Science Fiction

2017.09.29

山田正紀「今日泊さんのこと」 今日泊亜蘭『海王星市から来た男/縹渺譚』巻末エッセイ

 今日泊亜蘭さんの思い出を書くのに最もふさわしい人は誰だろう、と考える。ぼくでないのだけは間違いない、と思う。ぼくはその任ではない。
 ぼくは今日泊さんに、時代小説についていろいろ教えていただいたし、『地球・精神分析記録』という小説を書くときには、エルド・アナリュシス、というラテン語のルビを振っていただいたりもした。
 恩人といってもいいかもしれないが、なにしろ三十歳以上もの年齢差があって、結婚してからは自然に足が遠のいてしまった。それでも、しばらくは電話で長話をさせていただく機会もあったが、それもいつしか途絶えてしまった。お亡くなりになるまえ、もう何年も、もしかしたら十年以上も、お話していなかったのではないか。
 今日泊さんは、相手がどんなに若輩であろうと、それで師匠とか、弟子などといった関係を結びたがるようなお人柄ではなかった。ぼくも師弟関係とか、先輩後輩といった関係が苦手であり、もしかしたらそれで細々とながら、今日泊さんとのかかわりがつづいたのかもしれない。じつに淡泊な関係であって、ぼくにはそれがありがたかったが、ときに今日泊さんはそのことに物足りない気持ちをお感じになられたかもしれない。それを申し訳なかったと悔やむ思いもある。
 ぼくは人間関係に不器用、というより、一種、不能といっていいところがある。が、今日泊さんのほうも、狷介孤高というか、韜晦癖があり、一般的にいえば、けっして人づきあいのいいほうではなかったように思う。それでいて、なにより座談がお好きであり、その滑舌のよさには、いつも聞きほれたものだった。じつに見事な東京弁だった。とりわけ人の悪口をおっしゃるときには、虎が野を駆けるような、あるいは龍が雲を呼ぶような、何ともいえない闊達さ、疾走感があり、これはじつにただ者ではない、と思わせるところがあった。
 あれだけ人の悪口がお好きな今日泊さんのことだ、さぞかし、かげではぼくの悪口もおっしゃっていたにちがいない、それでもぜんぜんかまわなかったし、いや、むしろ、悪口を言っていただいたほうが嬉しい、という思いさえあった。
 それというのも、今日泊さんが、人の悪口をおっしゃるときには、本気でその人の悪口を言う場合と、友情の裏返しで言うときの二種に分けることができて、後者の場合には、むしろ、その人の名誉であるようにさえ感じたからである。
 後者、その人のことが好きでならないために、ついそれがこうじて悪口になってしまうという場合、その代表格は――ぼくの見るところ――光瀬龍氏と野田昌宏氏のお二人であったように思う。今日泊さんはお二人のことが好きだった。が、それにも、多少の温度差はあって、今日泊さんは光瀬さんに対して、より強い友情を抱いていらっしゃったのではないか。同じ悪口をおっしゃるのでも、光瀬さんに対するそれには、じつに温かなものが感じられ、正直、ぼくにはそのことが羨ましかった。
 光瀬さんも、どちらかというと孤高にして、狷介なところがおありになったのだが、それも今日泊さんに言わせれば「光瀬の野郎はおれの真似をしやがって――」ということになる。光瀬さんが今日泊さんの真似をなさったのか、それともお二人にはもともと似かよったところがあり、それが結果として、互いにたがいを引き寄せることになったのか、ぼくなんかにわかることではない。
 ただ光瀬さんが、ぼくが冒頭に記した「今日泊さんの思い出を語るのに最もふさわしい人」であるのは間違いない。たぶん今日泊さんご自身もそう思っていらっしゃったことだろう。今日泊さんは、ご自分の感情を生でさらけ出すような人ではなかったが、それだけに光瀬さんがお亡くなりになられたときには、さぞかし淋しい思いをなさったにちがいない。そのあと今日泊さんにあって、たぶん誰も、光瀬さんの不在を埋めることのできる人はなかったのではないか。歳をとるということの残酷さを思わずにはいられない。
 それでも光瀬さんは、ご自分のことを何本ものエッセイに書き残しておいでだが、今日泊さんはほとんどご自分のことを書き残していらっしゃらない。小説家は作品がすべてかもしれないが、それでも今日泊さんのあの話術、見識が永遠に失われてしまうのはいかにも惜しい。何とかならないか、とも思うのだが、何ともならないのである。

 ぼくは、しだいに二十代だったぼくが初めてお会いしたときの、今日泊さんの年齢に近づきつつある。このごろになって、今日泊さんが、最初か、二度目にお会いしたときに、ふと洩らされた言葉を思い出す。
 それはじつは、今日泊さんご自身の言葉ではなく、明治の作家、斎藤緑雨が残した有名な言葉なのだが、「筆は一本、箸は二本、衆寡敵せずと知るべし――」というものなのだ。つまり小説で食べていくのは大変だ、という意味なのだろう。どうして、あのとき今日泊さんは、あんなことをわざわざおっしゃったのだろうか。
 もしかしたら、若い、駆け出し作家に対する、一種のいましめの言葉だったのかもしれない。ぼくにそんな自覚はなかったのだが、どこかに新人作家のおごりのようなものがあったのだろうか。当時はピンとこなかったその言葉が、いまのぼくにはじつに身に染みてわかる。
 たぶん、ぼくもまた老いつつあるということなのだろう。できれば今日泊さんのように、偏屈な老作家になれればいいな、と思うのだが、なかなか、そうはうまくいかないようである。


■ 山田正紀(ヤマダマサキ )
1950年名古屋生まれ。74年のデビュー中編「神狩り」で第6回星雲賞を受賞。82年『最後の敵』で第3回日本SF大賞を受賞。2002年『ミステリ・オペラ』で第55回日本推理作家協会賞及び第2回本格ミステリ大賞を受賞。SF、ミステリ、冒険小説など多岐にわたる分野で活躍する。『宝石泥棒』『エイダ』『神狩り2』『カオスコープ』『神獣聖戦』など著作多数。




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