Science Fiction

2018.02.26

SF不思議図書館 愛しのジャンク・ブック 第2回(1/2)

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SF不思議図書館 愛しのジャンク・ブック
第2回 超人作家シルヴァーバーグ

小山 正 
tadashi OYAMA

【はじめに 不思議な海外SFを探したり読んだり】
【第1回 クイズに答えてSF博士になろう】

1 現代SF界の生ける伝説

 書誌研究や作品分析、あるいはメディアの調査のおかげで、それまで「誰?」と思われていた著者が、既存の作家の別名義だと明らかになることが、ままある。
 つい最近も、長篇ミステリ『カッコウの呼び声 私立探偵コーモラン・ストライク』(2013)を書いたロバート・ガルブレイスが、実は《ハリー・ポッター》シリーズの作者J・K・ローリングのペンネームだと判明し、大騒ぎになった。
 別名で発表するのは、それぞれの理由や思惑があるのだろう。しかし、研究家やファンにしてみれば、それが明かされることで作者の別の顔に触れることができるし、鑑賞の視座も広がる。この際だから、著者の複雑な事情にはフタをして、秘密のペンネーム作品を大いに楽しもう!――というのが、今回の「SF不思議図書館」の方針である。
 例えば――SF作家だと、超ベテラン作家ロバート・シルヴァーバーグの別名義作品がそう。
 言うまでもなく、シルヴァーバーグは現代SF界の生ける伝説だ。生まれは一九三五年。十八歳でデビューし、プロ作家としてのキャリアは六十年以上。八十三歳の今も、米国のSF専門誌〈アイザック・アシモフズ・サイエンス・フィクション・マガジン〉の巻頭コラムを、アシモフの死後引き継いで、毎号健筆を振るっている。
 わが国でも昨年、創元SF文庫からタイムトラベル・テーマの長篇『時間線をのぼろう』(1969)が伊藤典夫氏の名訳で甦った。私も久しぶりに読み直してみたが、いやあ、面白い。物語に勢いがあるし、ラストのドンデン返しも見事。半世紀前の作品なのに、新鮮な気持ちで楽しめた。
時間線をのぼろう
 そんな『時間線をのぼろう』を含む、「ニュー・シルヴァーバーグ」と呼ばれる一九六〇年代後半からの作品は、練ったプロットと深い思索が見事に融合している。他にも、清々しい気持ちになる幻想的な連作長篇『夜の翼』(1969)や、奇怪な惑星を舞台に魂の彷徨を描く長篇『大地への下降』(1969)など、SF史に燦然と輝く名品ばかりだ。
 男女の性愛をネチっこく描くのも特長で、作品によってはアダルト度が高い。『時間線をのぼろう』もそうだが、他にもネビュラ賞を取った長篇『禁じられた惑星』(1971)や短篇「憑きもの」(1968)などは、性のタブーに挑んだ先駆的なSFだが、性の享楽をアグレッシブに肯定する著者の主張に、とまどう読者もいるかもしれない。

