闇よ、名乗れ
『闇よ、名乗れ』
 ではその他の著書も紹介しておこう。『闇よ、名乗れ』は、打って変わっての長篇である。楠名山彦(クスナ・ヤマヒコ)は、昭和七年(一九三二年)の広島に生まれた。彼は幼少時から予知能力を発揮したり、幻影を見たりすることがあった。やがて日本は戦争に突入。母親は岩国の爆撃で亡くなり、小学生の時に出会った満里子という少女も長崎の原爆投下で犠牲となった。
 やがて、彼の前に正体不明の小男が現れるようになる。医学の勉強をしている頃、小男――スクーヌス・ヒコナリウス・ミコティウスの協力により、山彦はある種の時間旅行を体験する。
 最初は、十三世紀のフィレンツェ。ダンテ・アリギエーリという若者は、美しき淑女ベアトリーチェに恋していた……。この若者こそ、後に『神曲』を執筆するダンテだったのである。
 ダンテの生涯を追った山彦は、現代日本へ戻る。その後も島原の乱の頃の天草、思想家フリードリヒ・ヘルダーリンのいる十八世紀ドイツなどに時間旅行する。その一方で山彦は、己は一体何者なのかを追及し続ける……。
 とにかく、一筋縄ではいかない小説である。作者本人によると夢野久作『ドグラ・マグラ』的なものを目指して書いたのだという。主人公にとってのベアトリーチェも登場するので、『神曲』も重要なモチーフとなっている。

誰が…と問うでなく
『誰が…と問うでなく』
 『誰が…と問うでなく』(近代文芸社/一九九九年)は、短篇三篇を収録した薄めの短篇集。表題作はSF味も幻想味もなく、「ノーモア・ヒロシマズ」という言葉を最初に使ったのは誰か、ということを探求していく話。だが「翻訳家として独立」しており、「すでに数冊の訳書を出し、若手の幻想文学者のあいだでは、際だった存在になっているらしい」という“大谷敬吉”なる人物が登場する。これは現実世界の“大瀧啓裕”のことに違いあるまい。主人公“田辺真治”も、著者の本名“渡辺晋”のもじりなのは明白。大谷は「遠い星の名をタイトルにした」「プロ好みの凝った同人雑誌」を刊行するのだが、これは現実世界においては、先述した「アルデバラン」のことだ。
 二本目の「二人ぼっちの心の隅に」は賀里霊雄(がりれいお)なる老人が過去と現在、幻想と現実を混同させていく物語だが、やはり広島の原爆が関連してくる。テイスト的には収録作中で最もSF読者向け。
昔の夢は今も夢
『昔の夢は今も夢』
 最後の「隠れ聖者のハリマオ」もSFではないが、太平洋戦争中の伝説の人物“ハリマオ”にまつわる物語。

  『昔の夢は今も夢』(近代文藝社/二〇一〇年)は、戯曲集で七篇を収録。いずれも太平洋戦争や被爆が主要なテーマとなっている。そのうち「妹のいる部屋」は、老人ホーム〈ほうらい〉に入園した老人・山根卓郎と、彼を巡る人々の物語だが、読み進めるうちにキャラクターの一人の実在性が疑わしくなっていく。

