Science Fiction

2013.03.05

第33回日本SF大賞受賞記念インタビュー――宮内悠介『盤上の夜』を語り尽くす!/宮内悠介(第33回日本SF大賞受賞作家)×草場純(ゲーム研究家)×岡和田晃(SF評論家/ゲームライター)(1/4)[2013年3月]

(構成:岡和田晃)

■はじめに 岡和田晃

 東京創元社から『盤上の夜』を刊行され、このたび第33回日本SF大賞に輝いた宮内悠介さんにお話をうかがいます(月村了衛さんの『機龍警察 自爆条項』と同時受賞)。
 宮内悠介さんは1979年生まれ。2010年に「盤上の夜」で第1回創元SF短編賞山田正紀賞を受賞。同作を表題作とする短編集『盤上の夜』は、第147回直木賞候補になり、SF界のみならず、広く読書家たちの話題を席捲しました。
 ほか、〈SFマガジン〉に「ヨハネスブルグの天使たち」に始まる《DX-9》シリーズを、国産SFアンソロジー《NOVA》シリーズ(河出文庫)には「スペース金融道」に始まるユーモア・スペースオペラ・シリーズを発表するなどされ、また『年刊日本SF傑作選 拡張幻想』には「超動く家にて」を寄稿。「スペース地獄編」は第43回星雲賞日本SF短編部門の候補となりました(その他の作品については、インタビュー末尾にまとめてあります)。
 2013年1月29日には第6回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞と、疾風怒濤の活躍をされている宮内悠介さん。その出発点を探るために、『盤上の夜』へ――主題である「ゲーム」という観点から――ディープに切り込みたいと思います。



■今回は、草場純さん(ゲーム研究家)との鼎談です

岡和田 宮内悠介さんは1979年生まれで、今のSF作家では最も若い世代。加えて2010年デビューということで、一説によれば日本SF第6世代に属するとか。
 そのデビュー作が直木賞候補となり、日本SF大賞を射止めてしまうなんて、ひとつの事件ですね。

宮内悠介 まさかの展開でした。どうもありがとうございます。

岡和田 しかし一方で、私にとって面白かったのは、『盤上の夜』が、囲碁や将棋といった、アナログゲーム(電源を使わないゲーム)を題材とした連作短篇集だったということです。

《『盤上の夜』収録作 (※解説文は単行本『盤上の夜』より)》

「盤上の夜」:【囲碁】2人で行なう盤上遊戯。交互に黒白の石を置いていき、囲んだ領域の広さを競う。ルールはきわめて単純で制約も少ないが、その一方、チェスや将棋といった盤上遊戯に比べ解析は困難である。偶然の要素はなく、二人零和有限確定完全情報ゲームとして考えられる。

「人間の王」:【チェッカー】2人で行なう盤上遊戯。赤と黒の12個ずつの駒とチェス盤を用い、相手の駒をすべて取るか、相手を動けない状態にすれば勝ちとなる。駒を一番奥まで進めると、その駒は「キング」として「成る」ことができる。2007年、アルバータ大学のシェーファーらにより、双方が最善を尽くした場合、必ず引き分けに至ることが証明された。

「清められた卓」:【麻雀】4人がテーブルを囲み、136枚の牌から14枚を組み合わせ、役を揃える。牌の種類には萬子(マンズ)、筒子(ピンズ)、索子(ソーズ)、字牌があり、萬子、筒子、索子は1から9までの9種、字牌は三元牌と呼ばれる3種と四風牌と呼ばれる4種からなる。一般には、賭博性を持つゲームとして理解されている。

「象を飛ばした王子」:【チャトランガ】古代インドの盤上遊戯の一つ将棋やチェスの起源と考えられている。発祥年代については諸説あり、西暦600年頃から、古くは紀元前までさかのぼる。一説には、戦争好きの王に戦争をやめさせるため、高僧が王に献上したのが始まりとされている。

「千年の虚空」:【将棋】2人で行なう盤上遊戯。縦横9マスに区切られた盤を用い、敵方の王を詰めることを目的とする。チェスなどと同様に、古代インドのチャトランガが起源と考えられているが、取った駒を使える「持ち駒」という概念は将棋特有のものである。日本将棋、本将棋ともいう。

