Science Fiction

2014.10.07

山田順子/ロバート・F・ヤング『宰相の二番目の娘』訳者あとがき(全文)[2014年10月]

『千夜一夜物語』そのままのファンタジー世界が広がっている

山田順子 junko YAMADA


宰相の二番目の娘
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 ロバート・F・ヤングの長編The Vizier's Second Daughterの全訳をお届けする。本書は中編 "The City of Brass"「真鍮の都」『時を生きる種族――ファンタスティック時間SF傑作選』中村融編・二〇一三年刊行/創元SF文庫に収録)の長編化作品である。
 中編は一九六五年〈アメージング〉誌に発表されたが、ヤングは中編ではあきたらなかったのか、はたまたその後『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』を読みこんでイメージがふくらんだのか、二十年を経て、一九八五年に本書が刊行された。
 しかし、主要登場人物や背景は中編と同じだが、本書は単に中編の書きのばしとはいえない、別の作品になっている。骨格は同じだが、肉づけがずいぶんとちがっているというか、中編よりもアラビアンナイト・テイスト豊かというか、『千夜一夜物語』そのままのファンタジー世界が広がっている。
 タイムマシンの事故により、二十一世紀からのタイムトラベラーと九世紀のアラビアの少女が、このファンタジー世界に迷いこむ。主人公である二十一世紀のビリングズは、ファンタジーとは無縁の人間で、故障したタイムマシンをなんとか修理して、とりあえずは九世紀に帰ろうと苦心するが、九世紀の少女は、見るもの聞くものすべてをあるがままに受け容れ、なにが起ころうとむやみに怯えたりはしない。このふたりが絶妙のコンビとなり、本書は、時空を超え、虚実を超えた、楽しい冒険作品となっている。
 ちなみに、中編のタイトルであり、本書にも登場する“真鍮の都”というのは、もともと『千夜一夜物語』に出てくる伝説の都だ。訳者が参考にさせていただいたのは、ちくま文庫のバートン版『千夜一夜物語』(大場正史訳)第七巻で、第五百六十六夜から第五百七十八夜にかけて語られた一話である。簡単にご紹介すると、むかしむかし(語り手のシェヘラザードは九世紀の人物とされているので、それよりもっとむかしの話ということになる)。シリアのダマスクのカリフが、ダーウードの子スレイマーン(ダヴィデの子ソロモン)が魔神を封じこめた壺を見たいといいだした。その命を受けた太守が、遠くエジプトまで旅をして、首尾よくこの壺をみつけだしたうえに、いまは存在すら忘れられている伝説の都の話を聞きおよび、それを捜しだして帰国するという話だ。かつて栄耀栄華を誇ったという伝説の都は、黒々とした高い城壁に囲まれていた。その中に、火の柱と見まごうばかりの真鍮の塔がふたつ屹立しているために、真鍮の都と呼ばれたという。シェヘラザードが十二夜にわたって語ったこの一話、くわしくは原典をご一読いただきたい。
 ところで、本書には、ワインやビールというアルコール飲料が登場している。イスラム教では酒は禁じられているはずなので、やややと思われる読者がいるかもしれない。だが、岩波書店刊『イスラーム辞典』の《酒》の項によると、十世紀のアッバース朝の料理書に、ビールやワインなどの製法が記されているという。ワインは主として富裕層の飲料で、庶民や農民はワインとは異なる発酵飲料(ビールとか)を楽しんでいたらしい。本書の時代背景は九世紀なので、ワインやビールが登場しても問題ないということになる。
 なお、巻末の著者ノートで、原作者ヤングは、エドワード・ウィリアム・レイン版を底本にしたと記している。
 現在ではリチャード・フランシス・バートン版が一般的だが、ヨーロッパ世界に『千夜一夜物語』が最初に紹介されたのは、十八世紀初頭、フランス人のアントワーヌ・ガランのフランス語版による。当時は、千と一夜の物語がすべて網羅されたアラビア語の原本というのはなかったらしく、ガラン版では一部のみの紹介だったという。しかし、ガラン版は好評で、ときをおかずして英訳されたほか、ヨーロッパ各国の言語に翻訳されて広まった。
 レインの英訳本は一八三八年~四一年にかけて刊行された。だがこれも完訳本ではなかったらしい。
 その後もいろいろな人々の努力により、すべての物語が徐々にそろっていき、その集大成である全話英訳を、一八八五年~八八年にかけてなしとげたのが、バートンである。その後は、このバートン版を底本に、各国で訳されている。
 ごく簡単に『千夜一夜物語』翻訳本の歴史をご紹介したが、これに関しては、国立民族博物館編・西尾哲夫責任編集による『アラビアンナイト博物館』(東方出版)を参考にさせていただいた。これは同博物館が二〇〇四年九月から十二月まで開催した、ガラン訳『千夜一夜物語』出版三〇〇年記念特別展のために編まれたものだ。イスラム文化には門外漢の訳者が、この夏、偶然に立ち寄った古書店でこの本に出会えたのは幸運だった。
 というようなことはさておき、『千夜一夜物語』全話は読んでいなくても、子どものころに、『アリ・ババと四十人の盗賊』や、『シンドバッドの冒険』『アラジンと魔法のランプ』などの児童向けの冒険談を、わくわくしながら読んだかたは多いだろう。ヤングによる本書も、わくわく度は負けていない。ヤングらしい、SF的薬味の利いた、アラビアンナイト物語、楽しんでいただきたい。
 作者ロバート・F・ヤングは本書が刊行された一年後の一九八六年に七十一歳で亡くなった。基本的に短編作家だったヤングの、これは最後の長編となる。

(2014年10月7日)


■ 山田順子(やまだ・じゅんこ)
1948年福岡県生まれ。立教大学社会学部社会学科卒業。英米文学翻訳家。



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