――パルタージュ partage とはフランス語で「分割」「共有」「分有」の意。
 小林秀雄は〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない〉と書いたが、想像力というようなものはなく、あるのはただ、個々の想像だけだとも思う。
 それでもなお、想像力(を分有すること)をこの文章の目的に置いて、インタビューを含む取材を始めたい。予定しているインタビュイーはそれぞれの領域の最前線におられる方たちであり、そこはまさに想像と想像力の境界線なのだから。そしてこれまで同様、これからのSFの言葉もまた、その線の上に存在するに違いない。


『想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして』
第24回 金属で記述する物語――東京藝術大学鍛金研究室より【後編】

高島 雄哉 
yuya TAKASHIMA

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  アーティストであり東京藝術大学の准教授である丸山智巳先生のアトリエは神奈川県藤沢市にある。生まれ育った実家の一階を改造してアトリエにしている。アトリエの手前はガレージになっていて、そこにはバイクやサーフボード、卓球台やソファが置かれている。サーフィンは子供の頃からずっとしているという。そこはリラックスをするための空間なのだ。一方アトリエは、丸山先生いわく「制作の連動性を考えて」設計された、整然と工具の並んだ工房になっている。

photo1_atelier.jpg photo2_hammer.jpg  いま丸山先生はレスラーの新作に取り組んでおられるという。先生は東京藝術大学に学生として通っていたときから〈物語〉と〈人物〉をテーマに、鍛金技法を用いて作品をつくり続けている。鍛金とは金属板を金鎚で叩いて変形させていく技術だ。下の写真「WRESTLER」は2016年の作品(銅/銀箔/漆/H 140×75×35cm)。

photo3_wrestler.jpg 「覆面をしたレスラーにはその覆面の下に、閉ざされた内面性、より個人的な物語を感じます」
 鍛金の基本技法である〈絞り〉では、当て金(あてがね)と呼ばれる金属棒を立て、その端に金属板を載せて金槌で叩いていく。当て金の端は丸く磨かれていて〈鏡〉と呼ばれる。金鎚の頭も〈鏡〉といい、金属板をはさんで、ふたつの鏡がきれいにぶつかるように叩く。
 右手には金槌、左手は当て金のうえの金属板を支える。叩くべき位置は左手でだいたいの見当はつくが、正確な位置は金槌で叩いたときの音で探っていく。金属板と当て金がズレているところを叩くと低い音がするが、接しているところを金槌の鏡で真正面から叩くと高い金属音が響き渡るのだ。
 アトリエで実際に叩いている動画を撮影させていただいた。以下のリンク先で丸山先生の鍛金技法を映像で見ることができる((※動画ファイルはYouTube内、東京創元社チャンネルに置かせていただきます))。



photo4_maruyamasan.jpg  工芸は伝統的に道具と芸術作品という二つの側面を併せ持つ。本連載の冒頭に小林秀雄の「花の美しさなどない」という言葉を引用しているけれど、工芸にも同様のことが言える。刀にしろ器にしろ、道具としての機能性と作品が持つ芸術性は渾然一体となっていて、切り離しようもない。
 とはいえ工芸の作り手は自らの芸術観、工芸観に従って、道具と芸術作品のどちらかに重点を置いて創作している。丸山先生の作品は明らかに芸術作品であり、刀や食器のような意味での機能性のある道具とは大きく異なっている。
 ところで、ぼくの妻の母である森恵子も藝大の工芸から院に進んでいて――だから丸山先生の先輩にあたり――今は陶芸作家として活動している(今年の9月17日から24日まで東京のホテルニューオータニで個展「森恵子展」を開く)。義母は丸山先生とは反対に、実際に使える食器を主に作っていて、いわゆる純粋芸術としての陶芸作品は作ろうと思ったこともないという。理由を尋ねると「人間にとって食事は基本となるもので、その食事の場を豊かにする作品を作りたいから」とのことだった。義父も陶芸家で、我が家の食器のほとんどは妻の両親の作品だ。おかげでいつも食卓は華やいでいる。
 一見したところ、丸山先生と義母では作家としてのスタンスもテーマもまるで違うのだけれど、二人とも工芸技術を創作の根幹に据えている点と、アーティストとしての方向性を藝大時代に明確にしたという点では一致している。
 藝大では――技術はじっくり教えられるし個展の開き方なども情報共有されるけれど――アーティストになるための方法を座学形式で教えているわけではない。学生たちは藝大という場で、自らの芸術を実現するための〈暗黙知〉を教官や他の学生から感じ取っていくのだ。
 前回は丸山先生の作品や鍛金技法がテーマだった。今回はアーティストになることについて考えていこう。