「原爆の局」:【囲碁】

岡和田 ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』や、若島正さんが編纂したチェス小説アンソロジー『モーフィー時計の午前零時』など、ゲームを扱った名作は少なからず存在してきましたが、近年刊行されたゲームを扱った小説のなかでも『盤上の夜』は、特に刺激的な作品でした。これまで『盤上の夜』はさまざまに語られてきましたが、とりわけ扱われるゲームそのものに着目した言説は少ないと思います。
 このあたりを、いちどじっくりお聞きしようと思ったわけで、今回はゲーム研究家の草場純さんにご協力をいただくことにしました。草場さん、自己紹介をお願いします。

草場純 草場純です。岡和田さんと一緒に「Analog Game Studies(アナログゲームスタディーズ)」というゲームを社会とつなぐ研究会をやっています。1950年東京生まれ。長年、小学校の教員をやりながら、色々なゲームを遊んできました。

岡和田 草場さんは「日本で一番子どもとゲームを遊んだ教員」なんですよね(笑)。

草場 ええ。でも私の場合はデジタルゲームではなく、もっぱらアナログのゲームやわらべ遊びなどが守備範囲ですが。
 1982年から日本で最も古いボードゲームサークルの一つ「なかよし村とゲームの木」を主催し、毎週各種ゲームの例会をやっています。あとは、「ゲームマーケット」というイベントの、もとは主催をしていました。遊戯史学会の会員でもあります。

岡和田 先日開催された「ゲームマーケット2012秋」は、4200人を超える規模の人が集まったとか。

草場 今は「JAPON BRAND」といって、日本のゲームを海外に紹介するプロジェクトの代表をやっています。
 古いSFファンでもあって、〈SFマガジン〉の「えとせとら」欄に毎号告知が出ている「SF乱学講座」(SF評論家の大宮信光さんが立ち上げた市民講座)にも、前身である「SFファン科学勉強会」の頃から参画しています。〈SFマガジン〉にゲームについての論考が掲載されたこともありますよ(1976年2月号)。

岡和田 補足しますと、草場さんは『ゲーム探検隊』(グランペール、共著)など、ゲームについての著作もあり、各種ゲーム専門誌で雑誌記事を書いたり、関連して新聞やテレビの取材を受けることもあります。
〈子どもプラスMini〉という雑誌で連載していた「草場純の遊び大百科」は、大幅な書き下ろしを加え、単行本化を予定しています。また、イタリアの伝統ゲーム『クク』を日本に紹介したことでも知られていますね。

宮内 『クク』を見たことがありますが、綺麗なカードですよね。タロットなどにもお詳しいのですか?

草場 (待ってましたとばかりに取り出し)これは「なかよし村」が20周年記念に作ったゲーム専用のタロットカードで、大アルカナが切り札……。

宮内 そうか、トランプはタロットから来ていますものね。

岡和田 さっそく盛り上がっていますね、安心しました。私はアナログゲームの中でもゲームブックやロールプレイングゲームを主な守備範囲としてきましたので、今回はより専門的な補足をいただければと、草場さんのお力を借りることにした次第です。

草場 はい、よろしくお願いします。


■クリエイティヴな子ども

岡和田 『盤上の夜』の話の前に「宮内悠介ができるまで」を振り返りたいと思います。そもそも、いつ頃から小説を書き始めたのでしょうか。

宮内 小説を書き始めたのは、16、17歳の頃です。

岡和田 それをお聞きして、イベント「SFセミナー2012」の合宿企画「『原色の想像力2』読書会」の時に、第1回創元SF短編賞を「あがり」で受賞された松崎有理さんが、パネリストの自己紹介を記した小冊子(4.5MB、zipファイル)を作ってくださったことを思い出しました。
 宮内さんはそこでの質問「創作をはじめた時期とそのきっかけ」に、「11歳、MSXにPSG音源が入っていたので作曲。16歳、Windows3.1にメモ帳が入っていたので小説作成」と答えておられました。ということは、MSXで作曲を始めたのが創作のはじまり?