 天瀬裕康には他にも(自身の)単行本には収録されていない作品が幾つかある。「スカイラブ・ラブ記」(渡辺晋名義)は、豊田有恒編の『日本SFショート&ショート選 ユーモア編』(文化出版局/一九七七年)に収録。宇宙空間に浮ぶその実験室は、立体画像処理により望みどおりの世界を創出できるようになっていた。テストに合格した主人公は、そこで自分好みの女の子を創り出しては濡れ場を演じる仕事を与えられた。その模様は、番組として地上で放送されるのだった……。
錬金術師の夢
『錬金術師の夢』
 同作の解題の中で、編者(豊田有恒)が「石原藤夫さんとともに、科学畑の作家として、もっと活躍してくれていい人です。それぞれ、電子工学者、内科医という天職をもっておられるため、その貴重な時間を、SFのほうに割いてもらえないのが、残念でなりません。」などと作者を紹介している。
 「オルララ」(渡辺晋名義)は、フォーカスSFアンソロジー『錬金術師の夢』(フォーカス産業/一九七二年)に収録。これは『昔の夢は今も夢』収録作などに比べるとやや長めの短篇。主人公は若手の医者仲間と、医学映画を上映する会をやっていた。ある時、製薬メーカーが用意してくれた映像をかけたところ、それは予期していたものとは違い、目に見えぬ怪物のために精神を病んでいく青年の物語だった。調べたところ、これはキ・ド・ムーパッサンの小説「オルララ」を原作としたものだった。更に調べていくうちに、主人公もどんどん不安に襲われていく……。作中で「モーパッサンが下敷きになってる」と言及されている通り、モーパッサン「オルラ」をベースとした物語。“録音された8トラックのカセット・テープ”などという描写が出て来るが、若い人には何のことだか判らないかもしれませんね。
 『錬金術師の夢』は、ファン出版物だが荒巻義雄が序文を書くなど、今から見ると豪華な内容となっている。よく考えたら、これはまるごと『SF奇書天外』で扱っても良かったなあ。
「あれは血みどろ夕日のカラス」は、「KARASU」十七号(鴉の会/二〇〇一年)に掲載された。発表媒体に相応しくカラスをテーマにした短篇で、世の中にはサルから進化した人類の他にもカラスから進化した人類がいる、という幻想(妄想?)の物語。
 “鴉の会”というのは渡辺啓助が主宰していた文芸サークル。渡辺温は啓助の弟だし、ギャラリー・オキュルスのオーナーは啓助の四女で画家の渡辺東氏。これであの場に天瀬氏がおられた訳が判りました。氏は「KARASU」の他の号にも幾つか執筆している。 「怪獣のいる寓話」は、「原爆と文学 2004年版」(原爆と文学の会/二〇〇四年)掲載。被爆者である語り手の同級生だった男「U」は、総理大臣のことを「イグアナみたいな奴だ」「イグアナ・ジュンイチロウだよ」と言った。……ゴジラに関する言及を絡めて、(当時の)政治状況を批判した作品。
SFファンタジア1・地上編
『SFファンタジア1
・地上編』
 その他小説以外では『SFファンタジア1・地上編』(学習研究社/一九七七年)において、「ロボットとミュータント 継ぐのは誰か」の章を石原藤夫と共同で担当している(渡辺晋名義)。また平井和正『狼の紋章』(祥伝社/一九七五年)の解説「ウルフと“不死身”」も渡辺晋名義で執筆。単行本では『梶山季之の文学空間』(淡水社/二〇〇九年)や長山靖夫氏との共同監修による『叢書『新青年』 小酒井不木』(博文館新社/一九九四年)などがある。
 小説の中では、最もSF読者向けなのは、やはりSFショートショート集『停まれ、悪夢の明日』。しかしこれが一番入手困難なのだから、困ったもの。短篇では「オルララ」もオススメだが、これも収録されているのが『錬金術師の夢』だからなあ。
 ここはひとつ、折角日本SF作家クラブの会員となられたのだから、是非ともSFらしいSFを新たに書いて頂きたいものである。
(2012年1月6日)

北原尚彦(きたはら・なおひこ)
1962年東京都生まれ。青山学院大学理工学部物理学科卒。作家、評論家、翻訳家。日本推理作家協会、日本SF作家クラブ会員。横田順彌、長山靖生、牧眞司氏らを擁する日本古典SF研究会では会長をつとめる。〈本の雑誌〉ほかで古書関係の研究記事を長年にわたり執筆。主な著作に、短編集『首吊少女亭』 (出版芸術社)ほか、古本エッセイに『シャーロック・ホームズ万華鏡』 『古本買いまくり漫遊記』 (以上、本の雑誌社)、『新刊!古本文庫』 『奇天烈!古本漂流記』 (以上、ちくま文庫)など、またSF研究書に『SF万国博覧会』 (青弓社)がある。主な訳書に、ドイル『まだらの紐』『北極星号の船長』『クルンバーの謎』(共編・共訳、以上、創元推理文庫)、ミルン他『シャーロック・ホームズの栄冠』 (論創社)ほか多数。

北原尚彦『SF奇書天外』の「はしがき」を読む。


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