ゼロの怪物ヌル
『ゼロの怪物ヌル』
 畑正憲がSF小説を幾つも書いていることは、割と有名だろう。まずはジュヴナイルSF『ゼロの怪物ヌル』。金の星社〈少年少女21世紀のSF〉の第五巻として、一九六九年に刊行された。中学三年のケンは、家族やいとこのとも子らと、大島の別荘へと出かけた。ところが大島界隈では、不可解な出来事が続いていた。まずは近海の生物がすっかり減ってしまったこと。ぶよぶよとした、謎の物体が海の中に現われたこと。島に奇病が蔓延したこと……。科学的な側面でやや説明過多なきらいはあるが、サスペンスたっぷりの作品だ。
 本作は一九七二年に参玄社から再刊された際『海からきたチフス』と改題されてしまい、以降は常に改題名で刊行される。でもどう考えても、元の題名の方がカッコイイよね。角川文庫から『海からきたチフス』という本が出ていることを知った際、病気が蔓延するだけの話だと思い込み、SFだとはしばらく気が付かなかった――というのは昔のわたしの実体験。
深海艇F7号の冒険
『深海艇F7号の冒険』
 一九七七年に角川文庫から出た 『深海艇F7号の冒険』 は、カバー折り返しの紹介文には児童向けとは書かれていないが、読めば明らかにジュヴナイルSF。二十一世紀半ば(二〇五〇年前後)の深海を舞台にした、海洋冒険SFだ。プランクトンを分解して推進エネルギーに転換する“メタボリズムプレート”という動力の深海艇F7号に、古谷博士と息子の信也、養女のユリ(共に中学生)が乗り込んで海底探査に赴く。深海で潜水活動を行うためにはホルモンの関係で少年少女の方が有利なため息子たちを乗せるのだ。
 しかし出発前には、怪しい警告を受けたり、影のような謎の男が暗躍したりする。彼らの目的は何なのか……。海底の様子が描写されつつもストーリーが展開するという構成は、ジュール・ヴェルヌの 『海底二万海里』の影響のもとに書かれたのは明白だ。カバー折り返しのあらすじではちょっとネタバレをしているので、そこは見ずに読んだほうがいいかも。
恐竜物語
『恐竜物語』
作者のあとがきによると、『海からきたチフス』『ゼロの怪物ヌル』)を書いた後に姉妹篇として執筆したが、長らく発表せぬままとなっていたものを、角川文庫からオリジナルで刊行することとなったのだという。もっとも“姉妹篇”とは言え、海をテーマにしたSFというところでは共通点はあるものの、直接の続篇だとか同じ背景のもとに書かれたものというわけではない。
それからぐっと時代が新しくなって、映画になったことでよく知られるのが 『恐竜物語(上・中・下)』(角川文庫/一九八七年)。
  『REX』のタイトルで角川映画化(一九九三年)された際に、本のカバーも『REX 恐竜物語』と変更されてしまった(本体の表記は変わらず)。
 立野博士は、北海道の知床で化石化していない「恐竜の卵の殻」を発見する。とすると、どこかで氷づけになった恐竜の卵が見つかる可能性が出てきた。博士はこれを発見した上で恐竜を現代に甦らせようと考えたのである……。
 映画は子ども時代(十一歳)の可愛い安達祐実が出演している(これが映画デビュー作らしい)けれども、角川書店社長(当時)の角川春樹が違法薬物使用容疑で逮捕されたために、公開が途中で打ち切られるという不運に見舞われてしまった。
 もっとも、『恐竜物語』は割合とシビアな話なのに、『REX』は女の子と恐竜の赤ちゃんの交流を描くほのぼのストーリーに改変されてしまったらしい(実は見ていません)ので、別物だと言ってもいいだろう。
 なにせ、原作は卵を手に入れるまでの紆余曲折が延々と描かれ、陰謀が渦巻き、上巻では卵まで到達しないのだ。ましてや、卵が割れて恐竜が生まれるのは下巻に入ってから。しかも恐竜は人間に噛み付いて肉を喰らうのだ! 原作と映画はコンセプトが全く違います。