宮内 作曲はプログラミングの延長線上で始めたのです。紙と鉛筆さえあれば退屈しない子どもで、小さい頃から何かしら作っていまして。だから、それ一台でいろいろと作れるコンピュータは魅力でした。

岡和田 それはすごい。クリエイティヴな子どもだったんですね。私は紙と鉛筆だけあっても持て余して、本ばかり読んでいた子どもだったので、才能の差を感じます。

草場 私は外で遊んでばかりいる子どもだったな(笑)。

岡和田 なんですか、その落とし方は(笑)。

草場 いいじゃないですか、三者三様で(笑)。ところで宮内さんは、どちらのお生まれなんですか。

宮内 東京生まれ、育ちはニューヨークです。

岡和田 何歳から何歳ごろまで、ニューヨークにいらっしゃったのですか。

宮内 4歳から12歳くらいまでですか。そういえば、アメリカの小学校にはゲームの時間がありまして。班ごとに分かれてボードゲームを遊ぶんです。なかには、自分でボードゲームをデザインしてくる奴もいたりして。あれは楽しい時間でした。

草場 へえ、それはすごい。日本の小学校では馴染まないかな……課外活動になっちゃうかな。大学や高校では、もちろん選択授業となってしまいますが、コントラクト・ブリッジを教えている知り合いもいます。
 友人のプロ棋士、堀口弘治七段が、学校へ教えに行っているとも聞いたことがあります。私が小学校で教えていた時は「ゆとり教育」の一環でしたね。「ゆとり教育」には批判も多いけど、わたしは評価しているんですよ。

岡和田 ニューヨークから、いつ日本に戻って来られたのですか?

宮内 中1の途中です。

草場 日本に戻って来られて、苦労はされました?

宮内 言葉の面では苦労しました。4歳から行っていたくせに、バイリンガルになれなくて、頭のなかは日本語だったのです。だから帰国して、とにかく脳内の言語と同じ言葉で話せるのが嬉しくて。高校などは帰国子女がいっぱいいて気楽でした。

草場 私にしたら、むしろ周りが英語ばかりの環境で、頭の中で日本語を話せるほうが、逆にすごいと思いますが(笑)。

岡和田 そういう見方もできますね(笑)。ただ、わたしもアメリカにホームステイした際には、思うように周りと話せなくて苦労したので、宮内さんのご苦労もよくわかります。

草場 私が高校生の時には、翻訳家の浅羽莢子さん(代表作《ゴーメンガースト》シリーズ、『死者の書』『火吹山の魔法使い』等)のお兄さんが同級生で、この人も、とても英語が良くできたんです。
 いちど辞書を見せてもらったのですが、英語の辞典よりも、むしろ国語辞典が使い込まれて真っ黒でした。

宮内 (感心して)へえ~。

岡和田 翻訳は、日本語の選定こそが重要とも言われますからね。

草場 だから、思考の基盤となる母語をしっかり獲得できたのはすごいと思うんです。
 もう一つ、失礼かもしれませんが、宮内さんって、サウスポーですよね。

宮内 はい。

草場 私はずっと左利きの生徒の教育について研究してまして。

宮内 やはり、全然違うんですか。

草場 違いますね。まず、字が書けないでしょう。日本語も英語も、右利きの人のための言葉なんですよ。だからサウスポー、左利きの人は、ある意味で創造的というか、自分なりのやり方を、発明するのが上手なんです。

宮内 必ずしも俗説ではないということですか。

草場 左利き用のハサミとか、定規とか、いっぱいありますよ。パレットや急須なんてのもありますよ(笑)。

宮内 (これまた感心して)へえ~。

岡和田 面白くなってきました。もう少し、作家・宮内悠介の前史を掘り下げていきましょうか。
 先のSFセミナーで配られた資料には、「ディック→新本格→ポストモダン→近代文学→世界文学→SF」という「SF読書歴」も紹介されていました。

宮内 とりあえず、創作歴を追っていくような形でもいいでしょうか。


■プログラミングから小説創作へ

岡和田 創作以前にプログラミングをなさっていたとうかがいました。

宮内 せっかく幼少期をアメリカで過ごしていたのに、ものすごいインドア派といいますか、絵を描いたりコンピュータをいじったり、そんなことばかりをしていました。

岡和田 使用言語はどのあたりでしたか? BASICとか?

宮内 当時は、BASICと、それからマシン語です。それで、人工知能もどきですとか、3Dですとか、ホビーでプログラミングをやる人たちが一度は作るようなものを作っていました。3Dは、いまもたまに息抜きにやってます。

草場 コンピュータ将棋にはご興味があるのですか?

