベストセラー作家だったのである。
 おどろおどろしい小説を書くときには夢野久作や黒岩涙香等を範とする一方、『ひゅーまん・るねっさんす』のおふざけ部門を一手に引き受けるといったやりかたで、ひたすら多様な文体の実験をつづけた。久生の文体を真似るほどの力はなかったにせよ、およばずながら一歩でも近づきたく、久生風の小説をいくつも書きあげて、小説の体をなしているものだけを発表した。こんなだいそれたことをしたのは、久生の小品『水草』が久生にしては長すぎるように思えてならず、どこまで短くできるかを試してみたところ、意外にすんなりと書きあげられたことによる。『水草』のありうべき続編も書いたが、小品とは呼べない長さになって、力のなさを思い知らされた。
 書きたいことは山のようにあったので、頭をふりしぼって文章をひねりだすのを楽しんでいたが、的確な表現を果たすには語彙と用例を徹底して拡充しなければならないことに思いあたった。ぴたりとあてはまる言葉を選ぶのに、三つの候補しかないのと一〇の候補があるのとでは、結果は歴然と違う。精度と密度の問題ということである。そして言葉は使いこなせてはじめて武器になるので、用例とともに頭にたたきこまなければならない。母国語の習練をするには、新かなの口語文では役に立たず、旧かなの文語文、すなわち古典と対決するに限ることくらいはわかっていた。
 古典といえども面白がって読めばよいので、古本市や京都の古本屋であれこれ漁り、博文館から刊行された幸田露伴校訂の内閣叢書版『南総里見八犬傳』や、国民図書の近代日本文学大系版の『怪異小説集』といったものをせっせと買いこみ、部活から解放されてたっぷり読書時間の取れる夏休みや冬の季節に読みふけった。語りの力というものを知りたく思い、改造社から昭和一〇年に刊行された『円朝怪談全集』にうつつを抜かしたこともある。漢文脈の文章も書きこなせなければならないので、高校三年生の夏休みに受験問題 集の漢文を白文で読めるように奮闘したこともあって、江戸時代に出版された『書経』や『孟子』等に目を通した。本当は『老子』が欲しかったが、高すぎて手が出なかったのである。
 回り遠くなった話をもどすと、翻訳家になろうという決意が固まったとき、何をなさねばならないかがわかっていたのは、こういう経緯があったからだ。ややもすると誤解されがちだが、学校教育における和訳とは異なり、翻訳は意味が通じていればよいというものではない。細かなことをいえば切りがないので、ごく大雑把ないいかたをすれば、原文の文体がどのようなレヴェルのものであるかを見きわめ、それに相当する日本語の文体をつくりだすことにかかっている。
 日本語の文体については実践していたので、今度は英語の文体を身につけるべく、古典も含めて興の赴くままに、当るを幸い幅広く読みまくればよいということになる。大学は戦後に創立されたので、悲しいほど小さな図書舘には蔵書もろくになく、もっぱら三宮から元町にかけての古本屋で玉石混淆の漁書に励んだ。石ばかり集めたような気がしないでもないが、ハーヴァード大学出版局から一九二七年に刊行されたYOGASYSTEM OF PATANJALI は、先にふれたホフマン教授のMORE MAGIC とともに、数少ない玉といってよいだろう。
 これは天金のほどこされたロイアル・オクターヴォの大冊で、一八九一年から刊行のはじまった東洋聖典叢書の第一七巻にあたる。聞き慣れない叢書だろうが、ロウブ古典叢書と双璧をなすハーヴァード大学出版局の壮大な企てで、ドウヴァ社からトレイド・ペイパーバックとして出版されているTHE I CHING やTHETEXTS OF TAOISM やTHE SERPENT POWER 等は、この叢書の安価な小型復刻版にほかならない。わたしは当時の「精神世界の本」ブームに乗っかって、ヨーガの根本経典であることに興味を惹かれて購入し、続出するサンスクリット語と格闘しながら精神集中の技法を楽しんでいるうちに、しごくあたりまえのことに卒然と思いあたった。
 英語がわかれば、英訳という形で、英語圏以外の本も読める。あたりまえのことにようやく気づいたものの、また新たな世界がたちまち広がるにはいたらず、情けなくも何を読めばよいかがわからないというありさまだった。幼いころはそれほどでもなかったのに、長ずるにつれてミステリイやSFが主体となり、英語圏のものばかり読んでいたので、漠然としすぎていたというべきだろう。かろうじてフランス文学には目を通していたが、大学の図書舘はまったく頼りにならず、関西の古本屋に英訳の本はろくになく、当時知っていた海外の古本屋はSF専門店のようなものだったので、入手する手立てがなかったということもある。しかしまもなく思わぬところに突破口が見いだせた。