Scienece Fiction

2017.11.09

連載エッセイ 高島雄哉 『想像力のパルタージュ 新しいSFの言葉をさがして』 第25回(2/2)

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 〈持続可能な社会〉は目指されるべきだし、いずれ実現もされるだろう。ではその社会でぼくたちは何をするのか。〈X余暇〉をどう過ごすべきなのか。
 ぼくは〈ポスト持続可能な社会〉の生き方について、四時間の授業が終わって、学生たちの質問に答えたあとの中野くんに尋ねた。
「経済的に自由になるので、多様な働き方ができるし、多様な活動ができるようになります。ハンナ・アレントが参考になるかもしれないですね」
 アレント(1906 - 1975)はドイツ出身の哲学者で、主著に『全体主義の起源』『人間の条件』がある。
 彼女は1958年に発表した『人間の条件』の冒頭で、1957年のスプートニク一号打ち上げに言及しつつ、人間の生存環境が書き換わってもなお持続する〈人間の条件〉について述べた。なおここでの条件とはコンディションすなわち状況とも訳すことができる言葉だ。
 彼女によれば「人間とは、自然のものであれ人工的なものであれ、すべてのものを自己の存続の条件にするように条件づけられた存在」だという。
 遠く地球を離れても、あるいはXRにおいても、人間であるかぎりはその世界の条件に束縛されるというのは間違いないことだ。
 次にアレントは〈人間の条件〉として、〈生命〉〈世界性〉〈複数性〉の三つを挙げ、それぞれに対応する〈人間の行為〉三つを以下のように導く。どの行為にもすべてアレント独自の意味合いが付されている。
 まず第一に、人間の〈生命〉を維持するためには〈労働labor〉が必要だ。第二に、世界はぼくたちの個々の生命を超えて永続的に存在するが、〈仕事work〉による作品などの人工物も永続するという点で〈世界性〉を持ちうる。
 第三に、人は多くの人々のなかで生きているという点で明らかな〈複数性〉をもつが、それこそが政治的な〈活動action〉の絶対条件だとアレントは言う。
 このうちアレントが最も重視したのは政治的〈活動〉だった。
 政治的活動と言っても彼女が想定しているのは古代ギリシアのポリス的直接民主制であり、個人と個人が言葉と身振りによって影響を与え合う〈活動〉こそが彼女の理想なのだ。

 近代以降の社会では、〈余暇〉が増えてもその時間は〈消費〉に使われるばかりで〈活動〉には結びつかず、個人は〈社会〉のなかで分断されて、全体主義の悲劇に突き進んだ、とアレントは分析した。
 現在も〈エコー・チェンバー(残響室)化現象〉と呼ばれる文化的分断が問題化している。1990年にアメリカのジャーナリスト、デイヴィッド・ショー(1943 – 2005)がある記事の中で「恐怖のエコー・チェンバーecho chamber of horrors」と書いて以来、徐々に使われるようになっている。
 エコー・チェンバーとは、斜めに向かい合った壁や反射板によって、音が長く反響する部屋のことだ。文化的に閉ざされた環境では、単一の価値観のもと、同じような意見が繰り返され、強調されていく。
 誰しもすべての情報をすべての角度から精査することはできないという意味で、ぼくたちは皆それぞれの〈エコー・チェンバー〉に入っていると言ってもいい。特に現在のネットニュースサイトでは、閲覧者の履歴が分析されて、その一個人のための〈エコー・チェンバー〉が形成されている。
 それでも今は複数の情報源から多様な情報に触れることができる。ところがXRが実現し、浸透していけば、人々はそれぞれのXR世界を生きるようになる。XR技術によって内部世界の物理法則そのものを自由自在に書き換えることもできるし、XIを駆使してあらゆる情報交換を拒絶するような〈XRエコー・チェンバー〉を作り上げることもできる。
 こうして生じる〈XR分断〉は、かつて人類史上であったような社会的な分断とはまるで異なる、完全な連絡途絶状態を引き起こす。〈XRエコー・チェンバー〉の防壁を壊す手立てが見つかったとしても、そのときにはもう、共通の言語や文化は失われてしまっているかもしれない。
 〈XR分断〉とは、人間の、宇宙論的分断なのだ。
 そして分断こそが環境問題の原因だった。社会と自然を分断して、自然への顧慮がおろそかになったように、〈XRエコー・チェンバー〉ではもはや自分以外のすべてに対する思考が失われる恐れがある。すべての環境問題は想像力の欠如によって深刻化する。