宮内 囲碁のほうが親しんでいるので、コンピュータ囲碁は追いかけています。ようやく、最近強くなってきまして……というより、ここ一年でついに追い抜かれました。

岡和田 アメリカにいた頃、本は読まれていたのでしょうか?

宮内 まず、最初に日本語を忘れないようにと与えられたのは『ドラえもん』『パタリロ!』というような漫画でした。

岡和田 『パタリロ!』が与えられたというのはすごいですね(笑)。

宮内 そのころでしたか、(フィリップ・K・)ディックも家族に勧められて読み始めたのでした。私があんまりコンピュータにばかり向かっているので、心配したのかもしれません。
 つまりその、しょせん子供ですので、自分はきっと人類を超えた素晴らしい知性を生み出せるに違いないと信じていたわけです。そういう子供の目を覚ますには、もはやSFしかない。

一同 (爆笑)

宮内 帰国してから公立中学校に入り、高校は早稲田の付属、そこから早稲田大学の第一文学部に進学しました。

岡和田 ああ、私も一文なので、宮内さんは2学年上の先輩ですね。一文は二年次から専修(専門)を決めますが、言語学を学ばれていたとお聞きしましたが?

宮内 英文学専修だったのですが、シェイクスピアより言語学に惹かれました。それで、せっかくですから、卒論はコンピュータを使った自然言語処理をと。
 当時はネットが普及したてで、(Googleのような)ロボット型の検索エンジンが出たばかりだったのですね。そこで、ロボット型検索で文脈解析を拡充しようと計画を立て、プログラムも組んだのですが、先生のほうから「ごめん、わからない」と(笑)。それもそうだなと思い、3日で概論を書いてぶち上げる始末になりました。

岡和田 なんともワセダ的ないい加減さだなあと(笑)。

宮内 明らかに私が悪いわけですが(笑)。

草場 非常に現代的で面白いじゃないですか(笑)。


■新本格からの影響、ワセダミステリクラブでの活躍

岡和田 なるほど、少しずつ、宮内さんのバックグラウンドが見えてきました。小説を書き始めたのは、日本に戻ってからなんですよね?

宮内 ええ。高校の時に新本格(ミステリ)を読み、その頃から小説を書き初めました。

岡和田 新本格というと、どのあたりでしょう?

宮内 それこそ綾辻行人、法月綸太郎、それに麻耶雄嵩ですとか……。

岡和田 意外と王道ですね(笑)。

宮内 いまも新本格というと、いまもどうしてもこのあたりが浮かびます。

岡和田 私なんかは我孫子武丸がシナリオを担当したデジタルゲーム『かまいたちの夜』が新本格的なものとのファースト・コンタクトでしたから。

宮内 なるほど。

岡和田 それにしても、ディックから新本格とは、わかるような、意外なような(笑)。

宮内 連続しているわけではないのです。ディックを読んでいた頃は、その裏にある「小説全体」を意識していなかった。意識し始めたのは、新本格を読み始めてからでしたか。目に見える形で、先行作の蓄積を示してくれますから。

岡和田 とすると、「盤上の夜」の場合は……。

宮内 題名は(エラリー・)クイーンの『盤面の敵』を踏まえた、北村薫の『盤上の敵』をさらに踏まえています。ジャンル小説への眼差しと、伝言ゲーム性のようなものの両方を示したかったのです。
 で、クイーンの『盤面の敵』は、実際は(シオドア・)スタージョンが代作したものとして知られているので……。だから、『盤上の夜』の冒頭には、棋譜の偽作の話が出てくるのです。

岡和田 最高のツカミになってますね。私はミステリ評論も書くのですが、すっかり見落としておりました。お恥ずかしい。
 では、プログラミングから小説創作に進んだのは「神」を生み出そうとしたヴァーナー・ヴィンジ的な動機に基づいているということで、よろしいでしょうか(笑)。

宮内 素朴に「かっこいいトリックで読者を騙したい!」と思ってました(笑)。

岡和田 そんなベタなところと、超越性への希求が絶妙にブレンドされているところが、実に面白いですね。

宮内 高校の時、隣のクラスでミステリの問題編を出して、当てられたらカレーを奢る、みたいな遊びをやっている奴がいまして。それで、自分も問題を出してみようと思い立ったのでした。
 内容も思い出しました。なぜか孤島にライブハウスがあり、そのライブハウスは六角形をしているという、自由なような、チャイルディッシュなような……。

岡和田 ゲーム的なものへの興味と小説的なものへの興味は、もとは同じだったのでしょうか?

