Scienece Fiction
2010.03.05
東浩紀「小松左京と未来の問題2」(2/4)
したがって、小松の想像力について、いま上記のような批評的な観点で限界を指摘することはあまりに容易である。実際にそのいささか古風な女性観は、最近の若い読者を彼の作品から遠ざけている、その一因になっているかもしれない。
しかし、ここではもう少し問題を掘り下げてみよう。ぼくたちはいま、小松SFとセカイ系の関係について考えている。その観点からはなにが言えるか。
あらためて思い起こしておこう。「セカイ系」とは一般に、大きな社会(象徴界)への関心を失い、小さな日常(想像界)と世界の終わり(現実界)が直結する感覚を描く独特の想像力を意味する。それはこの国では、宇野常寛が執拗に指摘するように、なぜかつねに「母性のディストピア」と、すなわち女性的なイメージの肥大化と結びついている。そして、そのうえでぼくはここまで、新井素子と法月綸太郎と押井守を読解対象として、その罠に半ば陥りつつも、しかし同時にそこから抜け出すモチーフを刻み込んでもいる、そのような想像力の複雑な力学を探り出してきた。
だとすれば、ここで小松の女性観を、古くさい、懐古趣味のものとして片付けるのはあまりにも単純である。ぼくたちはむしろ、小松の未来への想像力が、セカイ系と対照的であるように見えてじつは繋がっているのと同じく、彼の女性観もまた、現代の文学から離れているように見えて、じつは驚くほど近いと考えるべきではないか。
小松は廃墟から文学を始めた。彼のSF的想像力、「未来」への強い傾きは、敗戦により生じた中景の空白を埋めるために要請された。中景の消失は、社会的承認の剥奪、実存的不安の前景化を意味する。この点で『日本アパッチ族』の主人公が失業者だったことはじつに示唆的である。 結果として小松のSFにおいては、きわめてしばしば、「未来」をめぐる理念的で巨視的な思弁が語られるとともに、それをあたかも裏打ちするかのように、主人公の帰還の場所として、女性の、それも「母」のイメージが押し出されることになる。たとえば『復活の日』の最後の場面で、主人公は危機を乗り越え、長い旅を終え、白髪の女性に「わたしの息子」と呼ばれ迎えられる(注4)。小松が外国人女性の名としてなぜか「マリア」という名前を好んで用いることはよく知られているが、この文脈で考えればその選択もまた意味深い。
社会の消失。世界の終わりへの飛躍。すべてを包み込む母性。もしも小松SFを支える想像力について(少なくともその代表作を支える想像力について)、このような乱暴な図式化が許されるのだとすれば、それはすなわち、小松SFが、表面の印象とは裏腹に、全体としてセカイ系の想像力にきわめて近い構造を抱えていることを意味している。
それは常識的には意外な主張だろうが、しかしある視点で見れば当然の結論なのかもしれない。一九九〇年代以降の日本社会の衰弱は、しばしば「第二の敗戦」と呼ばれる。セカイ系の文学が、その「敗戦」の廃墟から生まれたということもまたよく言われることである。小松のSFは廃墟から生まれた。セカイ系もまた廃墟から生まれた。だとすれば、半世紀の時を隔てたとしても、そこで想像力の構造があるていど似てくるのはあたりまえではなかろうか。
社会派SFの巨匠、小松左京もまた、「セカイ系の困難」に直面した作家だったのである。
小さな日常と大きな世界を繋ぐ、いわゆる社会を描写することがとてつもない困難に感じられるメンタリティ、本論ではそれを「セカイ系の困難」と呼んでいる。小松は敗戦でその困難に直面した。そしてその困難を乗り越えるために、SFを、つまり「未来」の文学を書き始めた。
それでは、彼の「未来の思想」は、その困難をいかにして乗り越えようとしたのか。
読者を多少混乱させてしまうかもしれないが、ぼくはここでもういちど、しかし今度は別の角度から小松の女性観を検討してみることにしたい。
小松の描く女性、より正確には「母性」にはじつは二つの異なった像がある。そしてそれぞれが異なった未来に通じている。その隙間と葛藤にこそ、セカイ系の困難に対する小松の答えが隠されている、というのがぼくの考えだ。
どういうことだろうか。
ぼくはさきほど、「女シリーズ」を例に挙げて、小松の「ふるい日本の女」への愛着を指摘した。おそらくは多くの読者は、その表現から、慎み深い和装の淑女を想像したことだろう。実際に「女シリーズ」には、そのような女性像が繰り返し登場する。『果しなき流れの果に』の佐世子も(和装こそ身に纏っていなかったとはいえ)、ほぼその像に合致している。