2 超人的な執筆量と秘密の過去

 シルヴァーバーグはデビュー当時から量産タイプの作家で、二十代には「小説工場」と称された(注1)
 一九七七年に刊行された文庫版『夜の翼』の浅倉久志氏の解説によれば、SF専門誌〈ファンタジー・アンド・サイエンスフィクション〉一九七四年四月号に、シルヴァーバーグの作品数が次のように載っていたという。
2MFSF1974年4月号.jpg  「一九五五年からの約二十年間に、本名とペンネームで発表した作品は、SFの短篇が約二百八十篇、SFの単行本が(ジュブナイルを含めて)六十二冊、SFアンソロジーが二十二冊、ノンフィクションが六十二冊」
 一方、一九八〇年に英国で刊行されたインタビュー集 Who Writes Science Fiction?(チャールズ・プラット編、サヴォイ・ブックス)を見ると、「シルヴァーバーグは本名とペンネームを使い、七十作以上のSF長篇と、六十冊のノンフィクション、二百の短篇を執筆した」と記されている。
 文献によっては数に違いはあるものの、当時は、これらが公式な作品数だったのだろう(注2)
 しかし、状況が変わる。一九七〇年代~八〇年代にかけては、古書市場でヴィンテージ・ペーパーバックの人気が高まっており、特に一九五〇年代末から一九六〇年代に刊行されたソフトコア・ポルノグラフィーが、ノスタルジックな表紙画と稀少性も相まって、マニアに注目されるようになっていたのだ。SF蒐集のための同人誌〈サイエンス・フィクション・コレクター〉の編集者J・グラント・シーセンや、ペーパーバック研究の大御所ランス・ケースビアー、ゲイリー・ラヴィジー、書誌研究の鬼リン・モンローらが、そうしたポルノ小説の「本当の作者」を執拗にリサーチ。関係者にヒアリングを行ったり、書誌情報を綿密にチェックしたり、作風を分析したりして、真の著者を明らかにしていった。その研究成果は古書目録や同人誌・ウェブサイトに載り、広く知られることになる。
 例えば、一九五九年に扇情的な表紙の短篇集 Sex Gang を上梓したポール・マーチャントが、実はSF作家のハーラン・エリスンだったことが、あたりまえに語られるようになった。また、一九六〇年前後にシェルドン・ロードやアンドリュー・ショウという名前でソフトコア・ポルノ小説を濫作したのが、ミステリ作家のローレンス・ブロックとドナルド・E・ウェストレイクであることも特定された。他にもエド・マクベイン(エヴァン・ハンター)やマリオン・ジマー・ブラッドリーなども、ポルノ作品を別名義で書いていたことが判明している。
 その一人にシルヴァーバーグがいることは、一九七〇年代半ばから一部のマニアには知られていた。長らく沈黙を保っていたものの、「もう隠しきれない――」と覚悟を決めたのだろうか、一九九二年、ついに彼は、「ポルノ作家としてのわが人生」という告白エッセイを男性誌〈ペントハウス・レターズ・マガジン〉に執筆する。高収入が得られるのと、ライターとしてのプロ意識から、数々のペンネームを駆使し、一九五九年から一九六〇年代にかけて、大量のポルノを刊行していたことを公に認めたのだ。  それらはどれも、現在の水準からみればセックス描写はおとなしい。しかし、この頃は性に対する道徳観や制約が強く、猥褻物を取り締まる当局やFBIにとっては、有害な書物だった。
 そのため、シルヴァーバーグが関与したポルノにおいては、真の作者がわからないように納品システムが組まれていた。書きあがった原稿は出版エージェント(代理人)経由で版元に渡され、エージェントは著者の情報を秘匿。版元の編集者が著者の正体を知っていたとしても、一切口を閉じた。原稿料もダミーの別会社から支払わせるなど、足がつかない工夫がされていたのだ。いずれにせよ、バレたら後ろ指を差されかねない危険な本である。長く封印されてきたのも当然だろう。
 昨今では書誌研究がさらに進み、〈準公式ロバート・シルヴァーバーグ・ウェブサイト〉(http://majipoor.com/index.php) によると、シルヴァーバーグは現在までに本名を含む五十を超えるペンネームを駆使して、ポルノ以外にもSF、犯罪小説、西部劇、ジュブナイル、歴史ノンフィクション、性風俗ノンフィクションなどを書きまくり、わかっているだけでも、長篇を約二百六十作、中編約百八十作、短篇約四百作、ノンフィクション約百作も上梓しているという。
 あまりの量の多さに、シルヴァーバーグ自身も全貌が把握できていないらしい。二〇一二年にペーパーバック叢書〈ハード・ケース・クライム〉から、レイ・マッケンジー名義で一九六二年に発表した長篇犯罪小説 Blood on the Mink(ミンク毛皮の血)が復刻された際、彼は編集部から打診されるまで、書いたことすら失念していたという。ほぼ五十年ぶりに読み返し、自分の作品にもかかわらず「なかなか面白いじゃないか!」と思ったそうだ。
3Blood on the Mink.jpg  せっかくなので、ストーリーを簡単にご紹介すると――潜入捜査官である「私」は、フィラデルフィアを拠点とする偽札製造組織を壊滅させるため、関係者に接触。偽札ビジネスを牛耳るボスや彼の愛人、ヨーロッパから拉致した紙幣原版制作職人の父娘、敵対する一派と丁々発止の闘いを繰り広げる。それぞれの思惑が入り乱れ、遂に銃撃戦に発展。死体の山が築かれていった――。
 なんと、ダシール・ハメット風のハードボイルド・アクション小説! 一九三〇年代のハードボイルド専門誌〈ブラックマスク〉に載ったといわれても、まったく違和感はない。テンポも良く、手抜きもしていないので、最後まで飽きずに読める痛快作なのだ(注3)

3 ドン・エリオットの世界(その1)

