02poster.jpg 「この子は、わりとおしゃれですよね。髪の毛これだけストレートにするには結構手入れをしなきゃいけない。中学生くらいかなと思いますが、体が大きくなることを考えて、大きめのシャツを着て、だから首元には余裕があって。もう少し背が高くなっても大丈夫なようにですね。カーディガンは制服なんでしょうけど、流行りっぽく大きめのものを着てみたりとか。だからそれに合わせるスカートも、もう少し長くてもいいんですが、そこはイラスト上、膝小僧を出したいですから。うん、これくらいでしょうか。これがもしアニメーションで、物語や動きがあるのであれば、もっと深く想像します」
 おそらくこの作品からここまで読み取れる人はほとんどいないだろう。それでも村田さんが想像したことのすべては、言い表せない存在感や絵の面白さとなって、見る側が感覚的に感じているはずだ。
 きっと村田さんは大学でこういったお話を色々とされているのだろう。美術系の大学の存在意義というのは――おそらく芸大在学中にどこかで聞きかじった話だけれど――大きく二つあって、一つは実際の制作技法を学ぶこと。そしてもう一つは優れた作家である教官と、制作する時間と場所を日常的に――つまりは濃密に共有することだという。これは他の分野でも同様のことが言えるはずだ。
 村田さんのお話には、この両方の意味で大変教えられたのだけれど、あえて言えば、後者の意味合いがより強いように思う。村田さんの言葉から技法のようなものを抽出しても――それ自体かけがえのない教えとなるだろうが、それでも――多くのものを取りこぼすことになるだろう。村田さんの創作の態度そのものに直に触れられることこそが重要なのだ。
 大学で教え始めて今年の四月からは四年目だという村田さんに感想をうかがってみた。
「大学が京都で、今の家から遠いのもあって、元々はやる気がなかったんですよ。でも実際やってみると、たとえば若い子が何を考えて絵を描いているのかなとか、そういうのが話をしている内に少し自分のなかに入ってきたり、ぼくがあの子たちの年頃に考えていたこととシンクロするところもあって。絵描きを目指す過程を反復、反芻しているような感じもあって、結構面白かったりします」
 教える経験は村田さんの絵に影響を与えているのだろうか。
「影響してるんじゃないですかね。絵って日記みたいなものだと思っているんです。何かしら、そのとき自分が感じてた面白いこととか興味があることとかが〈絵のかけら〉になって入ってくると思うんです。何か見て描くという場合ももちろんそうですけど、何か経験したことが、このインタビューもそうですが、ゆくゆく何かの絵に入ってくるかもしれない。具体的なものじゃないかもしれないけれども。というようなものから絵って成り立っていると思うんです」
 もう一時間半もお話をうかがっていた。あと一時間で今回の同人イベントが終わってしまう。
 村田さんが継続的かつ積極的に同人活動をしているのはファンのあいだでは常識だ。イラスト集にしろグッズにしろ、素材も形式もすべてを自分でデザインできることが大きな魅力だという。
 ぼくは今回のお礼を言いながら、ふと村田さんにとって同人活動は〈読者を想像しない〉ことと関わるんじゃないかと思い、最後の質問をした。普段は知り得ない読者と同人イベントでは交流できるということも――デザインの自由さと共に――楽しみのひとつなのではないだろうか。いつもは読者のことを想像しないという村田さんにとって、なおさら興味深いことではないだろうか。何と言っても、メールでもSNSでもなく、直に反応を聞けるのだ。
「ああ、それは面白い指摘ですね。そういう面はあるかもですね。ダメ出しする人は来たことないですけど」
 インタビュー後、村田さんは売り子に戻って、サインを求められたりしながら多くのファンと和やかに語らっていた。この時間もまた〈絵のかけら〉なのだ。もちろん絵に直接描かれるわけではなく、毎日を過ごすことで〈主観のかたまり〉に蓄積していくものとしての〈絵のかけら〉だ。
 こういった同人イベントは終了時間になるとアナウンスが流れて、みんなで拍手をする。サークル参加者も一般参加者も関係ない。ある種の共感が会場を満たす。ここにいる人たちはみんな〈主観のかたまり〉みたいなものだ。みんな確固とした趣味があって、おそらくそれゆえにこそ共感し合える。片付けをしながら村田さんがおっしゃった。
「ここにいる人たちは一人一人それぞれに〈気持ちいい線〉を持っているんですよ」
 どんな〈気持ちいい線〉が多くの人に受け入れられるかを見定めることはひどく難しい。自らの〈主観のかたまり〉の外側は見ることができないからだ。
 村田さんは、こういうイベント以外では読者の反応を見られないから〈読者を想像しない〉とおっしゃっているだけで、共に仕事をする編集者の意見にはもちろん耳を傾けるし、自ら描いた絵が受け入れられるかどうかを考えないわけではない。
 イラストは――そしてあらゆる芸術は――すべての瞬間で好悪判断され続ける。ほんのわずかのあいだにも、印象は大きく変わっていくだろう。
 別の誰かにとって〈気持ちいい線〉なんて引くことはできない。まして、多くの誰かにとって〈気持ちいい線〉なんて存在するかどうかもわからない。そしてすべての誰かにとっての〈気持ちいい線〉は存在しないだろう。だからこそ村田さんは日々を過ごしながら〈絵のかけら〉を蓄積して、〈主観のかたまり〉を深化させて、〈気持ちいい線〉を追い求めているのだ。
 それゆえ自分の〈主観のかたまり〉だけに従うのは非常に真摯な態度だし、合理的でもあるように思えるのだけれど、いざ実行するとなると現実的にはなかなか難しい気がする。どうしたって周りの情報が入ってくるからだ。村田さんは学生たちに教えながら考えることがあるという。 「今は情報が右にも左にもいっぱいあって簡単に探せるし、毎日たくさんの絵が量産されて、自分の理想に近いものもパッと見つかっちゃうんですよ。それで一週間もすれば、また違うものが見つかって。自分の個性が作れない。何も情報がない状態で唯我独尊に描ければいいのかもしれないけど。彼らは若いから不安になるのか、ついつい見ちゃうんですよね」
 好悪判断――好き嫌いは〈主観のかたまり〉に基づく。〈主観のかたまり〉があやふやなままであれば、好き嫌いの判断はたちまち移ろってしまう。
 コンテンツが大量に生産され大量に消費される――ひどく陳腐な言い方で恐縮だけれど事実ではあるだろう――現代においては、個性がなければ誰かに見られることもない。好悪判断される以前の問題だ。それゆえ、自分の作品が個性的かどうかを確かめるためにも周囲の状況を見なければならない、と思ってしまう。
 たぶんそうやって自分の立ち位置を確かめるくらいがぎりぎりの境界なのだ。しかし「ついつい見」すぎてしまって、自分の個性の「理想に近いもの」まで見出してしまう。でもそれは自分以外の誰かが引いた〈気持ちいい線〉なのだ。
「みんな将来はわからないけど、わからないなりに足掻くしかないんです。間違っているかもしれないけど。答えはいずれ出ますけど、答えが出たときには色々なことがどうでも良くなっているんで」
 これはかつてカーデザイナーを志し今はイラストレーターとして活躍する村田さんの率直な感想であり、これから世界に対して何らかの線を引こうとする人に向けてのエールみたいなものだ。
 自分にとって〈気持ちいい線〉は、現時点で見えなくとも、自分の〈主観のかたまり〉の中にだけ存在する。そして、〈主観のかたまり〉自体は――〈絵のかけら〉となるよりも前の――日々の〈かけら〉をひとつひとつ積み重ねて、作り上げていく他はない。
 ぼくが探している〈新しいSFの言葉〉は、まずはぼくにとっての新しさや美しさや強さを持った言葉になる。というより、他の人の感じ方なんて正確なところはわからないのだし、ぼくは自分の〈主観のかたまり〉だけを頼りにするしかない。ぼくが新しいと感じた言葉が、多くの人たちにとって新しい言葉となれば「尚良し」なのだけれど。
 壁のポスターも外して、ぼくたちは解散した。参加者の多くは手馴れているようで、さっきまで人と売り場のブースで埋まっていた会場はすっかり片付けられて、帰りはホールの真ん中をまっすぐに歩いていける。
 村田さんには、いつかこのインタビューが〈絵のかけら〉になるかもしれないとおっしゃっていただいたが、ぼくにとっては当然〈かけら〉どころか、ぼくの〈主観のかたまり〉の大きな一部となるような時間だった。
 千三百年前の漆絵と今の村田さんのイラストを考える。きっと千三百年後にも〈気持ちいい線〉を求めて足掻く人が――あるいはAIが――いるはずだ。その誰かが求める線がどのようなものなのかを想像するのは楽しいけれど、それはその人の足掻きであって、ぼくはぼくで足掻くしかない。足跡がいつか〈気持ちいい線〉に辿り着くための〈漸近線〉となればいいと思いながら。

