このようにして高校生活を満喫しはじめたころ、朝刊の第一面にある三八広告を何気なく見ていると、思いがけない名前が目にとびこんできた。早川書房の『ミステリ・マガジン』一九六七年五月号が『新青年』の特集を組み、小栗虫太郎の『聖アレキセイ寺院の惨 劇』を復刻したのである。朝から終業のベルが待ち遠しく、授業がおわるや近くの本屋に脱兎のごとく駆けつけて購入し、この日ばかりは友人たちとの漫談を控え、地下鉄で天王寺のテニス・コートに行くあいだ、松野一夫の挿絵に胸を躍らせながら読みふけった。  またしても「オカルト趣味」に出会うことはなかったとはいえ、あまりにも日本人ばなれした作風に驚かされ、まだ見ぬ『黒死館殺人事件』への期待がますます高まるばかりだった。それだけにはとどまらず、同時に収録された夢野久作の『あやかしの鼓』と谷譲次の『テキサス無宿』が素晴しく、両者の截然と異なる巧みな語り口にころりとまいってしまい、文体の魅力がようやくわかりはじめたように思う。そしてこういう小説を掲載していた『新青年』という雑誌を知ったことで、わたしの集書と読書はついに本格的に始動した。
 さっそくデパートの古本市で『新青年』を探すようになり、最初に手に入れたのは昭和一三年の新春増刊号だった。探偵小説傑作集と銘打たれた翻訳小説の特集号で、『ウィアード・テイルズ』の初代編集長エドウィン・ベアードの『猫室』や、イギリスの特異な作家アーニスト・ブラマの『玩具の家の喜劇』が掲載されており、それなりの掘出物であったといえるだろう。もっとも当時のわたしはそんなことも知らず、日本の推理小説を読みたく思っていただけに、さして嬉しがることもなく、二〇円という値段が決め手になって購入した。
 最初のうちは会場をくまなく探しても一冊か二冊見つかるくらいにすぎなかったので、戦前の探偵小説全般に範囲を広げて漁りつづけ、文庫サイズのハードバックである博文館や平凡社の世界探偵小説全集、背革継装の堂堂たるドイル全集やルパン全集、さらには 『探偵春秋』、『探偵文學』、『ぷろふぃる』、『獵奇』といった探偵小説専門誌を入手して、満たされることのない渇きをかろうじて癒していた。僥倖というものは思いがけない形で訪れるものらしい。
 ある日、『新青年』の昭和九年三月号を見つけ、夢野久作の『難船小僧』が掲載されているので大喜びしていたところ、うしろから肩をたたかれ、怪訝に思いながら振り返ってみると、かたぎとは思えないおっさんがにやついていた。それをよこせといわれるのでは ないかと思い、一瞬身構えてしまったが、実は古本屋の親父さんで、その雑誌を集めているなら次の古本市にもってきてやるといってくれたのである。あとになってわかったことだが、古本がブームになるまえのころだったので、毎回必ずあらわれる子供として、わたしは古本市で少し目立っていたようだ。
 それまでほとんど行きあたりばったりの買い方をしていたのに、急に『新青年』や戦前の探偵小説を買うようになったことで、にわかに注目度が高まったのだろう。こうして『新青年』が毎回一〇冊くらいあらわれるようになったが、せいぜい八〇円どまりだったものが安いものでも一二〇円という値上がりをして、好意には代価がともなうという浮世の定めをはじめて教えられた。とぼしい軍資金では手当りしだいに買うわけにもいかず、よく吟味したうえで買うという知恵がついたので、古本屋の親父さんはあてがはずれて悔しがっていたかもしれない。
 この雑誌にはずいぶんお世話になった。小酒井不木、海野十三、大下宇陀兒、甲賀三郎といった作家に馴染むとともに、探偵小説専門誌ではないことが幸いして、渡辺温、蘭郁二郎、城昌幸、稲垣足穂、大佛次郎、獅子文六を「発見」したからだ。久生十蘭の本名であることも知らないまま、阿部正雄の『合乗り乳母車』や『謝肉祭の支那服』といった、コン吉とタヌのフランス珍道中には舌を巻いた。松野一夫や初山滋の挿絵も素晴しく、さながら玩具箱のような綜合雑誌の魅力を存分にたたえた『新青年』は、当時のわたしの芋蔓式集書の原点になったのである。
 昔は全集がやたら多かったのも幸いした。『新青年』を読んで気に入った作家の本を探すと、全集に含まれていることがよくあって、その全集に目を光らせると、新たな作家を発見するという調子である。文庫サイズのハードバックである改造社の日本探偵小説全集で渡辺温を見つけたところ、國枝史郎と抱き合わせになっていて、『沙漠の古都』というほとんど八方破れに近い奇想天外な冒険小説にめぐりあい、このようにして注目すべき作家が増えていった。
 このころ一番お買い得だったのは平凡社の現代大衆文学全集で、サイズは普通の四六判であるにもかかわらず、千ページを越えるというヴォリュームを誇っていた。昭和はじめの円本ブームの立役者だが、一円という定価を実現するための措置であったのか、クロス 装の表紙があまりにも薄っぺらで、背表紙が本の重量に堪えきれず、古本市で見かけるものの大半はよれよれになっているありさまである。おかげで箱入りのものでも百円足らずだったから、わたしにとってはありがたいことだった。
 江戸川亂歩集には初期の名作が網羅されていて、ようやく亂歩の魅力にふれることができ、小酒井不木集は読みごたえがあって、不木の全集を見つけるつど買うようになった。『沙漠の古都』でモダンな作家だと思っていただけに、國枝史郎集はずいぶん勝手が違ったが、時代小説もそれなりに楽しめるとわかり、それまで敬遠していた岡本綺堂集や林不忘集も買って、後者と新進作家集の写真を見くらべ、丹下左膳の林不忘と現代小説の牧逸馬が同一人物であると知って仰天したこともある。
 こんなふうに時代錯誤の読書生活を送っていたが、高校の食堂で雑談をしていたところ、三島由紀夫に入れこんでいる級友が天王寺に古本屋が何軒もあると教えてくれた。高校生になってはじめて手にした定期券は、指定区間内なら乗り放題である。わたしの家から高校まで直線距離はたいしてないのに、地下鉄では乗りかえをしてずいぶん大回りしなければならず、ありがたくも天王寺は通過駅だった。こうして週に一度の部活の休みの日か、朝からはじまるので早めにおわる日曜日に、天王寺の場末をうろつくようになって、集書にますます拍車がかかったのである。
 四〇年以上もまえのことなので、記憶がかなり怪しくなっているが、大小あわせて八軒くらいあったように思う。このころには古本市は地下から最上階の催事場に移り、複数のデパートで開かれるようになっていたとはいえ、それでも三カ月に一度くらいのペースだ ったので、天王寺のささやかな「古本街」が待ち遠しさを少しは和らげてくれた。古本市とは違って新しいものが多かったにせよ、発売されたばかりのものが格安で買えるし、とりわけ雑誌の安さには驚かされ、『宝石』で懐かしい澁澤龍彦の名前を見つけるや、『黒魔術の手帖』の掲載誌をあっというまに揃えることもできた。