 藝大工芸科には彫金・鍛金・鋳金・漆芸・陶芸・染織の六つの専攻があり、大学院では木工とガラス造形が加わる。工芸科の学生は六つの専攻や他の学科を順々に体験して、一年生の終わりに工芸での専攻を選ぶ。
 丸山先生は彫刻にも惹かれたものの、金属を深く追求する鍛金を専攻することに決めたのだった。
 一方、入学後の早い時期から食器に関心があった義母は、陶芸専攻の教官のひとりに割烹などで実地研修をするように奨められたという。食器の扱い方を身につけるためだ。神奈川県の戸塚に住んでいた義母は、鎌倉駅前の割烹を教授に推薦された。
 そこはなんと小林秀雄が常連で、仲居だった義母は直接話す機会こそなかったものの、よく彼を見かけたとのことだった。小林秀雄(1902 - 1983)は東京市神田区に生まれ、第一高校から東京大学文学部仏蘭西文学科に進んでいる。学生時代に中原中也に出会い、文芸評論家となった。
 義母が割烹でバイトをしていた1960年代、小林秀雄はフランスの哲学者アンリ・ベルクソンをテーマにした連載に苦心している真っ最中だった。
 小林の連載『感想』は1958年から始まり、63年に第五十三回で途絶する。数学者の岡潔(おか・きよし)と対談した小林は「書きましたが、失敗しました。力尽きて、やめてしまった。無学を乗りきることが出来なかったからです。大体の見当はついたのですが、見当がついただけでは物は書けません」と『人間の建設』(新潮文庫)で述べている。
 ベルクソンはフランスの哲学者で、物理学が幾何学を用いて記述する〈時間〉ではない、人間的な生命の流動性としての〈持続〉を考察した。1928年にはノーベル文学賞を受賞している。
 「見当だけでは物は書けない」という小林の言葉は、一般的な執筆時の姿勢に関する箴言であることと同時に、ベルクソンの哲学への言及であるようにも思われる。
 物理学では時間や運動を幾何学によって記述する。ニュートンの古典力学にはユークリッド幾何学が、アインシュタインの相対性理論にはリーマン幾何学(微分幾何学)がもちいられ、いずれも時間が幾何学的あるいは空間的に把握され、図示される。特に一般相対論では、時間と空間は混ざり合って〈時空time-space〉という四次元多様体として捉えられる。
 ベルクソンはこうした科学的時間像を一定程度は評価しつつも、それは生命の流動的な〈持続〉を捨象した〈時間の空間化〉であると批判した。
 確かに物理学ではしばしば、時間の長さをあたかも距離のように扱う。四次元時空における距離だって計算できる。
 そして、こうした時間観は物理特有のものではない。歴史年表は時間に目盛りを入れる、典型的な〈時間の空間化〉だ。アーティストの生没年の〈長さ〉から何かを知ったような気分になり、あるいは百年前と現在の〈距離〉から、百年後までの〈距離〉を予想したりする。過去の知見を使って、未来の〈見当〉をつけているわけだ。
 もちろん生活をするうえでは、過去の経験から〈見当〉をつけなければ、初めての道を歩くこともできないし、〈見当〉なしには会話や読書もままならない。ぼくたちは〈見当〉違いの行為をなるべく避けようとする。
 芸術においても〈見当〉はあって、過去の作品と比較するような美術史的な見方は――〈時間の空間化〉とでもいうべき見方は――明に暗に藝大で習得するのだけれど、〈見当〉だけでは新しい作品を見ることはできない。〈見当〉とは所詮、過去に得た知識を現在に延長しているに過ぎないからだ。
 丸山先生の作品のまえに立って――立体作品だから様々な角度から見て――ただ作品に向き合ってみる。たとえば「WALKING WOMAN」は2006年の作品(銅/銀箔H 93×43×58cm)だ。

