Science Fiction

2007.03.05

菅浩江『シエラ』の頃[2007年3月]

『シエラ』の頃

稀有の想像力に彩られた第1長編

07年3月刊『ゆらぎの森のシエラ』

菅 浩江

 高校生の時に、矢野徹さんのご紹介で〈SF宝石〉誌に「ブルー・フライト」が掲載されるという、タナボタとも言える短篇デビューをしました。それ以来、SF大会スタッフ、SFショップ「ゼネラル・プロダクツ」のアルバイト、そして映像会社「ガイナックス」の手伝い、と、仲間といっしょに楽しく過ごしていましたが、周囲がどんどん実績を上げて有名になっていく中、「もう書かないの?」と訊かれる我が身に忸怩たるものを感じていました。

 ゼネプロがガイナックスと一緒になる時に誘われ、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』コミック版原作の原稿料を握りしめて私も上京。「二年やって再デビューできなかったら、京都に戻ってOLになる」と母に言い置いての背水の陣でした。

 畳にダニがいるアパートに引き籠もって、自分に「一日二十枚」のノルマを課していた私は、今の自分からは信じられないくらいに真面目だったと思います。

 できあがった二百枚ほどの原稿は、タニス・リーふうのきらびやかな描写に憧れて書いた自己満足の幻想小説。それを、持ち込み先の朝日ソノラマ編集者にあっさり没にされ、では、と、当時のヤングアダルト潮流を横目で睨んだシノプシスを、半ば意地で出しました。

 提出したのは二案。ひとつは「学校の裏手にある滝の中に不思議な甲冑を発見する」学園SF冒険もの。もうひとつが、この『シエラ』の原型となるもの。編集さんに「ファンタジーのほうで」と言われてから半年後に、大量の切り貼りのある汚い原稿用紙を提出しました。

 後日、出版決定の報をくださった編集さんが、「没を出されても戻ってくる(次の原稿を書いてくる)人は珍しいんですよ」と、にっこり笑ってくださったことを、今でも鮮明に覚えています。刷り上がった緑の背表紙の本を、「ああ、これで、私が死んでもこの本は国会図書館に残るんだなあ」と、しみじみ眺め回した気持ちは忘れられません。本さえ出せればあとの人生は楽勝だと信じていた若さは、気恥ずかしくも懐かしい。

 今回、著者校正をするにあたって読み返すと、SFでバイオでファンタジーで、精一杯の大技と精一杯の描写力を籠めた『シエラ』は、俗に言われるとおり「デビュー作にはその作家のすべてが詰まっている」のだと改めて感じました。同時に、あの頃の自分自身のことをあれこれと思い出し、「デビュー作にはその作家の立っていこうとする初心もしっかり刻まれているのだ」とも。

 多作とは言えませんがそこそこに作品を出し続け、大きな賞もいただいて、けれどちょっとパワーが弱まってしまったこの時期に『シエラ』が再刊されるのは、きっと小説の神様が「初心を思い出してもう少し頑張れ」と励ましてくれているのだと思います。

 初夏には〈ミステリーズ!〉で連載していた連作短篇が単行本で出る予定(東京創元社初の、再刊でない日本SF!)ですので、これと合わせて、スガヒロエの来し方行く末を楽しんでいただければ幸いです。

(2007年3月)

菅浩江(すが・ひろえ)
1963年京都府生まれ。81年、短編「ブルー・フライト」でデビュー。91年、92年の『メルサスの少年』「そばかすのフィギュア」で第23回、第24回の星雲賞を連続受賞。2000年、『永遠の森』で第54回日本推理作家協会賞、第32回星雲賞を受賞。著作に『ゆらぎの森のシエラ』『雨の檻』『プレシャス・ライアー』『歌の翼に』などがある。最新刊は『おまかせハウスの人々』。

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