Science Fiction

2017.08.28

渡邊利道/ジョー・ウォルトン『わたしの本当の子どもたち』(茂木健 訳)解説(全文)

渡邊利道 toshimichi WATANABE


 二〇一五年。介護施設で暮らす八九歳のパトリシアは、混乱した複数の人生の記憶をかかえ懊悩していた。それは二十三歳の時、ある選択を起点として二つに分岐した人生の記憶で、子供の数も、暮らした場所も、そればかりか世界情勢の多くの部分が異なる二つの歴史が背景にひろがっていた。施設の誰もがそれを彼女の認知症のためと断じていたが、彼女自身はあまりにも鮮明な二つの記憶がどちらも事実であるとしか思えない。
 二つの人生の物語、その分岐と変化が持つ意味とは?

 本作品は、英国ウェールズ出身で、現在はカナダを拠点に活動する作家ジョー・ウォルトンが、二〇一四年に発表した長編小説、My Real Children の全訳である。同年のジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞および翌一五年の全米図書館協会RUSA賞を受賞し、同じく一五年の世界幻想文学大賞候補にも選ばれている。
 SFファンには《ファージング》三部作(〇六~〇八年・邦訳は一〇年に創元推理文庫から刊行)やヒューゴー賞&ネビュラ賞のダブルクラウンに輝いた『図書室の魔法』(一一年、邦訳は一四年に創元SF文庫)などの作品ですでにおなじみの作家だが、本作品は、これまでの作品といくつかの点で共通するアイディアやモチーフを扱いながらも、また違った物語を描き出すことに成功している。全三冊、上下巻という邦訳既刊の分量にちょっと腰が引けていた読者には、一冊でコンパクトにまとまっている本作品は、はじめて読むのにちょうどいいサイズかもしれない。もちろん内容は決して薄くないので、これまでの作品の愛読者にも安心してオススメできる長編小説である。
 ヒトラーと政府が一九四一年に講和を結んだもうひとつの英国を描いた《ファージング》と同じく、いわゆる〈歴史改変小説〉なのだが、本作品ではヒロインのごく個人的な選択をきっかけに世界が二つに分岐し、そのどちらもが史実と違うふうに改変されているというのが最大の特徴だ。このアイディアの中核にあるのは、カオス理論でいう〈バタフライ効果〉という概念だろう。気象学者のエドワード・ローレンツによる、あるところでの蝶の羽ばたきのような小さな出来事が、そこから遠く離れた場所での天候の変化など大きな現象に影響を及ぼすことがあるか、という問いかけからはじまった概念で、力学系の初期状態にある微細な差が時間経過とともに指数関数的な規模で巨大化する現象を指す。つまり本作品は、ヒロインが行うある決断が、彼女の人生のみならず、その後の全世界の歴史にとてつもなく大きな差異を生むことになるという寓話的物語なのである。
 ただしこの物語では、改変された世界そのものを描くことよりも、二つの世界の差異から人生や歴史の意味を問い直す点に重点が置かれることで、より内省的な寓話になっている。もちろん、世界のありようについての思考実験というふうに読むこともでき、史実と比較して二十世紀という時代を考察することもできるだろう。しかし作者がこの作品で真に問題としているのがそういうことだとは思われない。本作品の中で、二つの世界(歴史)はとてもわかりやすく対照的に描かれていて、その差異が導き出すもっとも大きな疑問はひとことでいえば、人間の生活において、個人的な事情と社会的な状況の、どちらをより重んじるのか、というようなことである。この問いは読者には少しナンセンスに感じられるかもしれないが、現代社会の政治的な課題を考えるときに無視できない問題を孕んでおり、作者は小説というかたちでそれを鋭く切り出し提示して見せている。
図書室の魔法 下
 また、十五歳の少女の秘密の日記というスタイルで描かれた『図書室の魔法』が、ヒロインの読書に関する記述によって、読書好きの読者の共感を呼ぶ作品であったのと同じく、本作品でも読書はとても大切なものとされ、さまざまな作品、作家が登場する。主にSFやファンタジーの作品を中心に、ともかく膨大な固有名が引用される『図書室の魔法』と違い、本作品では英国文学のごく限定された詩人、作家、批評家の名前と作品名が引用されるだけで、数としては少ないのだが、それぞれが小説内で少なからぬ意味合いを持たされている。
 そのうちで重要な作品をいくつか紹介しておこう。まずエリザベス・ギャスケルの『女だけの町――クランフォード』(邦訳は岩波文庫より刊行)。ギャスケルは十九世紀の女性作家で、イギリスではじめて労働者階級の人々を描き、道徳的に堕落したとされる女性たちを擁護する彼女の作品群は、フェミニズム小説の先駆的存在とされる。『クランフォード』はその代表作のひとつで、架空の田舎町を舞台に、高齢の独身女性たちの生活を、ユーモアとペーソスを交えて描いた連作小説である。ウォルトンはウェブで公開されている書評エッセイで、女性の優位性と労働なき収入の平等が実現し、人間の優しさが世界の秩序を作っている世界を描いたユートピア小説と評している(http://www.tor.com/2012/12/21/the-last-gigot-in-england-elizabeth-gaskells-cranford/)。小説の冒頭部分でヒロインがこの作品を読んでいるのには作者の深い意図があるといえるだろう。
 また、結婚初夜に想起されるドロシー・セイヤーズのミステリ長編『学寮祭の夜』『忙しい蜜月旅行』は、名探偵の結婚を、独立した人間同士が対等に結ぶ関係としてとても緻密で優雅に描いた名作で、それをそのままある種のパロディとして作中に取り入れているので、興味のある方は読んでみるのをオススメする。なんて意地悪な作者だろうと唖然とすること請け合いだ。またセイヤーズはダンテの『神曲』を英訳した人物でもある。後述するように、ダンテは本作品ではとても重要な詩人なのである。
 ウォルトンは詩集を三冊も刊行している詩人であり、本作での詩、わけても形而上詩人たちへの言及は、単に文学的愛好の情熱にとどまらず、小説の根幹的な構造に関わっている。形而上詩人とは、十七世紀のイギリス叙情詩の一派で、機知と奇想に富んだ複雑なメタファーをふんだんに用いた詩人たちのことである。後の十八世紀の批評家サミュエル・ジョンソンが、自然な感情を損なう不調和な表現として、批判的な意味合いでこう名づけたのだが、二〇世紀に入って、詩人・批評家のT・S・エリオットらに再評価された。
 本作品では、ヒロインの学生時代がエリオットの批評家として活躍した時期と重なっていて、彼女がジョン・ダンやアンドルー・マーヴェルといった詩人を愛唱するのはその影響下にあると見てよいだろう。エリオットは、形而上詩人のレトリックを「思想と感情が統一された表現」として評価し、自身の理想とするダンテに近づけて解釈した。そしてこの統一を破ったのが、かのミルトンの『失楽園』ということになる。つまり、ここで思想と感情を統一する基盤となるのは、カトリック信仰なのである。端的にいえば、エリオットはヨーロッパ社会が信仰を見失い「俗化」することで、哲学や自然科学という「思想」が、恋愛や芸術といった「感情」と分裂してしまったものとして近代を理解し、その再統一を目論んでいたわけだ。
 本作品で、信仰はとても大きな主題のひとつである。二つに分岐した世界で、ヒロインは片方では信仰をほぼ失い、司祭でもあったジョン・ダンの崇高な詩句を「戯言」と切って捨てさえする。またその詩句の引用がとても鮮やかな印象を残すマーヴェルは、清教徒革命と王政復古を契機として、形而上詩人から散文による風刺作品へと転じたことで知られている。ウォルトンが二つに分裂した世界を彩るのに形而上詩人を用いたのはそのような文脈からであることは間違いないだろう。ちなみに、エリオットが理想としたダンテがフィレンツェの詩人であり、政治的闘争に敗れて故郷を追放の憂き目にあったとか、その代表作『神曲』が、ダンテが敬愛する古代の詩人ウェルギリウスともに地獄巡りをする話で、そのなかで現実世界を痛罵し、ついに結ばれることのなかった愛する女性ベアトリーチェへの永遠の愛を歌ったということも、本作品の随所で参照されていて、思想と感情、あるいは理想と現実とが分裂した世界を描くのに役立てられている。
 本作品での、世界が分裂しているという〈歴史改変〉的なフィクションは、こういったさまざまな文学作品からの引用から推して、おそらくは現代世界の「分裂」の、SF的な表現なのである。この分裂は、それ自体で意味があり、史実と比較することで意味を読み取るべきものではない。内省的な寓話というのはそういうことだ。そして本作品のラストは、そのように考えたとき、より強い意味合いを持って読者にせまってくるだろう。