photo5_walkingwoman.jpg  ぼくたちの認識や解釈の多くの部分は今までに学び知ったこと――〈記憶〉によって強く方向づけられている。あるいは〈記憶〉と共に、作品のキャプションに記されたタイトルや制作年代あるいは技法や素材の名称から、なんとか〈見当〉をつけて、作品を理解しようとする。
 しかしそうした見方は――目のまえの作品ではなく――キャプションや自らの〈記憶〉に向き合っているようにも思える。だからだろうか、作品から離れた途端に、ぼんやりとしたイメージとおぼろげなタイトルの言葉はたちまち消えてしまう。
 あるとき美術史の教授に連れられて、芸術学科一年生の二十人全員で上野の国立西洋美術館に行ったことがある。徒歩数分の距離なのだし、そういう機会はもっとあっても良かったと思うけれど、結局卒業までの四年間で一度きりだった。
 確かレンブラント展だった。教授は学生たちにあまり大きくない声でいろいろなことを語りかけていた。「絵がうまい人は手を描くのがうまいから、手に注目するといい」「展覧会の図録は写真も論文も充実しているものが多い」「絵を覚えるように見ていくように」――特に最後の言葉は、しばしば他の教授たちからも言われたものだ。
 美術史の試験では作品の画像を見せて作品名を書く設問が必ずある。作品を画像として〈記憶〉しておくことは、美術史研究にとって何よりも重要なことなのだ。「ひとつの作品を見て、類作を何点も思い浮かべられるように」とも指導される。
 ということで、ぼくは展覧会に行くと――自由に見るというのが大前提として――なるべく作品を覚えるように見る。ただ別に試験があるわけでもないから、全作品を覚えるわけではなく、気に入った数点だけをできるかぎり〈記憶〉する。せっかく目の前に展示されているのだから、一枚の画像としてではなく、できるかぎり近づいて細部まで見て、作品全体を物体として〈記憶〉に留めるのだ。もちろん努力目標として。

 丸山先生は大学院を修了して藝大の教員になってからずっと、鍛金専攻の学生たちを指導し続けている。
「鍛金の技法はもちろんしっかりと教えます。作品づくりについては、学生が困っているときに、自分の経験からヒントになりそうなことを話すくらいですね。一人一人違いますから言い方は変えて」
 技法はもちろん教えられるし、創作についても――丸山先生には豊富な経験があるのだから――学生が考えたアイデアをどう具体化すればいいかを実践的にアドバイスできる。
 ではアイデアがないと言っている学生についてはどうするのだろうか。実際、そういう学生はいる。実技の厳しい入試を突破して気が抜けたとか、いざ入ってみるとまわりが優秀で意気消沈したとか、それでそのまま何もせず、卒業直前になって慌てて卒業制作をして、といった話もあったりする。
「入学前に自分がなにを作りたかったのかを考えるようにアドバイスしますね」
 高校を出て化学プラントで製缶技師(タンクなどを作る技術者)をしていた丸山先生はだんだんと自分自身の作品を、〈物語〉をもつ〈人間〉を作りたくなった。それは今も変わらない。2014年には「STANDING MAN」(銅/銀箔/漆 H121×41×35cm)を作っておられる。

photo6_standingman.jpg
(2017年8月8日)



■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。2016年『ゼーガペインADP』SF考証、『ガンダム THE ORIGIN IV』設定協力。twitterアカウントは @7u7a_TAKASHIMA 。





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