Science Fiction

2012.12.05

霜月蒼/ジェイムズ・ボーセニュー『キリストのクローン/覚醒』解説[2012年12月]

神ヤハウェと神の子クリストファーの全面戦争に向けて
物語はどんどん加速し、
前二巻に埋め込まれていた伏線を回収しながら、
この上なくショッキングな真相にたどりつく。
「アンチクライスト・スーパースター」
(12年12月刊『キリストのクローン/覚醒』解説[全文])

霜月 蒼 aoi SHIMOTSUKI

 

 本書はジェイムズ・ボーセニューによる《キリストのクローン》三部作完結編、Acts of Godの全訳である。先立つ二巻をお読みになった方はご存知のように、これは映画《アルマゲドン》 《2012》などを思わせる巨大な災厄を描くSFスリラーである。
 第二作ラストの衝撃を引き継ぐ本書は、それをさらに上回るショッキングな展開をみせる。あれ以上にショッキングな出来事など起こりうるのか、とお思いだろうが、起こりうるのである。恐るべき小説といっていい。

 ざっと前二巻の内容をおさらいしてみよう。
《聖骸布》から採取されたイエス・キリストの細胞をもとに生まれたクリストファー・グッドマン。やがて救世主としての使命を知った彼は、それを果たすべく外交官となる。世界ではテロリズムや戦争、さらには膨大な数の人間が突然死を遂げるなどの異変が頻発し、急速に終末の気配を濃くしてゆく(『キリストのクローン/新生』)。
 一方、「使徒ヨハネ」を名乗る男が現われ、KDPというカルト集団を率いて勢力を強めてゆく。そして彼らの終末預言と呼応するように、《ヨハネの黙示録》そのままの災厄が地球を襲い、国連事務総長となったクリストファーも暗殺されてしまう。だが彼は死から復活。ヨハネらを誅し、告げる――神ヤハウェは異星人であり、母星に背いて地球を支配しはじめた反逆者である。サタンは、ヤハウェと対抗して、「人間ひとりひとりが己の神である」という母星の意思を伝えようとする者だと……(『キリストのクローン/真実』
 そして本書がはじまる――ヤハウェ率いるKDPと、クリストファー陣営との戦いは激化の一途をたどる。クリストファーらが国連本部をバビロンに移し、KDPとキリスト教原理主義者への全面攻撃にそなえる一方、KDPに拉致されたデッカー・ホーソーンは、ヤハウェ信者たちを取り巻く驚くべき状況を目の当たりにすることになる……。
 神ヤハウェと神の子クリストファーの全面戦争に向けて物語はどんどん加速し、前二巻に埋め込まれていた伏線を回収しながら、この上なくショッキングな真相にたどりつく。
 このショックこそが、《キリストのクローン》という長大な物語を通じて、著者ボーセニューが目論んでいたことに他ならない。このショックを、何の予備知識もなしに浴びるのが本書の最良の楽しみ方だと思う。だから読者のみなさんには、ここで解説を読むのをいったんやめて、本編を読みはじめていただきたい。きっとあなたは大変なショックを受ける。そのあとでふたたび、本稿に立ち戻っていただきたいのだ。