(※次回は6月5日ごろ公開です。生命現象から世界認識まで――あらゆるものを拡張していくサイボーグ哲学について、早稲田大学の高橋透教授にうかがってきます。)

村田蓮爾(むらた・れんじ/イラストレーター)
1968年生まれ。1993年、格闘ゲーム『豪血寺一族』のキャラクターイラストを担当。1994年より『快楽天』『ウルトラジャンプ』等の雑誌でイラストを担当。1996年フリーランスに。同年、初の画集『LIKE A BALANCE LIFE』(ワニマガジン社)を発表。1999年に第34回造本・装幀コンクール展にて、企画および責任編集を行った『FLAT』が日本書籍出版協会理事長賞(コミック部門)を受賞。2003年第二画集『futurhythm』(ワニマガジン社)で再び同賞受賞。2006年には第37回星雲賞(アート部門)受賞。コミックマーケットなどのイベントで個人サークルPASTA'S ESTAB.より同人誌を発表するほか、バッグや時計などのデザインも。アニメ『青の6号』『LAST EXILE』『ラストエグザイル―銀翼のファム―』等のアニメやゲームでキャラクターデザインを担当。アメリカ、台湾、スイス、日本の各地で個展を開催する。2013年より京都精華大学マンガ学部(キャラクターデザインコース)教員。
著書は以上の他に『138°E』『少女自転車解放区』『form l code 村田蓮爾第三画集』(以上ワニマガジン社)、『ラストエグザイル―銀翼のファム―エアリアルログ』(エムディエヌコーポレーション)など多数。

(2016年4月5日)



■ 高島 雄哉(たかしま・ゆうや)
1977年山口県宇部市生まれ。徳山市(現・周南市)育ち。東京都杉並区在住。東京大学理学部物理学科卒、東京藝術大学美術学部芸術学科卒。2014年、「ランドスケープと夏の定理」で第5回創元SF短編賞を受賞(門田充宏「風牙」と同時受賞)。同作は〈ミステリーズ!〉vol.66に掲載され、短編1編のみの電子書籍としても販売されている。2016年10月劇場公開の『ゼーガペインADP』のSF設定考証を担当(『ゼーガペイン』公式ページはhttp://www.zegapain.net)。



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