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 物理学における宇宙は、物理法則や物理定数などの条件をありうる可能性まで考えると──数え方によるのだけれど──10^500(10の500乗)個もあり、そのすべての宇宙の総体は〈ランドスケープ〉と呼ばれている。ランドスケープlandscapeとは「風景」のことで、物理学や化学の用語として比喩的に用いられる他、現代建築でも重視される概念だ。広く世界を見渡すことで、全体の関係性を捉え直すことができる。
 10^500個の〈XRエコー・チェンバー〉はそれぞれが宇宙となって、総体として〈XRランドスケープ〉を構成する。この〈XRランドスケープ〉こそが、ぼくたちの最終かつ究極の環境であり、〈条件condition〉なのだ。
 アレントは人間を「条件づけられた存在」と定義したが、XRにおいてぼくたちは──〈XRランドスケープ〉から出ない限りは──何にだってなれる。
 自らをブラックホールや円周率πや宇宙全体に書き換えることだってできるのだ。天体現象や数学的概念はおそらく人間的な思考はしないだろうから、タイマーを設定しておいて、一定時間後に人間に──人間的思考ができるXR内存在に──戻るようにしておくというのがXRでの基本的な生活になるのかもしれない。
 この〈自己の書き換え〉こそ、新しい〈人間の条件〉となる〈XRランドスケープ〉から導かれる、〈新しい行為〉なのだ。
 アレントの意味で言えば、XR内の人間はもはや人間を超えている。そのようなぼくたちは、今のぼくたちとはまるで違う存在者に違いない。その存在者たちは〈社会〉を──そして〈世界〉を存続させようとするだろうか。
 再びセヴァンの言葉を思い出す。If you don't know how to fix it, please stop breaking it. (直し方を知らないなら壊さないで)
 せっかく環境問題を乗り越えて、〈持続可能な社会〉に到達したとしても、その先のXR世界において〈社会〉も〈世界〉も失われるなんてことになったら、本末転倒もいいところだ。
 どうやら〈XR余暇〉をのんびりと過ごすわけにはいかないらしい。

