Science Fiction

2015.11.05

渡邊利道/アン・レッキー『叛逆航路』(赤尾秀子 訳)解説(全文)[2015年11月]

渡邊利道 toshimichi WATANABE


叛逆航路
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 本書はアメリカの作家アン・レッキーの第一長編Ancillary Justiceの全訳である。
 現在とはかなり隔たった文化習慣を持つ人類が銀河全域にひろがった遠未来を舞台に、かつて宇宙戦艦のAIだった一人の兵士を語り手として、宇宙を揺るがす陰謀と冒険、そして妖しく情熱的な人間関係を濃密に描く。ミリタリーSFやニュー・スペースオペラのアイディアも受け継いだ、新時代のエンターテインメント本格宇宙SFの開幕編。
 二〇一三年に発表されるや、同年度のネビュラ賞(長編部門)、英国SF協会賞(長編部門)、キッチーズ賞(新人部門)、一四年度のヒューゴー賞(長編部門)、ローカス賞(第一長編部門)、アーサー・C・クラーク賞、英国幻想文学大賞(新人部門)と、英米の主要SF賞を総ナメで受賞。新人のデビュー長編としては、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』の四冠(ヒューゴー賞、ネビュラ賞、フィリップ・K・ディック賞、SFクロニクル誌読者賞)、 パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』の五冠(ヒューゴー賞、ネビュラ賞、 キャンベル記念賞、ローカス賞、コンプトン・クルック賞)を凌ぐ、英米では史上最多となる七冠を達成した超強力な話題作である。

 巨大な武力を背景に版図をひろげている専制国家ラドチと、「蛮族(エイリアン)」プレスジャーの緊張関係が続いている遠未来の宇宙。辺境に位置する極寒の惑星を、「ブレク」と名乗るラドチの元兵士が、ある目的のために訪れていた。誰とも余計な関わりを持つ気などなかったのだが、マイナス十五度の大地にあろうことか全裸で行き倒れになっている、元上官のセイヴァーデンに遭遇。自分でも不可解な情熱に駆られ、酷い薬物中毒の状態で足手まといにしかならないのに多大な犠牲を払って救助してしまう。ようやく意識を取り戻したセイヴァーデンは、ブレクのことをまったく覚えていない。それもそのはず、ブレクはかつてセイヴァーデンが乗り組んだ兵員母艦〈トーレンの正義〉のAIにして「属躰(アンシラリー)」だったからだ。かくして不信と反目を抱き合ったコンビによる、帝国の存亡に関わる戦いと冒険の旅がはじまる……。