しかしそれが小松の「永遠の女人像」のすべてなのかといえば、必ずしもそうは言えない。じつは小松の小説では、もうひとつまったく異なった女性像も重要な役割を果たしているからである。
あらためて『日本沈没』を詳細に読んでみよう。前回紹介したように、この作品は、日本列島の崩壊の過程や、政治家と科学者が交わす国家論や日本論が中心となるパニック小説で、登場人物の私生活の描写はきわめて少ない。
しかしそれでも、主人公(深海潜水艇の操縦士である小野寺)のまわりには二人の女性が配置されている。ひとり(玲子)は、留学経験のある名家の令嬢で、職場の上司から強く結婚を薦められている。もうひとり(摩耶子)は銀座のホステスで、「ちょっと変わった」「まるで幼児みたいなところがある」と描写される、いささか愚鈍な少女である(注5)。この二人は物語内の時間でほぼ同時に(同じ晩)相次いで現れており、小松がその対置に意味をもたせていたことは明らかだ。
小野寺は基本的には摩耶子には関心を寄せない。彼は玲子と婚約することになる。そして災害の初期段階で、二人でスイスへの脱出を決める。この時点での小野寺は、「日本人として生まれながら、『国』だの『民族』だの『国家』だのに、暗い、どろどろした、宿命的な絆などまるで感じていない」「戦後の青年」と形容されている(注6)。ところが出発の当日、玲子は富士山の噴火に巻き込まれ死んでしまう。衝撃を受けた小野寺は、脱出の意欲をなくし、残りの時間を被災民の救出に捧げることになる。そしてその過程で思いがけずに摩耶子と再会する。小説の最後は、高熱に襲われ現実感を失った小野寺が、「妻」を自称する摩耶子と寄り添い、「星一つない漆黒のシベリアの夜」を目的地もわからないまま運ばれていく場面で終わる(注7)。
注
4 小松左京、『復活の日』、角川文庫、一九七五年、三九九頁。原文の傍点は省略。【本文に戻る】
5 小松左京、『日本沈没』(上)、小学館文庫、二〇〇六年、一二〇頁。【本文に戻る】
6 『日本沈没』(下)、一七一頁。【本文に戻る】
7 『日本沈没』(下)、三九〇頁。【本文に戻る】
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しかし、ここではもう少し問題を掘り下げてみよう。ぼくたちはいま、小松SFとセカイ系の関係について考えている。その観点からはなにが言えるか。
あらためて思い起こしておこう。「セカイ系」とは一般に、大きな社会(象徴界)への関心を失い、小さな日常(想像界)と世界の終わり(現実界)が直結する感覚を描く独特の想像力を意味する。それはこの国では、宇野常寛が執拗に指摘するように、なぜかつねに「母性のディストピア」と、すなわち女性的なイメージの肥大化と結びついている。そして、そのうえでぼくはここまで、新井素子と法月綸太郎と押井守を読解対象として、その罠に半ば陥りつつも、しかし同時にそこから抜け出すモチーフを刻み込んでもいる、そのような想像力の複雑な力学を探り出してきた。
だとすれば、ここで小松の女性観を、古くさい、懐古趣味のものとして片付けるのはあまりにも単純である。ぼくたちはむしろ、小松の未来への想像力が、セカイ系と対照的であるように見えてじつは繋がっているのと同じく、彼の女性観もまた、現代の文学から離れているように見えて、じつは驚くほど近いと考えるべきではないか。
小松は廃墟から文学を始めた。彼のSF的想像力、「未来」への強い傾きは、敗戦により生じた中景の空白を埋めるために要請された。中景の消失は、社会的承認の剥奪、実存的不安の前景化を意味する。この点で『日本アパッチ族』の主人公が失業者だったことはじつに示唆的である。 結果として小松のSFにおいては、きわめてしばしば、「未来」をめぐる理念的で巨視的な思弁が語られるとともに、それをあたかも裏打ちするかのように、主人公の帰還の場所として、女性の、それも「母」のイメージが押し出されることになる。たとえば『復活の日』の最後の場面で、主人公は危機を乗り越え、長い旅を終え、白髪の女性に「わたしの息子」と呼ばれ迎えられる(注4)。小松が外国人女性の名としてなぜか「マリア」という名前を好んで用いることはよく知られているが、この文脈で考えればその選択もまた意味深い。
