Science Fiction

2016.01.07

渡邊利道/マーク・ホダー『月の山脈と世界の終わり』(金子司 訳)解説(全文)[2016年1月]

渡邊利道 toshimichi WATANABE


 お待ちかね《大英帝国蒸気奇譚》シリーズ最新刊。三部作完結編となるExpedition to the Mountains of the Moonの全訳の登場だ。
 蒸気機関や遺伝子改変などの技術が独自に発展した異形の十九世紀。ナイルの源流を探る世界的冒険家にして語学の天才リチャード・バートンは国王の密偵(エージェント)に任命される。自分たちに都合良く歴史を改変しようとする諸外国を敵に回し、陰謀渦巻く英国ロンドンからアフリカ大陸まで、縦横無尽に戦うバートンと、皮肉な饒舌家の若き変態詩人アルジャーノン・スウィンバーンをはじめとする個性的な仲間たちを描く、冒険活劇と時間SFが融合したエンターテインメント大作。
 シリーズ一作目がデビュー長編だった作者の小説技術も三巻目では大きな飛躍を示し、プロットに多少の混乱がある一作目、興味深いがややだれる思弁的な哲学談義に多くのページを割き過ぎたきらいのある第二作に比べ、本作のリーダビリティーと物語の凝縮性は抜群。一巻目から順番にきちんと読んでいなければと考えて敬遠してしまうのはあまりにももったいない。複雑なタイム・パラドックスもきれいに整理されており、本作を読んでから一巻に遡ったとしても(付記しておくと、一、二巻は順番通りに読んだ方がよい)、なるほど、あそこでああ言っていたのはこういうことか、と発見する喜びがあるので、安心して手に取っていただきたい。
 第三巻となる本作は、十九世紀と二十世紀をカットバックしながら物語が展開する。これまでの作品に比べずっと独立性が高く、一、二巻を未読のまま読みはじめてもまったく問題ない親切設計になっている。つまり冒頭から大小いくつかの謎を提示し、続く章でその謎のうち小さなものに解答を与えるかたちで進み、その章の終わりで新たな謎を提示。さらに次の章でその謎が解かれ、そして最終的にはすべての謎が解かれる、というスタイルを採っている。そのため、一、二巻で起こった出来事が本編に無理なく謎として鏤(ちりば)められていて、ごく自然にこれまでの物語を受容することができるようになっているのだ。「これは後付けだろ!」と叫びたくなるような「意外な真実」が語られたりするのもご愛嬌。そういった部分も含めて納得させてしまう勢いのある面白さなのである。

 さて、これまでのシリーズが英国ロンドンを主な舞台にしていたのに対し、今回は冒頭こそロンドンではじまるものの、作品の大半は東アフリカ冒険行の物語だ。時空を超える力を宿した黒いダイヤモンド〈ナーガの眼〉を手に入れるため、バートンは密命を受け、スウィンバーンほかの仲間たちとともにアフリカに旅立つ。目指すは東アフリカの聖地〈月の山脈〉。奸計によって大きく出遅れ、好敵手スピーク率いるプロイセンの連中を追いかけるかたちで冒険は進む。一方、一九一四年では世界大戦が大詰めを迎え、英国はほぼ壊滅状況でわずかに東アフリカの小都市タボラに孤塁を守るのみ。記憶をなくした男が従軍記者のH・G・ウェルズに出会う。男はフランク・ベイカーと名乗るが、ウェルズは確信を込めて、あなたは一八九〇年に死んだリチャード・バートンだと言うのだった。そして二人は圧倒的な戦力をもつドイツ軍を出し抜いて〈ナーガの眼〉奪取を目指す。
 前述したように、記憶をなくした二十世紀のバートンが新しい情報を知り、過去を思い出すのと、十九世紀の冒険行が交互に展開し、次から次へと意外な真相が明らかになる物語で、毎回章の終わり際に驚きを伴った強い「引き」が用意されている、パルプマガジンやテレビの連続ドラマを彷彿させる娯楽小説の王道を行くスタイルだ。
 もっとも、バートンとスウィンバーンという、十九世紀英国でも異彩を放った文人である二人を主役に据えているだけあって、全編を流れる詩情の美しさや機知と諧謔に溢れた会話、物語の中核となっている歴史の改変がもたらす、世界の時間と人間の運命に関する独特の虚無的な思弁といった本格的な文芸性も備えており、何度も読み返すに足りる——というか、そもそも非常に複雑な改変歴史をいったりきたりする物語なので、むしろ再読三読してこそ十全に楽しめる作品となっている。