 余暇の過ごし方は古代ギリシア以来ずっと議論されている哲学的な問題なのだが、小松さんとアーレントは同じ解決案を示している。それは〈演劇〉だ。
 小松さんは、人間が放り出される空虚としての〈余暇〉を指摘した四十年後、2008年に「私は宇宙を楽しませなければならない、と思っている。(中略)どなたか、私の代わりに壮大な「宇宙喜劇」で、宇宙を楽しませていただけないだろうか」と書いた。
 アーレントが人間的行為として最も重視した〈活動〉は、公共の場における他者との言語的交流であり、〈演劇〉にたとえられている。〈活動〉でも〈演劇〉でも、複数の人間が〈場〉を共有しながら、〈役者〉として様々な役割を演じ、同時に〈観客〉として互いを認識し合う。
 1975年の4月、寺山修司は東京都杉並区で〈30時間市街劇『ノック』〉を開催した。タイトルの通り、19日15時から翌21時までの30時間、断続的に杉並の路上や銭湯などで多様なパフォーマンスが行われた。そのうちの一つには、事情を知らない個人宅の玄関ドアを全身に包帯を巻いた男がノックするというものがあり、驚いた住民が警察を呼ぶ騒ぎにもなったという。寺山はその翌月の朝日新聞に「『あなたの平穏無事とは一体何なのか』と問いかける」ための市街劇であると書いた。閉鎖された日常に〈ノック〉するための演劇だったのだ。なお、寺山修司をテーマにしたドキュメンタリー映画『あしたはどっちだ、寺山修司』が2017年12月2日から渋谷などで公開される。
 「書を捨てよ町へ出よう」と言った寺山修司が、アレントを読んでいたかどうかはわからないが──きっと読んでいたと思うけれど──二人の発想は非常に近いように思われる。  だがXRでは〈XRエコー・チェンバー〉によってすべての人々が分断されて、とても市街劇なんてできそうもない。〈ノック〉をしても、その音は〈XRエコー・チェンバー〉の中まで届かない。
 そもそもXRにおいて、ブラックホールやπにもなれるぼくたちが、その永遠の〈余暇〉のなかで、〈演劇〉をしようとするのだろうか。
 XR内存在となったぼくたちにとっての〈人間の行為〉とは、〈自己の書き換え〉だった。
 書き換えるためには、書き換え先を明示する〈言葉〉が必要不可欠となる。
 ブラックホールもπも、あるいは宇宙全体だって、それらはすべて人間によって語られたものではある。ぼくたちが──XRにおいて/よって──どれだけ人間から遠ざかっても、言葉からは離れられない。
 あるいはいずれAIによって語られる言葉が〈XRランドスケープ〉を満たすかもしれないが、そもそもAIは人間の使う自然言語と人工言語によって語られた存在だ。AIが語る言語は、人間の言語を出発点としていることは間違いない。
 それゆえ、10^500個の〈XRエコー・チェンバー〉はすべて、人間の言葉を〈語源〉とする、言語的な風景(ランドスケープ)なのだ。
 あるいは〈XRランドスケープ〉において、人間の〈語彙〉ひとつひとつが〈存在〉と言ってもいい。
 もしも海やπとなったXR内存在たちが、〈社会〉への関心をなくし、〈言葉〉を交わすことをやめたら、それは自らの存在の多様性を否定することになる。〈言葉〉は、語られることがなくなれば──〈ノック〉の可能性が消えてしまえば──〈新しい言葉〉を生み出すことはなくなり、それどころか〈語彙〉を徐々に失っていく。閉ざされた〈XRエコー・チェンバー〉ひとつひとつのなかで。
 自らの環境であり〈自己の書き換え〉のための条件である〈XRランドスケープ〉を持続させたいなら、XR内においてもぼくたちは言葉が行き交う場としての〈社会〉を持続させるべく、〈活動〉しなければならない。
 そして〈活動〉あるいは〈演劇〉のためには、自ら〈XRエコー・チェンバー〉から外へ出る必要がある。
 初めて〈XRランドスケープ〉に出てきたXR内存在たちが語り合う言葉は、ぼくたちの言葉からは遠く離れた──しかし確かに連続してはいる──真に〈新しい言葉〉に違いない。〈新しい風景〉は〈新しい言葉〉によって語られる。それはきっと〈XRランドスケープ〉のなかで、いつまでも持続する言葉になるだろう。

(※次回は最後のインタビューです。ランドスケープの書き換えについてうかがってきます。)

中野佳裕(なかの・よしひろ/国際基督教大学社会科学研究所(ICU SSRI)助手)
早稲田大学政治経済学部経済学科卒。エセックス大学政治学部「イデオロギーと言説分析」修士課程。サセックス大学「社会科学とカルチュラル・スタディーズ研究科」開発学博士課程。PhD。専門は社会哲学。社会発展の思想と倫理を問いなおす研究を行っている。2011年から国際基督教大学社会科学研究所(ICU SSRI)の助手・研究員として勤務するかたわら、明治学院大学国際平和研究所(PRIME)の研究員としても研究活動を行なっている。これまで国際基督教大学、立命館大学、フェリス女学院大学、恵泉女学園大学などで、平和学、開発学、国際政治経済学分野の講義を担当。フランスのNGO「経済活動に関する政治学的・倫理学的研究」(PEKEA)の会員。NPO法人アジア太平洋資料センター(PARC)の理事および企画運営委員を歴任。PARC自由学校の講師もつとめる。Web研究室(http://postcapitalism.jp/index/)。 共著『21世紀の豊かさ』(コモンズ)、訳書にセルジュ・ラトゥーシュ『〈脱成長〉は、世界を変えられるか?贈与・幸福・自律の新たな社会へ』『経済発展なき社会発展は可能か?〈ポスト開発〉と〈脱成長〉の経済学』(共に、作品社)など多数。単著『カタツムリの知恵と脱成長──貧しさと豊かさについての変奏曲』(コモンズ)が近刊予定。

(2017年11月9日)



■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。2016年『ゼーガペインADP』SF考証、『ガンダム THE ORIGIN IV』設定協力。twitterアカウントは @7u7a_TAKASHIMA 。



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