社会の消失。世界の終わりへの飛躍。すべてを包み込む母性。もしも小松SFを支える想像力について(少なくともその代表作を支える想像力について)、このような乱暴な図式化が許されるのだとすれば、それはすなわち、小松SFが、表面の印象とは裏腹に、全体としてセカイ系の想像力にきわめて近い構造を抱えていることを意味している。
それは常識的には意外な主張だろうが、しかしある視点で見れば当然の結論なのかもしれない。一九九〇年代以降の日本社会の衰弱は、しばしば「第二の敗戦」と呼ばれる。セカイ系の文学が、その「敗戦」の廃墟から生まれたということもまたよく言われることである。小松のSFは廃墟から生まれた。セカイ系もまた廃墟から生まれた。だとすれば、半世紀の時を隔てたとしても、そこで想像力の構造があるていど似てくるのはあたりまえではなかろうか。
社会派SFの巨匠、小松左京もまた、「セカイ系の困難」に直面した作家だったのである。
小さな日常と大きな世界を繋ぐ、いわゆる社会を描写することがとてつもない困難に感じられるメンタリティ、本論ではそれを「セカイ系の困難」と呼んでいる。小松は敗戦でその困難に直面した。そしてその困難を乗り越えるために、SFを、つまり「未来」の文学を書き始めた。
それでは、彼の「未来の思想」は、その困難をいかにして乗り越えようとしたのか。
読者を多少混乱させてしまうかもしれないが、ぼくはここでもういちど、しかし今度は別の角度から小松の女性観を検討してみることにしたい。
小松の描く女性、より正確には「母性」にはじつは二つの異なった像がある。そしてそれぞれが異なった未来に通じている。その隙間と葛藤にこそ、セカイ系の困難に対する小松の答えが隠されている、というのがぼくの考えだ。
どういうことだろうか。
ぼくはさきほど、「女シリーズ」を例に挙げて、小松の「ふるい日本の女」への愛着を指摘した。おそらくは多くの読者は、その表現から、慎み深い和装の淑女を想像したことだろう。実際に「女シリーズ」には、そのような女性像が繰り返し登場する。『果しなき流れの果に』の佐世子も(和装こそ身に纏っていなかったとはいえ)、ほぼその像に合致している。
しかしそれが小松の「永遠の女人像」のすべてなのかといえば、必ずしもそうは言えない。じつは小松の小説では、もうひとつまったく異なった女性像も重要な役割を果たしているからである。
あらためて『日本沈没』を詳細に読んでみよう。前回紹介したように、この作品は、日本列島の崩壊の過程や、政治家と科学者が交わす国家論や日本論が中心となるパニック小説で、登場人物の私生活の描写はきわめて少ない。
しかしそれでも、主人公(深海潜水艇の操縦士である小野寺)のまわりには二人の女性が配置されている。ひとり(玲子)は、留学経験のある名家の令嬢で、職場の上司から強く結婚を薦められている。もうひとり(摩耶子)は銀座のホステスで、「ちょっと変わった」「まるで幼児みたいなところがある」と描写される、いささか愚鈍な少女である(注5)。この二人は物語内の時間でほぼ同時に(同じ晩)相次いで現れており、小松がその対置に意味をもたせていたことは明らかだ。
小野寺は基本的には摩耶子には関心を寄せない。彼は玲子と婚約することになる。そして災害の初期段階で、二人でスイスへの脱出を決める。この時点での小野寺は、「日本人として生まれながら、『国』だの『民族』だの『国家』だのに、暗い、どろどろした、宿命的な絆などまるで感じていない」「戦後の青年」と形容されている(注6)。ところが出発の当日、玲子は富士山の噴火に巻き込まれ死んでしまう。衝撃を受けた小野寺は、脱出の意欲をなくし、残りの時間を被災民の救出に捧げることになる。そしてその過程で思いがけずに摩耶子と再会する。小説の最後は、高熱に襲われ現実感を失った小野寺が、「妻」を自称する摩耶子と寄り添い、「星一つない漆黒のシベリアの夜」を目的地もわからないまま運ばれていく場面で終わる(注7)。
注
4 小松左京、『復活の日』、角川文庫、一九七五年、三九九頁。原文の傍点は省略。【本文に戻る】
5 小松左京、『日本沈没』(上)、小学館文庫、二〇〇六年、一二〇頁。【本文に戻る】
6 『日本沈没』(下)、一七一頁。【本文に戻る】
7 『日本沈没』(下)、三九〇頁。【本文に戻る】
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