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2013.11.19

東浩紀『セカイからもっと近くに 現実から切り離された文学の諸問題』はじめに〈全文〉(1/3)[2013年11月]

セカイからもっと近くに
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はじめに

 文芸評論という、いまや古びたあまり見向きのされないジャンルがあります。本書はそのジャンルに属する本です。

 本書は、ぼくがはじめて刊行する、そしておそらくは最後の文芸評論集です。ぼくはいまでは、文学に限らず、創作物についての評論をほとんど行っていません。けれども、ぼくは一時期文芸評論家を名乗っていたことがあり、そのときは小説だけではなく、アニメやゲームについてもそれなりに熱心に分析を重ねていました。本書は、その時期に書かれたものです。
 文芸評論といっても、本書で取り上げるのは、じつは文芸評論の常識からするとかなり異色の作家です。文芸評論と言えば、芥川賞や直木賞、新しいところでは本屋大賞といった、文学賞の選考対象になる純文学や一般小説を扱うのが通例です。けれども、本書で分析する四人の作家は、いずれもその枠から外れています。第一章の新井素子は一九六〇年生まれのライトノベル作家(彼女のデビュー時にこの名称はありませんでしたが)、第二章の法月綸太郎は一九六四年生まれのミステリ作家、第三章の押井守は一九五一年生まれのアニメ作家、そして最終章の小松左京は一九三一年生まれのSF作家です。押井の仕事の中心は小説ではありませんし(小説も書いていますが)、残りの三人も、一般には「ジャンル作家」と言われ、評論や文学研究の対象にはなりにくい存在です。文芸評論の愛好家は、四人の作品にあまり触れていないでしょうし、逆に四人の作品の読者は、文芸評論の読解スタイルにあまり親しんでいないでしょう。ですから、本書の内容は、そのどちらの読者にとっても見慣れない、戸惑うものになっているかもしれません。
 にもかかわらず、ここで彼らを取り上げたのは――ぼく自身がなによりも彼らの読者であるという当然の理由は横に措くとすると――、本書の主題を追求するためには、文学の保守本流ではなく、いわば「辺境」で活躍する彼らのようなジャンル作家やアニメーション作家に注目することが必要だと考えたからです。裏返せば、ぼくは、もろもろの賞を受賞し、世間からきちんと「文学者」として承認を受けている、そのような作家の想像力においては本書の主題はもはや先鋭的なかたちでは現れない、そう考えたのでした。
 どういうことでしょうか。



東浩紀(アズマヒロキ)
1971年、東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院総合文化研究科博士課程修了。作家、思想家。1999年に『存在論的、郵便的』(新潮社)で第21回サントリー学芸賞を、2010年に『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)で第23回三島由紀夫賞を受賞。 著書は『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書)、『キャラクターズ』(桜坂洋と共著/新潮社)、〈東浩紀アーカイブス〉(河出文庫)、『一般意志2.0』(講談社)、『クリュセの魚』(河出書房新社)ほか多数。

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