宮内 なんとも言えないのですが、二つの流れが合流した感じでしょうか。まずコンピューティングからディック、そして新本格から小説創作と。

岡和田 それで海外放浪もなさっていたりするのですから……。

宮内 経歴や興味が支離滅裂だから、聞くほうも大変です(笑)。

岡和田 いや、こちらの方がはるかに面白いですよ(笑)。『盤上の夜』の著者紹介には「(大学)在学中はワセダミステリクラブに所属」とありますが、クラブ内では、どんな活動をなさっていたのでしょうか。

宮内 大きいサークルなので活動も人それぞれなのですが、私の場合、麻雀と創作ばかりやっていた気がします。二言目には「書こうぜ、書こうぜ」と周囲を煽って嫌がられたりですとか。

岡和田 ご自分で雑誌の編集などはなさったのでしょうか?

宮内 クラブ内でいくつか雑誌を編集しました。卒業後は一人で書いていたのですが、新人賞にもひっかからなければ仕事も忙しい。それで、だんだん寂しくなってきまして、「清龍友之会」というクラブOBの同人に参加しました。あんまり仲間とつるむのも褒められたことではないのですが、一人で鬱々とするのはなおさらよくない気もします。

岡和田 まさしく「新本格」とも言える“バカSF”の傑作「超動く家にて」(『拡張幻想』所収)は、「清龍友之会」の「清龍」10号が初出でしたね。

宮内 あれは、日下三蔵さんが選んでくれたようです。大森望さんは、一応、反対してくれたと聞きます(笑)。

岡和田 ワセダミステリクラブでは、どんな人に影響を受けましたか。

宮内 『本格ミステリ鑑賞術』の福井健太さんでしょうか。向こうがどうお考えかはわかりませんが、サークルの溜まり場によくいらっしゃったので、よく愚痴などを聴いてもらいました。

岡和田 福井健太さんは、ミステリを中心に、コミック等についても批評活動を行われていますね。『本格ミステリ鑑賞術』は、第13回本格ミステリ大賞の候補作にノミネートされたばかりです。

宮内 知的刺激がものすごかったです。で、受け継いだものはなんでしょう。ジャンル読者的な微妙な屈折とかでしょうか(笑)。

岡和田 でも、『盤上の夜』のような風変わりとも言える作品を、SFファンが積極的に支持したのは、そうした良い意味でのジャンル読者的屈折が、共感を呼んだという面があったからではないかとも思います(笑)。

宮内 普遍への欲求のようなものと、仲間をゲラゲラ笑わせたい欲求のようなものとが、常にせめぎ合っている感じです。


■壮絶なる海外放浪

岡和田 その後の経歴としては「インド、アフガニスタンを放浪」とありますが、当時は、イラクで香田証生さんが惨殺された事件(2004年)などもあり、時局が騒然としていた頃だったと思うのですが、よくそんな冒険ができましたね。

宮内 パキスタンからアフガニスタンに入ったのですが、奇跡的に治安がいい時期でもあったのです。9・11の後だったのですが、ちょうどアメリカ軍が入ったばかりで。で、帰国後、正社員として就職し、プログラマーなどをしていました。海外は見ておきたいけれど、同時に、組織のことも知っておきたいという気持ちがありまして。

岡和田 それは、小説を書きたいという目標が常にあったからですか?

宮内 もちろんそうです。だから危険だろうとなんだろうと、多くのものを見ておきたい。動機としては一番不純です。

草場 そりゃ面白いですね。ヒッチハイク風なんですか?

