Science Fiction

2016.04.05

大野万紀/アン・レッキー『亡霊星域』(赤尾秀子訳)解説(全文)[2016年4月]

赤尾秀子 hideko Akao

 本作は『叛逆航路』の続編であり、アン・レッキーの《叛逆航路》三部作の第二部、Ancillary Sword(2014)の全訳である。
 前作とはかなり雰囲気の異なった作品となっており、単独でも楽しめないことはないが、内容は第一部の直接の続編であり、独特の世界観や用語、登場人物などが前作からそのまま引き継がれているので、まだ未読の方はぜひ『叛逆航路』を先にお読みになることをお勧めする。『叛逆航路』は何しろ作者の第一長編にして、ヒューゴー賞、ネビュラ賞など英米のSF賞の七冠に輝いた作品であり、面白くて読み応えのあることは保証済み。もちろん本作も、二〇一四年の英国SF協会賞長編部門受賞、二〇一五年ローカス賞SF長編部門受賞に輝く、現代宇宙SFの傑作だ。

 まず読んでみて下さいとはいったものの、ここで前作の内容をざっとおさらいしておこう。ネタバレが気になる方は以下、読みとばして下さい。
 舞台は遙かな未来の銀河系。強大で専制的な星間国家ラドチが人類世界の大半を支配したうえ、ラドチに属さない惑星を武力で併合するということをくり返していた。それというのも、人類とは全く異質だがより進んだ科学技術をもつ、謎めいた”蛮族(エイリアン)”の異星人、プレスジャーの脅威に対抗するためである。だがラドチは数百年前に彼らと平和条約を締結。現在は緊張関係を保ったままの交易関係にある。
 ラドチの支配者はアナーンダ・ミアナーイ。彼女は約三千年前から絶対支配者としてラドチ圏に君臨している。その実体は、何千もの遺伝学的に同一な肉体をもち、互いにリンクしている分身の集合体だ。ところがある時、彼女たちの意識が分裂し、同じアナーンダでありながら敵と味方に分かれて戦うこととなった。だがこの事実は公にされないままに数百年にわたる暗闘が続き、そのことがいっそうラドチに混乱をもたらすこととなる。この物語は、その混乱に巻き込まれた人々の、愛と苦悩と決断の物語である。
 主人公はブレク。属躰(アンシラリー)の身でありながら、前作の最後でアナーンダにより軍艦〈カルルの慈(めぐみ)〉の艦長に任じられ、辺境の地、アソエクの星系へと向かうことになった。
 属躰とはラドチが侵略して連れ去った人間の肉体を戦闘用に改造し、その脳に軍艦のAI人格を強制的に上書きしたものである。ブレクは約二千年前の兵員母艦〈トーレンの正義〉のAIで、属躰でもあった。属躰は一体ではなく数十~数千体が存在するが、そのすべてが艦船と一体化しており、一種の集合意識を持つ。しかし、ブレクの場合は、二十年前に起こったある事情から、たった一体の存在となったのである。
 前作では、ブレクと、かつて〈トーレンの正義〉の副官であったセイヴァーデンとの関わりや、二十年前の〈トーレンの正義〉の副官オーンとの、愛と悲劇をもたらした決定的な関係などが重要だったが、それは本作にも引き継がれている。だが何よりも、アナーンダの分裂によりラドチが迎えた危機の中、再び軍艦のAIと直接意識をつなぎ、他の艦長にも命令する権限を持つ艦隊司令官となって、星系の平和と安全を守るため、閉鎖されたアソエク星系で彼女がどう立ち回っていくのかが、本作の最大のテーマといえるだろう。
 「彼女」と書いたが、このシリーズを読むうえでもうひとつ重要なのが、ラドチでは性別を気にすることがなく、男も女も等しく「彼女」と呼ばれていることである。ラドチの人々にとって、生物学的な男女差自体はあっても、それは社会的には一切意味がないことなのだ。もっともラドチ以外の人々には、まだ性差が意味をもつような文化も残っていて、ブレクたちはそういう人々と話す場合にはとても苦労して意識的にジェンダーを区別しようとする。だが通常の生活では全く意識することがない。ラドチには、男女の区別自体が存在しないのだ。文中で彼女と書かれていても、さらに姉や妹と書かれていても、それは性別には一切関係ないのである。
 読者は登場人物たちに、一般的な男女のイメージを投影して読もうとするかも知れない。それは無理からぬことだ。だがそうすると様々な混乱が生じ、必然的に読者自身のジェンダー観を問われることとなる。このシンプルな設定こそが、効果的でSFらしい衝撃を本シリーズにもたらしているのだ。それが、英米のSF賞をのきなみ受賞した理由でもあるのだろう。
 本作ではさらに、階級や宗教、人種といった社会的な属性にも踏み込み、前作にも増して多彩な人間関係や恋愛関係を精妙に描いている。それによる価値観の揺さぶりが、読者にとって新たな魅力となっている。

