太陽のまわりを四日で回っている木星型惑星や、太陽の前を横切って一瞬光を隠すトランジット惑星など、それまで予想もしなかった異形の系外惑星が次々と発見されていたのだ。
 しかもトランジット惑星は二〇〇〇年に発見されたばかりで――つまり当時としては、つい一年前のことで――まだこの分野の研究者は少なかった。量子力学の黎明期には多くの才能が結集したことが知られている。魅力ある分野には、早晩多くの有能な研究者が関心を持つ。逆に言えば、百年前から知られている重要なテーマは既に多くの天才達によって研究され尽くされており、難解な問題しか残されていない。
 「上から数えても下から数えても一番と、ぼくはよく言うんだけども、例えばスーパーのレジなら誰でも空いている列を選んで並ぶでしょう」と先生は微笑んだ。「もしもぼくが研究しなかったら誰もやらないかも知れない。そんな分野を見つけたいね」
 いま須藤先生はどうやれば系外惑星の表面に生命の存在の兆候を発見できるかを研究している。遠方の惑星は宇宙望遠鏡をもってしてもほんの一ドットにしか見えないけれど、惑星は自転しているからそのドットの色は周期的に変化する。その色の変化する割合から生命の存在の証拠――バイオマーカーが見つかるかもしれないのだ。

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 現在の技術でも、十光年ないし二十光年の距離に地球と全く同じ惑星があれば、ハッブル宇宙望遠鏡よりも少し大きい程度の専用宇宙望遠鏡を打ち上げて数週間観測し続ければ、そこに生物が存在するかどうかわかるはずだという。ただ、現実的には惑星に雲がかかっていれば表面の観測は難しく、宇宙望遠鏡を打ち上げるための予算の問題もある。今は様々な方法論を開拓中という。
 実際に地球外生命が存在すると明らかになれば――ただ単純に、それが存在してもおかしくないと思うことと、きちんと科学的に証明することはまったく別の話であって――地球の表面に暮らすぼくたちの生命観、世界観を大きく変える〈夜〉が来ることになるだろう。
 この、須藤先生の――地球外生命にまで繋がっていく――系外惑星との出会いの瞬間には、とても重要な教訓が含まれている気がする。
 新しい言葉は自分一人で不意に閃くようなものではなく、誰かから聞かねばならない。しかもそれを魅力的だと感じ取らなければならない。そしてそれはまだ、ごくごく少数の人にしか聞かれていない言葉なのだ。
 古い言葉であれば書物に載っているか、あるいは石碑に刻まれているかもしれないが、新しい言葉はインターネットにも存在しない。論文にも書かれていない。誰かから聞くしかないのだ。
 そしてせっかくの新しい言葉も、その魅力をぼくが感じ取ることができなければ、他の無数の言葉に紛れてしまう。
 これは情報収集力というよりは、知的感受性の問題だ。

 ありとあらゆる知的営為は〈感じ取れるか感じ取れないか〉の境界で行われている。最先端の研究だけではない。たとえば読書の冒頭でその全体が感取できてしまったら、あるいはしばらく読み進めても何一つ感取できなかったら――いずれの場合にも読み進める確率はかなり減るだろう。探し物はいつも、見つかるか見つからないかの境界線上にある。
 新しいSFあるのだろう。〈タイムマシン〉や〈銀河帝国〉と同じように、その存在についてぼくたちの想像力を無限に掻き立てて、〈感じ取れるか感じ取れないか〉の境界に顕在化する。
 別れ際、先生はぼくに励ましの言葉をかけてくださった。いま思うと、あの頃のあらゆる一瞬に、物理学を学ぶ者に対する励ましが含まれていたような気がする。それは物理学が宇宙の美しさを信じていることに由来するのかもしれない。

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 赤門が見えてくる。正門は伊東忠太の設計だが、こちらは元々は加賀藩の上屋敷の門だったものだ。朱塗りの門扉の上には重厚な瓦屋根がある。門を出ると本郷通りだ。四車線の幅広の横断歩道を渡る。本郷三丁目駅までの十分ほどの道には飲食店が並び、その中にかつて一軒のゲームセンターがあった。ぼくも通学していたときにはパズルゲームや格闘ゲームに興じた店だったのだけれど、何年も前に喫煙所に衣替えをしたようだ。中を覗くとゲームの筐体の代わりにベンチと灰皿があって、壁にはタバコの自販機が並んでいる。
 ここは入り口が狭いこともあって、当時はゲーマーしか知らなかっただろうし、今は喫煙者しか知らない可能性が高い。ゲームあるいはタバコに関心がなければ、おそらく存在にすら気付くことのない場所なのだ。
 その方向への感受性がなければ見つけられないということは確かにある。ぼくが新しい言葉への感受性を持ち合わせているかはわからないけれど、とりあえず今日のところは、十五年ぶりの〈夜〉に恩師の講義を受けて様々な知的刺激をいただいたおかげだろう、〈感じ取れるか感じ取れないか〉の領域に飛び込む気になっている。
 これは小説を書いていこうと決めた時の気分に似ている気がする。あの時ぼくは物理学科の四年生で、小説を書き始めたばかりだった。既に新人賞には一つくらい落ちていただろうか。
 十五年前、まさかこんな〈夜〉が来るなんて、想像もしなかった。先生も同じ感想を持たれているかもしれないけれど。
 しかし物理法則で禁止されていない以上は、どんな〈夜〉だってありうるのだ。この宇宙になければ、別の宇宙を探せばいい。SFにはそれができるのだから。

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 かつてのゲームセンターを後にして、ぼくは歩きながら想像する。
 十五年後の今日ぼくが見るかもしれない夜を、そして無数の系外惑星上の地球外生命体をやわらかく包み込む美しい夜を。

※(来月は将棋とシンギュラリティ(技術的特異点)です)


須藤靖(すどう・やすし/東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授)
1958年高知県安芸市生まれ。1986年東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了、 理学博士。2009年~2013年、プリンストン大学宇宙科学教室客員教授兼任。主な研究分野は観測的宇宙論と太陽系外惑星。著書に『ものの大きさ』、『解析力学・量子論』、『人生一般二相対論』(いずれも東京大学出版会)、『一般相対論入門』(日本評論社)、『三日月とクロワッサン』、『主役はダーク』『宇宙人の見る地球』(いずれも毎日新聞社)など。

(2015年6月5日)



■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。



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