 コミック版も出ていたな……と思って調べたら、コミカライズしたのはCLAMPだったのか!
ムツ・ゴーロの怪事件
『ムツ・ゴーロの怪事件』
 石原藤夫氏の 『SF図書解説総目録』には、畑正憲のSFって確か他にも載っていたよな、と思い出し、同書を開いてみる。……あった、あった。 『ムツ・ゴーロの怪事件』(初刊・サンケイ新聞社出版局/一九七三年)という作品が、「SF味もありミステリーでもある軽いタッチの痛快物語」だそうだ。いい機会なので手に入れてみると、確かにカバー折り返しに「著者がはじめて試みたSF的・怪奇的長編推理小説である。」と書かれていた。さっそく読んでみた。主人公はムツゴロウならぬ大人物ムツ・ゴーロ氏。つまり畑正憲ではない。このムツ・ゴーロ氏のもとへ美人スリの怪盗蘭麻が弟子入りし、二人して怪奇な事件を解決することになる――という話。十二章まである長編小説だが、実質的には全十二話の連作短篇集と見なすべき構成だった。……ううーん、期待したほどSFではなかったなあ。死者が最後に見た光景を確認するため、眼球を生者に移植するという第四章「未婚の母」と、少年が鳩になり、また人間に戻るという第九章「旅」は、ややSF味あり。全体的には「奇想小説」だと言えましょう。少し昔の「明朗小説」のようなテイストもありました。
ムツゴロウの玉手箱
『ムツゴロウの玉手箱』
 石原インデックスには更に、 『ムツゴロウの玉手箱』(初刊・角川書店/一九七六年)もリストアップされていた。こちらは短篇集。うち二篇が、SFに分類されるらしい。で、読んでみました。
「河童」は、人間とカエルをかけあわせることによって河童を生み出す、という話だった。生み出そうとするだけのドタバタかと思いきや、ちゃんと河童が誕生するのでSFです。
「猿」は、最初は食べ物の話から始まるので現代が舞台かと思いきや、「コンピューターに接続された速報機」だとか「食欲増進剤」などが出てきて、未来らしいと判明。やがて、どうやら環境汚染によって豚や鶏など食料となる動物ががどんどん死んでしまった世界らしいとも分かる。そして最後に、意外な結末が待っている。これは正真正銘のSF。
 わたしが畑正憲SF集を編むとしたら、『恐竜物語』は分量が多いしあまりにも流布しているので見送るとして、(『海からきたチフス』ではなく)『ゼロの怪物ヌル』『深海艇F7号の冒険』のジュヴナイル二本と短篇「河童」「猿」、そして巻末に逆開きで『象昆鳥』を(ちゃんと絵本版で)収録するなあ。いかがなものでしょうか、各出版社の皆様?
(2011年5月6日)

北原尚彦(きたはら・なおひこ)
1962年東京都生まれ。青山学院大学理工学部物理学科卒。作家、評論家、翻訳家。日本推理作家協会、日本SF作家クラブ会員。横田順彌、長山靖生、牧眞司氏らを擁する日本古典SF研究会では会長をつとめる。〈本の雑誌〉ほかで古書関係の研究記事を長年にわたり執筆。主な著作に、短編集『首吊少女亭』 (出版芸術社)ほか、古本エッセイに『シャーロック・ホームズ万華鏡』 『古本買いまくり漫遊記』 (以上、本の雑誌社)、『新刊!古本文庫』 『奇天烈!古本漂流記』 (以上、ちくま文庫)など、またSF研究書に『SF万国博覧会』 (青弓社)がある。主な訳書に、ドイル『まだらの紐』『北極星号の船長』『クルンバーの謎』(共編・共訳、以上、創元推理文庫)、ミルン他『シャーロック・ホームズの栄冠』 (論創社)ほか多数。

北原尚彦『SF奇書天外』の「はしがき」を読む。


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