 本シリーズをより楽しむために、いくつかの基本的な事柄について説明しておこう。本シリーズもそのひとつに数えられる「スチームパンクSF」というジャンルは、蒸気機関などの十九世紀の技術が独自に発展した「もうひとつの世界」を舞台にした歴史改変的な作品群を指す。英国であればヴィクトリア朝を主な舞台とするが、ジャンルの熱心なファンや物知りな読者は別にして、ごく普通の日本の読者にはあまりなじみがない時代背景だろう。とくに、本作は英・独・露の三大国の思惑がからむ陰謀劇といった側面もあり、国際政治の状況について史実に即した知識があったほうが、より深く物語を楽しめるに違いないからだ。
 物語の大きな背景となっているのが、まずはクリミア戦争だ。これは、ロシアとオスマントルコのあいだで口火が切られ、ロシアの地中海進出を憂慮した英仏も参戦して一八五三年から五六年にかけて起こった、それまで類例のなかった大規模な戦争である。戦闘では産業革命を経験した英仏が、近代化の後進国ロシアに圧倒的な強さを見せたものの、長引いたために財政赤字に苦しめられ世論が反戦に傾き、明確な戦勝国のいない曖昧な終わり方となる。一方、戦時中に急激な工業化に成功したプロイセンの勃興と、協調外交を主眼とするウィーン体制の主役だったオーストリアの没落が明確になった。
 本作に登場するパーマストンはこの時代を代表する外交を得意とする政治家である。五五年に首相となり、クリミア戦争、アロー戦争、セポイの反乱などを乗り切り、大英帝国の覇権と繁栄を象徴する人物となったが、晩年にはプロイセン宰相ビスマルクとの折衝に失敗し、ドイツ統一の地歩を固められることになる。本作では超技術によって死を免れ、長く英国を指導することになるのだが、その独特の描かれ方に、パクス・ブリタニカと呼ばれる大英帝国に対する作者の批判意識を見ることもできるだろう。
 実際、多くのスチームパンク作品がそうであるように、大胆な歴史改変によって描かれる本作の「もうひとつの世界」は、現実の英国、ヨーロッパ、世界に対する批判がその基調にはある。文化的な引用を駆使して、チープでエネルギッシュな世界を作り出しながら、過度にシリアスにならずあくまでエンターテインメントの狂騒として「もうひとつの世界」で遊ぶのだ。
 その意味で、英国人でありながら国外を転々とし、最後まで英国になじめなかったと言い、インドから中東、エジプトまでを探検した冒険家、偽善的なヴィクトリア朝文化に敵対し、『千夜一夜物語』の翻訳などの過激な活動を行った文人でもあるバートンは、まったくもって主人公とするにふさわしい(ちなみに本作の冒頭で名乗るフランク・ベイカーという名前は、バートンが詩編"Stone Talk"を発表したときに用いたペンネームである)。本作でも少しだけ出てくるが、バートンはインド時代、四十匹もの猿を飼育し、その言語を書き留めた六十語に及ぶ単語帳を作るなど、言語に対する天才的な感覚と、異文化への先入観を排した柔軟な知性の持ち主だった。その批判的姿勢は、本作でもさまざまな場面で展開される。
 また、バートンの死後、自身の強烈なカトリック信仰に基づいて、草稿や手紙など多くの資料を焼却し、みずからの理想通りのバートンを描いた伝記を上梓した夫人イザベルが本作で見せる溌剌とした姿には、作者のはっきりした主張を読みとることができるだろう。

 なお、本国イギリスではシリーズ第二期となる新三部作が今年までに刊行されている。続刊の内容を先取りで少し紹介しておこう。
 第四巻The Secret of Abdu El-Yezdi(ヤズドのハジ・アブドゥの秘密)は一八五九年、ナイル川の水源を「発見」したバートンの帰国場面から幕を開ける。史実ともこれまでの作品とも一致しないこの冒頭からも明らかなとおり、一八四〇年の暗殺事件こそ起こっているものの、第一巻~第三巻とまったく異なる歴史を歩んだ世界が舞台となって、新たな冒険がはじまるのだ。スウィンバーンをはじめ、シリーズ既出のあの人やこの人も、それぞれ別の人生を歩んだ存在として登場する。もちろんただのパラレルワールドではなく、読み進めていくうちに既刊三巻とのよもやの関わりも明らかになっていく変幻自在のプロットは健在。本書で顔見せ程度に登場した“彼”も、本格的にその正体を現すという。残念ながら今のところ邦訳刊行は未定(本三部作の人気次第)ということなので、読者諸氏の応援を是非ともお願いしたい。


(2016年1月5日)


■ 渡邊利道(わたなべ・としみち)
1969年生まれ。作家・評論家。2011年、「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」で第7回日本SF評論賞優秀賞を受賞。2012年、「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。



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