  ※以下物語の結末に触れています。



 本作品のヒロインは、二つの世界のどちらもがやはり真実であったとしか思えず、しかしあまりに鮮明な対照を為す二つの世界、そこでの彼女自身の人生を、そのどちらかを自分が選ぶことで、世界をどのようなものにするか決定することができると考える。その選択はいまやすぐそこだ、と考えた瞬間に、宙づりにされるように小説は終わる。この終わりかたは、そこでどのように「選択」するか決めなければならないのは、ヒロインではなくいままさに作品を読み終えた読者なのだと示しているのではないだろうか。世界の分裂を、どのように受け止め、どのように生きるか、どのような世界が「良い」と考えるか。それは読者一人一人に委ねられるのである。



 作者のプロフィールについて詳しくは、これまでの訳書のあとがきや巻末解説を参照してもらいたい。本作刊行後の活動としては、一五年から一六年にかけて、二五世紀の未来社会でプラトン哲学に基づく国家建設を目論むという Thessaly trilogy が刊行されている。本作品では軽く示唆されるに留まるユートピアというテーマを掘り下げた作品だと推察され、翻訳の刊行はいまのところ未定。また来る二〇一八年には、Poor Relations という長編小説が刊行されると予告されている(http://www.tor.com/2017/05/15/jo-walton-poor-relations-announcement/)。舞台は二十四世紀の火星。個人所有のロボットに依存して貧富の差が増大し、性転換が簡単にできるようになったために、貧しい家庭では女児を裕福な家に嫁がせることで上昇を目論む社会で、恋の鞘当てに精を出すヒロインの物語が、二百年前に地球人との接触に失敗したエイリアンの登場で、てんやわんやの大騒動となるというもの。前半はジェーン・オースティンの『マンスフィールド・パーク』を下敷きに、十九世紀英国風の優雅で辛辣な会話劇に書簡体や日記体を挟むという作者の英国文学愛が炸裂したもので、エイリアン襲来後は一気に社会構造が変容し女性たちの抑圧が解かれていく、という爽快な物語であるらしい。これも邦訳は未定だが、本作品との内容的連関はより深く感じられるので、ぜひとも刊行を期待したい。



■ 渡邊利道(わたなべ・としみち)
1969年生まれ。作家・評論家。2011年、「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」で第7回日本SF評論賞優秀賞を受賞。2012年、「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。




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