 ローマ帝国を思わせる武断的な階級社会を背景に、数千年に及ぶ長い時間で展開する陰謀とロマンスが銀河を股にかけて繰り広げられる物語は、作品の骨格に関していえば、ロイス・マクマスター・ビジョルドやC・J・チェリイといった作家たちが得意とするミリタリーSF的なスペースオペラである。またAIと人間の関係の掘り下げ方は、アシモフの〈未来史〉と共通する要素もあり、帝国の文化にオリエンタルな色彩があって植民地のさまざまな宗教や習慣が書き込まれているところなどには文化人類学SFの趣もある。付録の用語解説と年表に示されているような緻密で複雑な設定によって構築された多彩で奥行きのある世界で、個性的なキャラクターたちによる波瀾万丈の冒険が展開するストレートな娯楽作品だ。
 サブジャンル的にはとてもオーソドックスなエンターテインメントSFである本作の、文体やプロット構成にまで影響を与えている個性的なアイディアが二つある。
 ひとつは原題にもなっているアンシラリー(属躰)という設定。Ancillaryとは、一般的には「従属するもの」という意味で、人間であれば従者や召使い、モノであれば付属品とか備品を指す言葉である。「属躰」という訳語が当てられている本作の中では、宇宙戦艦のAIを、戦闘用に改造を施した人体に上書きダウンロードした生体兵器のことを指している。詳細な設定は用語解説を参照して欲しいが、この「属躰」たちは、複数の個体で自我を共有している集団人格である。
 ところが本作の語り手であるブレクは、この「属躰」でありながら、物語の冒頭から展開する現在時においては、ある事情から一人だけ孤立した状態となっており、章ごとのカットバックで語られる回想においてのみ、集団として語る。
 なぜそのような孤立に陥ったのかというのが、重要な謎として物語を牽引することになるのだが、文体的な効果はそればかりではない。なにしろ、複数の個体に語りの主体が散らばっているために、それぞれの個体がいる場所から見た情景が、シームレスに並列して語られるのだ。またAIなので一千年の時を超えて生きている上に、その膨大な経験のすべてを忘れることがない(ちなみに、人間の寿命は二百年以上であるようだ)。そのために空間的にも時間的にも、普通の人間を大幅に超えた自由さを獲得しており、語りの自由度が半端なく、読者はまるで前衛小説を読んでいるかのような感覚さえ覚える。またAIという設定が、SF的に物語において非常に重要な鍵となっているのも指摘しておこう。
 もうひとつのアイディアは、ラドチの市民は性別を気にせず、ジェンダーを区別する言葉が存在しないという設定である。そのためラドチの言葉では三人称の代名詞がすべて「彼女」となる。さらにラドチ圏以外の人類には性の区分が言語や文化を決定づけているケースもあり、身分を隠しているブレクは会話において相手のジェンダーを判断するために試行錯誤しなければならなくなるのだ。
 これは物語の細部としても面白い設定だが、それ以上に、小説の語りの中で三人称の代名詞がすべて「彼女」となっているために、登場する人物の性別が判然としないというのが、非常に独特な効果をあげていて、単に面白いという以上に興味深い文体となっている。
 ジェンダーという概念は、生物学的な性としての「セックス」に対して、文化的・社会的に形成された性としての「ジェンダー」というふうに理解されることが多い。しかし、そもそも生物学自体が人間の文化(学問)である以上、生物学を担う科学者たちの属する社会のジェンダー意識が、すでに生物学の内容に反映されている。つまり生物学的な性と文化的・社会的な性は実はそれほど明瞭に区別できるものではない。ラドチの言語にジェンダーの区別がないという設定は、単に言葉の問題に留まらず、ラドチの社会全体を一種独特の色調で染め上げる。同時に、それを読むわれわれにすでに備わったジェンダー意識のために、その小説世界を理解するのがとても困難に感じさせもする。
 たとえば、小説に登場する人物のルックスを想像するときに、性別が明示されていなければ意外なくらいイメージを明快にするのは難しい。本書を読みながら、自分は登場人物を想像するのにこんなに人物の性別に影響を受けていたのかと少々たじろいだくらいだ。
 そしてそのために本作は、一種独特な謎めいた雰囲気をまとった色気のある小説になっている。「彼女」という代名詞の選択は、もちろんアーシュラ・K・ル=グインの作品を連想させるものだが、ル=グインの作品が、フェミニズムをかなり積極的に「思想として」導入したものだったのに比べると、アン・レッキーの手法は、もっとずっと素朴なSF的外挿法にもとづくもので、小説的効果としてとてもわかりやすい魅力を放っている。
 これら、「属躰」と「彼女」というふたつのアイディアは、小説の文体に奥行きのある自由さや曖昧さを付与している。物語の展開上ブレクの来歴と復讐の理由、そしてその方法が少しずつ明かされていくスタイルになっているために、この文体とあいまって最初は何が起こっているのか、どういう世界なのかもよくわからないかもしれないが、丁寧に読み進めていけば、途中から一気呵成にぐいぐい引っ張り込まれていくに違いないので、ぜひとも微妙な宙づり感覚を楽しみながら読んでいってもらいたい。なにせ七冠である、それで期待を裏切られなかった読者がいっぱいいたということなのだから。
 そしてまたもちろんこの作品は技法的実験を試みたニューウェーヴ的な小説ではない。この文体的な仕掛けは、もったいぶった思わせぶりのためにあるわけではなく、物語に登場する人物(ブレクも含む)たちの「関係性」を、より繊細に描き出すためのものである。ローマ帝国的な階級社会や占領地でのポストコロニアルな描写、あるいはAI兵士という集団人格の特殊性や、そこから脱落したブレクの孤独やアイデンティティーの揺れといったさまざまなシチュエーションも、「彼女」たちがみずからの立場に応じ、お互いに対して持つ感情を際立たせるための舞台装置のようであり(もちろん緻密に構築されたそれらはSF読者にはそれ自体で大変魅力的だが)、場面ひとつひとつに込められた感情の生き生きしたリアリティが最大の読みどころである。なんといってもロマンティックな小説なのだ。

 著者について。一九六六年三月二日、オハイオ州のトリードに生まれる。ミズーリ州のセントルイスでSFファンとして育ち、ワシントン大学では音楽の学位を取得(音楽と歌は本作でも重要な細部として全編に鳴り響いている)。卒業後は大学の教員クラブでのウェイトレス、土地測量のクルー、レコーディング・エンジニアなどの仕事に就き、九六年に結婚。二人の子供を育てる傍ら小説を書きはじめ、クラリオン・ウェスト・ワークショップなどで腕を磨く。二〇〇六年には本作の原型となる作品に着手し、一二年に完成。翌年にオービットブックスから出版されて以後の成功ぶりについては本稿の最初で触れた通り。
 本書は各巻ごとに単体で物語が完結する三部作の第一部として構想され、第二部Ancillary Swordは一四年に、第三部Ancillary Mercyは一五年に刊行されている。
 個人サイトのURLはhttp://www.annleckie.com/。ツィッターアカウントは@ann_leckie
 第二部(邦題『亡霊星域』)は、本作の終わりから約一週間後、ブレクとセイヴァーデンがラドチ圏内では僻地の星系にあるアソエク・ステーションに向かうところからはじまる。恒星間ゲートが二カ所にわたって破壊されたというのだ。さまざまな場所や時間を激しく移動した本作とはガラリと変わって、アソエクというひとつの場所で、時間の流れに沿って事件が語られるミステリ的展開を示す作品で、ラドチの詳細な設定や、皇帝アナーンダ・ミアナーイや「蛮族」プレスジャーについてもさらにいくつかの秘密が明らかとなる。
 二〇一六年春に本文庫で翻訳刊行予定。ご期待ください。

(2015年11月5日)


■ 渡邊利道(わたなべ・としみち)
1969年生まれ。作家・評論家。2011年、「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」で第7回日本SF評論賞優秀賞を受賞。2012年、「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。



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