 シルヴァーバーグのポルノも読んでみよう。
 ポルノ用に使った名義の中で、作品数のもっとも多いのが、ドン・エリオット(Don Elliott)である。他の作家と共有したハウスネームではなく、シルヴァーバーグが独自で用いたペンネームで、分かっているだけでも、百五十冊近い単行本が書かれている(それ以外に、似たようなダン・エリオットという名前でも六冊上梓している)。
 折しも先日、アメリカの出版社スタークハウスから、ドン・エリオット名義の長篇ポルノ Lust Queen(欲望の女王)が復刊されたので、これをご紹介したい。オリジナル版は一九六一年、グルーンリーフ社のアダルト・ペーパーバック・シリーズ〈ミッドナイト・リーダー〉の一冊として刊行されている。
4Lust Queen.jpg  主人公ジョイ・ボールドウィンは、ニューヨーク在住の作家。SFやミステリ、ウェスタン、児童書などの小説やノンフィクションを執筆し、忙しい日々を送っている。私生活では妻と離婚、現在は恋人リサと婚約中だ。
 ある日出版エージェントが、ハリウッド女優モナ・ソーンの自伝をゴーストライトして欲しい、と依頼してくる。モナは六本の映画に主演した美女で、三十歳過ぎ。今までに付き合った恋人は数知れない。結婚も何度もしているが、その夫たちのほとんどが謎の死を遂げていた。近年は薬物とアルコール中毒に陥り、宗教にものめり込んでいた。女優業は休業中。だが、カムバックのチャンスを狙っていて、波瀾の人生を告白した自伝を発表し、その勢いで映画女優として返り咲くつもりなのだという。報酬が多額なこともあって、ジョイは自叙伝の代筆を承諾。モナを取材するため、ジョイはリサを残してロサンゼルスに向かった。
 こんな感じで Lust Queen は始まる。なんと、主人公の設定がシルヴァーバーグ自身とソックリではないか。当時の彼を投影しているとしたら、実に興味深いのだが、一応ポルノ作品なので、この後の展開は別の意味で刺激的になっていく。
 ハリウッドのモナの屋敷に着くと、水着姿の彼女がプールサイドで待っていた。モナは言う。「あなたと寝食を共にしながら共同執筆したいわ」。ジョイは婚約者がいることを告げたが、気にもせずセックス談義を仕掛けてくる。そして、モナの主演映画を夜中まで観た後、疲れて横たわるジョイの寝室に、お約束のようにモナが現れた。二人はベッドを共にするが、ジョイはすでに囚われた気分になっていた――。
 こうしてジョイとモナの奇妙な共同作業が始まる。過去の男たちとの関係を赤裸々に語るモナの昼の顔と、情熱的に迫ってくる夜の顔に接し、ジョイは次第に彼女の本当の姿に迫りたいと思うようになった。
 その後は、モナの元愛人だった青年との乱闘や、ハリウッドの有名人たちとのパーティー、モナと正反対の女性ジョーンとの逢い引き、浮気を知ったモナとの壮絶な修羅場が描かれ(もちろんその間に何度もセックスシーン)、二人の距離は次第に近くなっていく。と同時に、ジョイはこう葛藤する。
 自分が書こうとしているのは、モナによって都合良く脚色された男女の恋愛物語なのか、それとも、モナという人間を通して自分が無意識に作り上げた「女性」の物語なのか――。表現者として二つの想いに悩む姿は、後年の「ニュー・シルヴァーバーグ」の主人公が抱く「自我の分裂」の先取りのようだ。
 かくして物語は終盤を迎える。二人の共同作業とジョイの執筆が佳境を迎えたある日、モナはジョイに結婚を迫った。狂気に満ちた彼女の形相に、ジョイは慄然とする。そんな矢先、連絡が無いことにしびれを切らしたリサがハリウッドにやって来た。ジョイと二人の「恋人」が入り乱れ、クライマックスは、ポルノとは思えないカーチェイスが展開。モナとジョイの危険な関係は、予期せぬ悲劇で幕を閉じる。
 なんと、想像以上におもしろい! セックスシーンも露骨ではなく、読者にイメージを喚起させるよう書かれているので、嫌悪感を催すこともない。モナのキャラクターは「魔性の女」としてはステロタイプなので深みに欠ける。が、作家の心情が丁寧に書かれているので、シルヴァーバーグがモデルだと邪推しながら読むのも一興だろう。それと、シルヴァーバーグは生粋のニューヨーカーのせいか、虚飾にまみれたハリウッドが嫌いらしく、ジョイが抱く「居心地の悪さ」がヒシヒシと伝わってくる。「アンチ・ハリウッドノベル」としても読むこともできるのだ。

4 ドン・エリオットの世界(その2)

