Science Fiction

2016.05.09

岡部いさく/ギャビン・スミス『帰還兵の戦場1 コロニー星系の悪夢』(金子浩訳)解説(全文)[2016年5月]

岡部いさく isaku Okabe

 これは地獄めぐりの物語。地獄から帰った男が、再び地獄を行く。シリウス系第四惑星での異星人との戦闘の地獄で仲間を失い、今度は荒廃した地球の地獄の中で再び凄惨な戦いへと突き進むというところから始まるのが、この『帰還兵の戦場』Veteranだ。
 Veteran という言葉は、日本語ではすでに「ベテラン」として、職業や技術について長年の経験を持つ人物の意味で使われているが、英語ではその他に「古参兵」、「退役軍人」などの意味がある。この小説の題名のVeteran は「退役軍人」、戦場から帰還して退役した兵士のことで、つまり主人公ジェイコブ・ダグラスのことだ。
 物語の時は、今からおよそ三百年後。地球での大規模な核戦争「最終人類間戦争(FHC)」から二百五十年がたっている。人類は恒星間飛行を実現し、太陽系外の惑星にも進出、コロニーを建設したが、そこで未知の生命体〈やつら〉と出会ってしまう。〈やつら〉は人類とは一切対話せず、ひたすら人類のコロニーを破壊、植民した人間を殺戮する。〈やつら〉との戦争はすでに六十年以上も続いているが、人類は劣勢で、コロニーは次々に〈やつら〉に蹂躙されている。一方地球は「最終人類間戦争」で荒廃し、海面は上昇、西ヨーロッパやアメリカはかつての覇権と繁栄を失って久しい。さらに〈やつら〉との長い恒星間戦争で社会は疲弊して、階層の格差は広がり、上層が富と権力を握り、下層は貧困と圧制の下に置き去りにされている。主人公ジェイコブは体内に武器を内蔵、体内修復システムを備え、ネットワークとの接続ジャックを埋め込んだサイボーグ兵士として、イギリス陸軍特殊部隊SASの隊員となり、シリウス系第四惑星での戦いの後に退役、スコットランドの都市ダンディーの貧民窟「リグズ」で、酒と仮想現実に溺れて生きている。
 この『帰還兵の戦場』は、主人公が退役軍人で、多くの戦闘場面があることから、近年流行のミリタリーSFの一つとして読むこともできる。しかしミリタリーSFとしてはかなり異色な小説だ。未来の地球社会が貧困と格差と暴力のディストピアとして描かれているところは、ドイツ人作家マルコ・クロウスの『宇宙兵志願』(金子浩訳、ハヤカワ文庫SF)とも通じるが、『宇宙兵志願』やロバート・ブートナーの《孤児たちの軍隊》(月岡小穂訳、ハヤカワ文庫SF)シリーズのように、主人公が戦いを重ねて昇進していくわけではない。『帰還兵の戦場』では、そもそもそうした戦いを生きのびて帰還してきた兵士が主人公だ。それに歩兵を主人公にしたミリタリーSFでは、分隊や小隊といった比較的小規模な部隊単位の戦闘を描いているものが多いが、『帰還兵の戦場』で描かれるのは軍隊の中の兵士の戦いというよりも、ジェイコブ・ダグラスという個人、元特殊部隊員の”帰還兵の戦場”の戦いだ。しかもその描写の詳細で執拗なこと。戦闘の恐怖や被弾の痛みまでが伝わってくる、という点でも『帰還兵の戦場』はミリタリーSFの中でもユニークだ。
 アメリカのミリタリーSFでは、たとえ舞台がディストピアとなった未来の人類世界でも、主人公がその世界から疎外されて軍隊に入隊していたとしても、その戦いがいずれは人類の勝利や、より良い世界の復活につながることが描かれたり示唆されたりしていることが多い。ところがこの『帰還兵の戦場』では、少なくとも第一巻の「コロニー星系の悪夢」では、ジェイコブは娼婦の少女モラグやかつての戦友とともに逃走と戦闘を続けるものの、未来への光明は見えてこない。このペシミスティックなビジョンもアメリカのミリタリーSFにはなかなか見られないもので、いかにもイギリスSFという感じがする。
 ジェイコブは元SAS隊員という設定だが、SAS、つまり「スペシャル・エア・サービス」は第二次大戦中に編成されたイギリス陸軍の特殊部隊で、しばしば「特殊空挺部隊」と訳される。SASの隊員はパラシュート降下を行うこともあるが、それはあくまでもSASの能力の一部であって、空からの敵地侵入を専門とするわけではなく、その点では普通の空挺部隊とは異なっている。「スペシャル・エア・サービス」という部隊名も、第二次大戦当時の敵軍ドイツやイタリアに部隊の本当の性格や任務を悟られないための偽装としてつけられた名称だった。
『帰還兵の戦場』には他にも、SASのイギリス海軍・海兵隊版であるSBS(スペシャル・ボート・サービス)や、アメリカ陸軍の第百六十特殊作戦飛行連隊「ナイトストーカーズ」の元隊員も出てくる。いずれも実在の特殊部隊で、この「ナイトストーカーズ」という部隊は、アメリカ陸軍だけでなく空軍や海軍、海兵隊の特殊部隊の侵入などの作戦を支援するため、さまざまなヘリコプターを装備している。二〇一一年にアメリカ海軍特殊部隊SEALs(シールズ)が、パキスタンのアボッタバードでイスラム武装組織アルカイダの指導者オサマ・ビン・ラディンの住居を強襲、殺害した作戦でも、特殊なステルス・ヘリコプターで部隊を輸送したのが、この「ナイトストーカーズ」だった。『帰還兵の戦場』の登場人物の経歴を見ると、さながら今日の各国精鋭特殊部隊のオールスターのようでもある。