 さて本作『亡霊星域』では、前作と違って舞台はひとつの閉ざされた星系の中であり、前作が「動」であれば本作は「静」の巻だといえる。オマーフ宮殿での事件の後、星系間ゲートは封鎖され、軍艦以外は星系の外に出ることも、情報をやりとりすることもできない。そんな封鎖された星系のひとつ、アソエクに艦隊司令官となって現れたブレクは、様々な思惑と混乱の渦巻く中、この世界を、住人を、平和裏にコントロールしようとする。それに従いつつも反発する地元勢力……。前作の物語が現代的なスペース・オペラであったとすれば、本作はむしろ現代的な宮廷陰謀劇のように読めるだろう。
 本作では、主人公のブレクも体制からはみ出した一匹狼ではなく、皇帝から任命され、このローカルな領域内での最高権力をふるえる司令官の立場にある。惑星の有力者たちも、この星系に以前から駐留している軍艦〈アタガリスの剣(つるぎ)〉の艦長すらも、少なくとも表向きは彼女に従わざるを得ない。そんな力を手にしたブレクは、有力者の気まぐれに翻弄される一般市民や、さらには併呑されて下層民となった人々にまで、ラドチの権威の下での安全と公正を、たとえ限定的ではあっても自由と平等を、そして何よりも正義と礼節をもたらそうと努力する。
 ブレクは過去二千年の経験から、自分自身の限界も知っている。大きな力を手に入れても、できるだけ抑制し、司令官として指示や命令はしてもそれが無理強いや不正にならないよう注意深くふるまう。その一方で、ブレクは自分の個人的な思いにも積極的に関与していく。それはかつて愛し、そして失ったオーンの妹であり、園芸官をしているバスナーイドへの関わり方や、まだ十七歳の若い新任副官ティサルワット(一般市民が二百歳まで生きる世界での十七歳だ!)への、厳しい指導の仕方にも表れている。
 本作では、そういった若い部下の育成や(ティサルワットの場合にはまた違う要因もあるのだが)、軍隊組織の中での指導者のあり方、さらに異民族・異文化との関わりや難民問題といった社会的テーマまでが描かれていく。
 作中で重視されているものに、優雅にお茶を飲み、美しい茶器を愛でるラドチの習慣がある。専制的な社会の中、それはまるで往時の英国貴族のようだ。本作を評して宇宙版「ダウントン・アビー」と書いた記事をあちらのネットで目にしたが、確かにそんな雰囲気も感じられる。
 だが、本作には、大時代な宮廷陰謀や貴族的な精神だけでなく、きわめて現代的でSF的な描写もある。それは属躰であるがゆえの、ブレクの多視点的な意識の描写だ。ブレクの脳は艦船の機器とつながり、多数の視点で複数のシーンを同時に並列させて見聞きすることができる。誰かと話しながらも、その目と耳は遙か離れたところで起こっていることも同時に見聞きしているのだ。この描写がきわだった効果をあげている。いわば、何十人もの「家政婦は見た」システムであり、立ち聞き、盗み見のシステムである。監視カメラがあふれる現代社会を思わせるが、それが同時に一人の視点から描かれるのがとても面白い。
 本作の舞台としては、侵略・併呑された人々の住む惑星それ自体よりも、惑星を巡るステーションが中心となる。星間国家であるラドチは、惑星に基盤をおかない。ステーションこそが支配の基盤なのである。ちなみに、ラドチのような惑星ではなく宇宙空間に基盤をもつ星間国家といえば、筆者は森岡浩之の「星界の紋章」シリーズに登場するアーヴの帝国を思い浮かべた。どちらもかつての”銀河帝国”というアイデアを現代に蘇らせようとする試みではないだろうか。

 さて、第三部『星群艦隊』Ancillary Mercyでは、本作の事件の直後から話がスタートし、いよいよ三部作の完結編となって、本作とは対照的に再び動きの激しい物語が展開する。動、静ときて、また動に戻るわけです。乞うご期待!



■ 大野万紀(おおの・まき)
1953年生まれ。SF評論家、翻訳家。訳書にジョン・ヴァーリイ『汝、コンピューターの夢』(創元SF文庫)、編訳書にデーモン・ナイト『ディオ』(青心社SFシリーズ)、共訳書にヴァーリイ『さようなら、ロビンソン・クルーソー』(創元SF文庫)『残像』『逆行の夏』(以上ハヤカワ文庫SF)など多数。



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