 実は一冊だけ、ドン・エリオット名義が邦訳されている。フランス書院から一九七五年に刊行された『明日なんかいらない』(山下諭一訳)である。一九六一年に出た長篇 Street of Sin(罪の道)を、改題して一九七四年に再刊した The Untamed(荒くれ者)が、翻訳の底本だ。しかしこの邦訳、シルヴァーバーグの作品であることは、あまり知られていない。
5明日なんかいらない.jpg  『明日なんかいらない』は、男女の色恋ではなくストリート・ギャングたちの暴力と性を扱ったサディスティックな作品で、Blood on the Mink よりもハードな内容になっている。
 舞台はニューヨークの裏町。とあるクラブハウスの一室で、未成年の七組の男女が仕事もせず、朝からセックスと酒に溺れていた。彼らは「レインジャー」という不良グループで、ボスの名はシヴ。主人公エディはシヴの手下だった。地域のソーシャルワーカーのトミーが彼らの面倒を見ているが、シヴは監視者のようなトミーが気に入らない。そんなシヴとトミーの冷めた関係に、エディは翻弄させられる。
 エディ、シヴ、トミーの関係が物語の主軸となり、その合間にメンバー全員の傍若無人な悪行が描かれていく。脱会しようとする者を半殺しにしたり、裏切り者の妹を強姦したり、乱交パーティーを開いて互いのセックステクニックを競いあったり――とまあ、あきれるほど人でなしの世界が繰り広げられるのだ。
 やがて、「レインジャー」と敵対勢力「ロード」との争いが勃発。これにトミーが加わり、三人は破滅の道へと突き進んでいく――。
 『明日なんかいらない』という邦題が示すように、刹那的なトーンが全体を覆っている。頻出するセックスシーンも Lust Queen より暴力的で、やり場のない若者たちの苛立ちが強烈に伝わってくる。性の衝動に駆り立てられる登場人物たちを通して、人間の滑稽さや哀しみが見事に描かれており、Lust Queen と同様に、ポルノという枠の中だけでは語り得ない、不思議な魅力を秘めた作品である。
 このようにシルヴァーバーグは、ドン・エリオットという「人格」を操り、人間の光と翳を描き続けた。いや、一人どころではない。ローレン・ボーシャンプ、デイヴィッド・シャロン、ジョン・デクスター、ウォルター・ドラモンド、ダン・エリオット、ポール・ホランダー、モーリーン・ロングマン、ゴードン・ミッチェル、マーク・ライアン、L・T・ウッドワードといった複数のペンネームを駆使して、性の享楽と男女の悲喜劇を読者に提示し続けた。
 先に述べた「ポルノ作家としてのわが人生」というエッセイの中で、シルヴァーバーグはこう言っている。「恥じることも、弁明することもない。これらの本を書くのはすばらしい経験だった」
 つまり、男と女の性愛を執拗に描くアダルトな嗜好は、「ニュー・シルヴァーバーグ時代」に始まったことではない。ジャンルを問わず、モノを書くという行為を通して、さまざまな愛のカタチを世に問い続けることが、シルヴァーバーグの創作テーマなのだろう。その後のSFにおいてもこの嗜好性が強いのは、それまでの性愛に対する思索を、量よりも質によって、より深化させた結果なのだろう(注4)

【好事家のためのノート】
注1
若き日のエピソード――SFに出会った少年時代のことや、処女長篇『第四惑星の反乱』の執筆のくだり、そして、SF仲間との運命的な出会いなどは、『時間線をのぼろう』の高橋良平氏の解説「豊饒な日々のなかで――ニュー・シルヴァーバーグの時代」に詳しいので、ぜひともお読みいただきたい。

注2
出版エージェントでもあったSF作家バリー・N・マルツバーグは、「シルヴァーバーグはこの時期に四百五十冊以上の単行本を書いた」と述べているそうだが、この数字は「白髪三千丈」のような喩えだろう。

注3
Blood on the Minkは〈Webミステリーズ!〉でも紹介されたことがある。やはり高橋良平氏によるコラム「ロジャー・ゼラズニイとロバート・シルヴァーバーグのミステリ発掘!――SFと犯罪の微妙な関係」がそれで、復刻時の裏話も載っている。http://www.webmysteries.jp/translated/takahashi1312-1.html

注4
中村康治の研究書『アメリカン・ポーノグラフィ』(冬樹社、1983)には、シルヴァーバーグがローレン・ボーシャンプ名義で書いた長篇 Nurse Carolyn(看護士キャロライン)が詳しく紹介されている。ただし真の作者であるシルヴァーバーグのことは、一切触れられていない。

(2018年2月26日)



■ 小山 正(おやま ただし)
1963年、東京都新宿区生まれ。ミステリ研究家。慶應義塾大学推理小説同好会OB。著書に『ミステリ映画の大海の中で』(アルファベータ刊)。共著に『英国ミステリ道中ひざくりげ』(光文社)。編著に『越境する本格ミステリ』(扶桑社)、『バカミスの世界』(美術出版社)、他。





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