【注記・以下は本書を読了後にお読みになることを推奨します】
 さて、三部作全体のネタバレを回避するために、前二巻の解説で意図的に言及しなかった事実がある。それは、《キリストのクローン》三部作は一般的なエンタテインメント小説として書かれたものではないという事実だ。本三部作は、アメリカの出版界で「クリスチャン・フィクション」と呼ばれるカテゴリに属する作品なのである。
 日本では知られていないジャンルだが、「クリスチャン・フィクション」はアメリカで堅実なマーケットを築いている。そのなかには大抵の「ジャンル小説」が含まれており、SF、スリラー、ロマンス、ミステリと多岐にわたっているものの、キリスト教の信仰を持つ読者にカタルシスをもたらすことを主眼にしたエンタメであることは共通する。ちなみに、信仰の問題を創作の根本に据えた作家も「クリスチャン作家」とされることがあり、ファンタジーのC・S・ルイスも、このカテゴリに含まれている。
 「クリスチャン・フィクション」は、アメリカのアマゾン・コムの取り扱い作品数でみると、SFとロマンスでは全体の2%、ミステリ/スリラーでは全体の1%程度を占めるようだ。クリスチャン・フィクション作家の協会も複数存在し、ランダム・ハウスやサイモン&シュスター、ハーパーコリンズといったメジャー出版社もクリスチャン系書籍を発行するレーベルを持っている。アメリカは「敬虔なキリスト教徒の国」の色彩が強い国だから「クリスチャン・フィクション」から大ベストセラーが生まれることもあって、最近ではウィリアム・P・ヤングの長編小説The Shack(邦訳は『神の小屋』サンマーク出版)が、なんと一〇〇〇万部超を売り上げた。とはいえ「クリスチャン・フィクション」が日本から見て激しく異質の小説かというとそうではなさそうだ。多くのクリスチャン・フィクションに冠された形容詞「inspirational」は、日本語にすれば「癒し」とか「元気が出る」とか「泣かせる」あたりに相当するからである。
 このように無視しえないプレゼンスをもつクリスチャン・フィクションだが、日本にはほとんど入ってこない。試みにアメリカのアマゾンのクリスチャン・ミステリのベストセラーリストをみると、謀略スリラー作家ジョエル・C・ローゼンバーグ、コージー風のミステリ・シリーズを書くリネット・イースンなど、耳慣れぬ著者が並ぶ。たまに日本で紹介された場合も、テッド・デッカーの『影の爆殺魔』(扶桑社文庫上下)のように、「クリスチャン」の文脈が外見上、削ぎ落とされることがほとんど。クリスチャン・フィクションとして刊行された例外的な作品に、アメリカでベストセラーとなった《レフトビハインド》シリーズ(ティム・ラヘイ&ジェリー・ジェンキンズ/いのちのことば社)がある。
 そして《キリストのクローン》三部作は、「クリスチャン・スリラー」とでもいうべき作品なのである。この三部作は小出版社で刊行されたあと、大手アシェット・グループ傘下のレーベルからメジャーデビューしたが、そのレーベルFaithWordsは「クリスチャン・ブックス」を専門としており、前述の『神の小屋』もここから刊行されていた。なお、《キリストのクローン》三部作《レフトビハインド》シリーズは、ともに大スケールのスペクタクル・スリラーの体裁をとっていること、「終末を告げる災厄の前に信心深い人々が神の手で救われる=携挙(けいきょ)される」という「患難前携挙説」を鍵としていることなど、多くの共通点を持つ。

 さて、そうした情報を頭に入れて《キリストのクローン》三部作をみると、これがじつに巧妙に組み立てられたクリスチャン・スリラーだということがわかる。
 そもそも本三部作は、単に黙示録的な災厄を描いたスリラーなのではない。黙示録それ自体が現在、現実に起こったらどうなるかを描いたスリラーであり、新約聖書の《ヨハネの黙示録》を語り直したものなのだ。世界の終末にあたってアンチキリストが猛威を振るい、神の怒りによるさまざまな災厄が降りかかる中、多くの人間がアンチキリストに従うが、やがて神が勝利し、キリストによる千年王国が訪れる――これが黙示録の大枠であり、《キリストのクローン》三部作のストーリーはこれをきれいになぞっている。
 《ヨハネの黙示録》は、「アンチキリストの甘言に誑かされた者は破滅し、神を信じた者は救済される」預言/物語と要約できる。キリスト教には「信仰を試される」「試練に耐えることで救済に近づく」という考え方が強くみられるが、《キリストのクローン》三部作は、SFスリラーの物語を梃子にして読者の信仰を試すつくりになっている。すなわち、強大な敵と戦う主人公としてクリストファー・グッドマンを描き、彼が語る「神は人間に悪意を持っていないのなら、なぜ世界には争いや非道や天災が絶えないのか」「人間はひとりひとりが自身の『神』となるべきで、信仰の違いで差別されるべきではない」といった現代的な言葉で、読者をクリストファーに共感させる。一方で最後までクリストファーに従わないキリスト教原理主義者は狂信者として描かれる。善なるクリストファーvs悪たる神の対決の構図を、スリラーの物語によって読者の中に定着させるのである。
 そして最後の最後に梯子を外す――それが完結編たる本書の後半部分だ。クリストファーは悪意で動くアンチキリストであり、彼に従った者(読者)は棄教による破滅を迎えることになる。最後に勝利するのは「狂信者」にみえた原理主義者たち。――ボーセニューは悪を善なる主人公のごとく描くことで、わたしたち読者を、アンチキリストに誑かされる愚かなる登場人物として、黙示録のなかに誘い込んでみせたのである。
 ここでようやく、本作冒頭の注意書きの真意がわかる――これは冒涜的な書物に見えるかもしれないが、最後まで読めばそうではない、と著者は言っていたのだ。

