Scienece Fiction

2010.01.05

東浩紀「小松左京と未来の問題1」(4/4)



日本アパッチ族』は、失業が重罪となった未来の日本において、「失業罪」を宣告された主人公が、いっさいの人権を奪われて大阪市内の「追放地」に追いやられる場面から始まる、ブラックユーモアに満ちたコメディである。
 追放地で主人公は、「アパッチ」を自称する先住民に出会い、その一員となる。追放地には食料がない。そこでアパッチは鉄を食して生きている。アパッチは焼跡の屑鉄業者から進化した新しい「食鉄人種」であり(現実にも戦後大阪に出没した屑鉄泥棒はアパッチと呼ばれていたらしい)、民族的少数者や犯罪集団と深く連携している。「アパッチはそのほとんどが無籍者であり、前科者であり、「屑のような」人間だった」(注9)。既存の社会秩序にしたがわず、強靱な身体と合理的な思考を身につけたアパッチは、国家権力と正面から対峙し、ついには日本社会を内側から食い破ってしまう。『日本アパッチ族』は、そんな「革命」の過程について、半分人間、半分アパッチの主人公の視点から書かれた物語という体裁になっている。
 アパッチの存在が、「地には平和を」の記章と同じく、戦後民主主義の平和が、あるいは高度経済成長の繁栄が「忘れたもの」の象徴であることは明らかである。
 ただしこの小説は「地には平和を」と異なり、「この時代」の自明性を疑う契機を、歴史改変という直接的なかたちではなく、忘却された可能性の想起と誇張というかたちで導入している。そしてまた、物語の舞台が「この時代」に戻るのではなく、SF的想像力によって仮構された、もうひとつの日本に完全に移動してしまう点も異なっている。この小説の最後では、日本社会は完全に崩壊し、国土の大半が焼跡そっくりの荒れ地になってしまうのである。
 それゆえ『日本アパッチ族』では、主人公は最後、戦後の日本社会に腐敗臭を感じるのではなく、むしろ逆に、その「ちまちま」した幸せに対する愛惜の念を告白し物語を終えることになる。

「日本は……日本はほんまに、ええ国やった……」私は涙にむせびながら、とぎれとぎれにいった。「大阪かて、ええ街やった――うすよごれて、やさしゅうて……ちまちましとって……追放地はなんぼがらくたの焼け野原でも、その外に、そういう世界があると思うと、――その世界の音をきくと、心がなごんだものやのに――[……]」
[……]
「ほんまに、日本てええ国やったなア――わいかて好きやった……ちっこうて、かわいいて、やさしいて――ずっと昔、飛田で買うた初見世の女郎みたいやった……」(注10

 小松は、短編の第一作と長編の第一作でともに、SF的な想像力を、主人公または読者を「この時代」の自明性から引き剥がし、国家もなく社会もない裸の――小松の時代の哲学用語を用いれば「実存的」な――地点に追い込むために導入している。
 そしてここで重要なのは、小松がなによりも、そのような倒錯的な手法を経てはじめて、彼自身の「焼跡闇市派」としての経験を文学に昇華することができたということである。石川喬司は『日本アパッチ族』の角川文庫版に寄せた解説で、小松SFの故郷は焼跡だと語り、小松のつぎのような文章を引用している。「“廃墟空間”においては、一切の生産が“あそび”になる。世のもっともシリアスなことが哄笑のタネになり、意味が無意味になり、価値が無価値になる。革命も戦争も、“革命ごっこ”になり“戦争ごっこ”になる」。「時間、価値、意味等を完全に除去されたこの空間[廃墟]に、世界と、その文明の一切をおいてみると、そこでは、認識されるあらゆるものが、一切の秩序をはなれて、完全なる等価値――あるいは無価値と、同時併存性をもつことに気づくだろう」(注11)。焼跡の経験に基づくこのような思索があったからこそ、小松は、価値転倒の手段としてのSF的想像力にこだわり続けた。
 小松SFの、そして日本SFの起源には廃墟がある。裏返せば、日本SFは、その廃墟の空白を埋めるためにこそ一九六〇年代に華開くことになる。このことは、いま小松SFを再読するうえで、つまり、彼の「未来」志向が遠く滑稽に見えてしまうような時代において、あえて小松SFを読みなおすうえでは、とりわけ意識し続けねばならないことである。

 さて、ところで、いま引いた『日本アパッチ族』の一節にはもうひとつ注目すべきところがある。
 それは、小松がそこで、日本という国を女性に喩えているところである。じつはこの比喩は小松作品には頻出するものであり、それは、さきほど検討した『果しなき流れの果に』の佐世子の役割、さらには小松SF全体を貫くジェンダー論的な偏りとも深く関係している。そしてその検討はまた、この連載でいままで断続的に問われてきた、セカイ系の想像力と「母性」の問題に繋がっていくことになるのだが――。
 ここからさきの議論は次回に譲ることにしよう。



9 小松左京、『日本アパッチ族』、角川文庫、一九七一年、八七頁。【本文へ戻る
10 『日本アパッチ族』、三七四頁。【本文へ戻る
11 『日本アパッチ族』、三八五-三八六頁。引用部分は石川による引用からの再引用。【本文へ戻る
(2010年1月5日)


東浩紀(あずま・ひろき)
1971年東京都生まれ。東京大学卒。哲学者、批評家、東京工業大学世界文明センター特任教授。93年に『批評空間』でデビュー。96年に出版した思想書『存在論的、郵便的』で新世代の批評家として注目を浴びる。99年、第21回サントリー学芸賞を受賞(思想・歴史部門)。主な批評書に『動物化するポストモダン』『文学環境論集』『批評の精神分析』など。09年12月に初の単独創作長編『クォンタム・ファミリーズ』を上梓した。



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