 特殊部隊ではないが、イギリス陸軍のコールドストリーム近衛連隊という、やはり今日実在する部隊の名も出てくる。今から三百年後の世界で、今日の特殊部隊や近衛連隊の名称がそのまま生き残って使われているとすると、さぞや歴史と伝統のある部隊となっていることだろう。それをいうなら、コールドストリーム近衛連隊は、そもそもの源流は十七世紀半ばの清教徒革命に遡ることができるというから、二十一世紀の今日ですでに三百年超の歴史を持っていることになる。これほどの由緒ある部隊なら、あと三百年ぐらいは楽に生きのびても不思議はなさそうだ。
『帰還兵の戦場』では、レーザー拳銃やスマートガン、多銃身速射レールガンなど、いかにもSFらしい火器が使われているが、それとともにスターリング・サブマシンガンやカラシニコフといった今日の世界に実在する銃、あるいは同じ名を持つ銃も使われている。このように銃器の名前まで克明に書くのは、イギリス冒険小説、たとえばギャビン・ライアルあたりの作品にも似ている。そういえばギャビン・ライアルの小説でも軍を退役した一匹狼という主人公が多かった。あるいは作者は彼の小説が好きなのか?
 作者のギャビン・スミスは、一九六八年、スコットランドのダンディー生まれ。大学で映画脚本創作を学び、さらに中世史で修士号を得ている。二〇一〇年に発表したこの『帰還兵の戦場』がデビュー作だ。『帰還兵の戦場』の物語が始まるダンディーは、作者スミスにとっては生まれ故郷ということになる。その故郷の未来を、海面上昇と環境汚染、貧困にまみれた断末魔の都市として描いている。
 ダンディーよりもっと北で、同じくスコットランド東岸の都市アバディーンは、一九七〇年代に北海油田が発見されると、その補給基地として栄えることとなった。しかし二〇〇〇年代にはイギリスの北海油田はすでに資源が枯渇し始め、二〇二〇年代からは海上プラットフォームの中には操業を停止するものも出ると予測されているという。おそらくスコットランドでは北海油田によるブームの終焉の予感がきざしているのだろう。『帰還兵の戦場』のダンディーには、町を流れるテイ川に廃棄された海上プラットフォームの「掘削装置(リグ)」が、廃船とともに係留されて、貧民街を形成している。その荒涼とした光景は作者にとってはありうる未来の姿の一つなのだろう。作者のホームページによると、ギャビン・スミスはイギリスのさまざまな都市で暮らしており、イングランド北東部のハル、つまりキングストン・アポン・ハルにも住んでいたそうだ。「これらの都市に住んだことのある人なら、どうして彼の小説がこうなのかわかるだろう」ともホームページには記されている。
 さて、この『帰還兵の戦場』、イギリスでは二〇一〇年六月にゴランツ社から一巻本として出版されている。創元SF文庫では邦訳を三分冊とし、この第一巻「コロニー星系の悪夢」に続いて「軌道エレベーターの下で」「アステロイドベルト急襲」の全三巻として三ケ月連続刊行する。ジェイコブ・ダグラスはさまざまな帰還兵(ヴェテラン)たちとさらに深く地獄へと踏み入って行くのだが、それにつれて読者には、少女モラグが背負うことになった重荷や、〈やつら〉との戦争の原因、元サイバー通信兵ペイガンの目指すものが次第に明らかになってくる。ときどきフラッシュバックのように挿入されるシリウス系第四惑星「ドッグ4」での戦闘の全貌と、その戦闘と物語との関係も明かされていくことになる。
 世界にとって重大な意味を持つ荷を負った少女、彼女を守って、強大な力を持つ敵から逃げるために戦う男、その逃走の中でさまざまな者たちと出会い、仲間となる、という『帰還兵の戦場』の物語を読み進めると、どうもJ・R・R・トールキンの『指輪物語』との相似が思い浮かんでくる。ただし『帰還兵の戦場』の場合は、重荷を背負うことになった者ではなくそれを守る者が主人公となっていて、その主人公は世界を回復する役目があるわけでもないので、『帰還兵の戦場』と『指輪物語』を重ね合わせようとしても、そうぴったり重なることにはならないが。
 ギャビン・スミスは『帰還兵の戦場』刊行の翌年、二〇一一年には続編となるWar in Heavenを発表している。そちらも創元SF文庫で刊行の予定だ。『帰還兵の戦場』の地獄の戦いが、果たしてHeaven(天国)ではどんな戦いになるのか、本書同様、見事な翻訳で早く読みたいものだ。


■ 岡部いさく(おかべ・いさく)
1954年生まれ。軍事評論家。学習院大学文学部フランス文学科卒。著書に『世界の駄っ作機』『英国軍艦勇者列伝』など。



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