宮内 場所によりますが、ヒッチは身ぐるみはがれる危険が……。

草場 私の頃には『深夜特急』(沢木耕太郎のルポルタージュ)が流行りましたが、かなり危なっかしいでしょうね。

岡和田 私は文芸専修という、卒論の代わりに小説を出すことのできるコースにいたのですが、作家志望のアマチュア青年たちは、生き様そのものが文学的でなければならないと、あえて自らを追い詰めていくところがありました。
 ある日突然、ろくな準備もなしに「人間の楯」になろうとしたのか、イラクに行くと宣言し、周りに必死で止められる人が出てきたり……。

草場 いつでもあるんだなあ。就職してからは、海外放浪はしなかったのですか。

宮内 転職のタイミングなどに、ちょこちょこと。アラビア半島のイエメンからエチオピアに渡りました。(詩人の)アルチュール・ランボーが筆を折った後、武器商人をやっていた頃、通った道なので、それを追ってみたいと。

岡和田 おお、ランボーが好きなんですか。鈴村和成さんの『書簡で読むアフリカのランボー』を読んでいたので思い入れ深いです。

宮内 アデンという港からアフリカへ渡りたかったのですが、管理が厳しくて貨物船に潜り込めなくて。結局、モカという港から小さな船に乗りました。それがまたいまにも壊れそうな小舟で、ソマリアの海賊もこれは襲わなさそうだという。

岡和田 壮絶な話ですね。ヨーロッパには興味がなかったのでしょうか?

宮内 イギリス、スペイン、フランス、イタリアあたりは、小さい頃に連れて行ってもらいました。ドイツやオーストリアにはまだ行けてません。

岡和田 全部で何カ国くらい回ったんですか?

宮内 なんだかんだで30カ国くらいですか。

岡和田 こうした経験が、海外の紛争地帯を舞台にした「ヨハネスブルグの天使たち」など《DX-9》シリーズに活かされている、というわけですね。


■実は長かった修行時代

岡和田 そうそう、宮内さんの重要な経歴として「麻雀のプロテストを受けて補欠合格するも、順番が来なかった」という有名な一節がありますけれども――麻雀については後で詳しくお聞きするといたしまして(笑)――第1回創元SF短編賞山田正紀賞を受賞される前は、他の賞に応募なさっていたりはしたのでしょうか?

宮内 新人賞には20歳くらいから応募しています。創元推理短編賞(現・ミステリーズ!新人賞)へ主にアタックしていました。
 でも、一次を通るようになったのが、2010年だったんです。身体を壊してプログラマーの仕事をやめて、その後に受賞の知らせが来た感じです。

岡和田 ……んっ、つまり「盤上の夜」のことじゃないですか(笑)。Twitterで、日の目を見ない時期が長かったと呟かれていましたが、そうすると、12年以上も、苦労されたというか修行期間があったのですね。

宮内 こんなのを苦労と呼んでは世間に申し訳が立たないのですが、主観的には、やっぱり長い期間です。当然、作品もおかしくなってくる。迷いながらぐるっと一周して、ようやく通してもらったという感じです。

岡和田 鮎川哲也賞など、長編の賞には応募されなかったのでしょうか?

宮内 松本清張賞には送ったことがあります。

岡和田 それはぜひ改稿して、世に出していただきたいものです。概略など、お話いただける落選作はありますか?

宮内 お見せできるものではない気がします。応募者によると思うのですが、私の場合、相手がマスではなく選考委員個人であるために、とにかくアピール優先で収拾がつかなくなっていった。ですから、いよいよマスを相手に勝負をするとなったとき、「これでようやく小説が書ける!」と嬉しく思ったのを覚えています。

岡和田 もう少し具体的に教えていただくことはできますか?

宮内 「日常の謎」が「大量テロ事件」に変わり、「伝奇ロマン」を経て「社会派ミステリ」に至るまでを、400字詰め原稿用紙50枚に盛り込んだものですとか。

岡和田 そりゃ面白そう。ミステリのサブジャンルが網羅されているから批評的には熱いですね(笑)。

宮内 投稿ばかりで手応えがないものですから、とにかく変てこな計算ばかりしてしまう。新人賞に「盤上の夜」を送ったころ、「ホテルアースポート」というミステリ短編を別の賞に送ったのですが、これは、名前から連想されるように宇宙エレベーターの話です。なぜそうしたかと言いますと、万が一ダブル受賞となった時に、その後の活動においてあまりイメージがブレないようにと。馬鹿でしょう(笑)。

岡和田 それもまた、用意周到といいますか(笑)。

宮内 幸い、特別賞ながら「盤上の夜」を拾ってもらえたので、いまのうちに書けるだけ書いてしまおうと。




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