 しかし本書の結末は容易には受け入れがたいものがある。わたしは特段の信仰を持っていないし、自身の道徳や倫理を担保するのは「唯一神」への畏怖ではなく、内なる理性と社会通念だと思っている。そんな無神論者/異教徒の眼から見れば、本書は、信仰をベースに「愛」を訴えるC・S・ルイス作品などとは同列に置けない攻撃性と排他性に満ちているように見える。信仰を試すために人間が億単位で死に、リベラリズムの信奉者は容易に頽廃し、惨死し、非キリスト教徒は全滅する。キリスト教は物証によって支えられた唯一の宗教だと優越性を語る場面もある。これは恐ろしい主張にみえる。
 しかしスリラーにおける「敵」は、それが書かれた文化圏の価値観をつねに投影してきたものだ。第二次大戦を舞台にすればナチスが、冷戦時代にはソ連が、非対称戦争の時代には中東が、主人公の敵となってきた。ミッキー・スピレインの一九五一年作品『寂しい夜の出来事』(ハヤカワ・ミステリ)では、主人公マイク・ハマーが共産主義者への憎悪を叫んでトンプスン短機関銃を乱射していた。だからキリスト教右派のスリラー読者にとって、敵がリベラルな異教徒でありアンチキリストであるのはごく自然なことなのだ。
 本来は個々の教徒に内在する信仰の揺らぎの象徴だったはずの「アンチキリスト」。それはキリスト教の歴史の中で、具体的な「信仰への敵」に与えられるレッテルとなっていった。キリスト教徒を弾圧したローマ皇帝がそうだし、プロテスタントはカトリックの総帥たる教皇をアンチキリストに擬したし、ヘンリー・キッシンジャーのような政治家がアンチキリストとされたこともある。《キリストのクローン》三部作における「アンチキリスト」は、「リベラルな立場で、ニューエイジ思想を許容する国連事務総長」である。ここに、アメリカのキリスト教右派の価値観を透視することができる。
 エンタテインメント小説には、それを生んだ文化圏の裸の姿が映し出されるのである。本三部作にあるのは日本人には見えないアメリカ、日本人の知らないアメリカ白人、ニューヨークやロサンジェルスといった都市とは異なるアメリカ、しかし無視しえない存在感を持つ「アメリカ」の姿だ。
 キリスト教徒が少数派となる日本の読者にとって、《キリストのクローン》三部作は二段構え、三段構えの驚愕をもたらすということなのだ。まずはショッキングなドンデン返しを仕込んだスリラーとして。次いで信仰というものがどこまで無慈悲になりうるかを示すテキストとして。そして「アメリカ」という国の知られざる文化と価値観を教えてくれる書物として。

(2012年12月)

霜月蒼(しもつき・あおい)
慶應義塾大学推理小説同好会OB。ミステリ研究家。


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