Science Fiction

2011.05.27

北原尚彦「実はSF含有率が高かった「原爆児童文学集」(前篇)」――SF奇書天外REACT【第12回】(1/2)[2011年6月]

◆SF古書と生きる。ひそかに人気の古書探求コラム
正直に言おう。SFが何冊も入っている児童文学叢書なのに、ごく最近までわたしも見落としていたものがある。

北原尚彦 naohiko KITAHARA

 

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 近年、ジュヴナイルSFの古書価の高騰が著しい。もともと子どもの本というものは乱暴に扱われ、持ち主が成長すると捨てられてしまうことが多い。だからこそ、残っていて価値の高いものはレアになるわけだが、最近の児童書の高騰ぶりは特にSFとミステリのジャンルにおいて甚だしいのだ。数千円は当たり前、時によっては万単位の値がつくものもある。
 SFの場合、講談社「少年少女世界科学冒険全集」や岩崎書店「SF少年文庫」、偕成社「SF名作シリーズ」などのジュヴナイルSF叢書は、叢書そのものがコレクターズ・アイテムと化している(よって、揃いで出るとウン十万円だったり)。
 
紀元55年のユートピア
『紀元55年のユートピア』
 だが一方で、オールジャンル的な児童文学全集や、SFではないテーマの児童文学叢書に入っているSFは、見落とされている場合がある(必ずしも、ではないが)。
 正直に言おう。SFが何冊も入っている児童文学叢書なのに、ごく最近までわたしも見落としていたものがある。それが今回ご紹介する「原爆児童文学集」である。
 気が付いた(というか、ちゃんと認識した)のは、ほんとうについ最近。第8回で取り上げた田中中尉『血の叫び』(つはもの発行所/昭和八年)を見つけたのと同じ、二〇一〇年十二月末の新宿京王百貨店での歳末古書市のことだ。
 児童書ばかりの棚があったので、何かないかと眺めていたら、梅原賢二 『紀元55年のユートピア』(汐文社/一九八五年)という本が目に留まった。ちょっと気になるタイトルではないか。「紀元55年」って、宇宙世紀みたいなもの? 西暦だとずいぶんと昔の話になってしまうし。でも「ユートピア」って便利な言葉だから、そう銘打たれていてもSFとは限らないんだよなあ……と思いつつも、やはり手に取って確認した。ぱらぱらっと読んでみると、どうやらSFらしい。「原爆児童文学集」の一冊で、同じ叢書の本が何冊か並んでいたが、SFらしきタイトルはこれのみだった。さほど高いわけでもなかったので、買っておくことに決めた。第8回の文中で「とりあえず、(見つけた〈つはもの叢書〉を)全部掴んだまま残りの会場を見て回ることにする。児童書のSFを一冊追加。」とあったのは、本書のことだったのであります。
 帰宅後に、さっそく確認。カバー袖の「原爆児童文学集」ラインナップをつらつら眺めてみると、他にもSFらしきタイトルが何冊かある。北川幸比古『新発見 平和センタクキ』など、タイトルも作者も怪しい。
 それらは見かけた覚えはないけれども、もしかしたら見逃したのかも、と気になって仕方がない。ちょうど翌日も新宿へ出る用事があったので、またしても京王百貨店の古書市へ行くことに。
 「原爆児童文学集」のあった棚はどこだったかいな……と探す。もしも全部売れてしまっていたらアウトだが。会場が広いために時間はかかったが、無事に見つけることができた。とはいえ、やはり全巻はなく、SFらしいとめぼしをつけたタイトルは見当たらない。
 
地下別荘(シェルター)の十日間
『地下別荘(シェルター)の
十日間』
 しかし会場内を探し回ったおかげで、少し離れた別の店の棚にも、「原爆児童文学集」が何冊かあることに気が付いた。前日には、完全に見落としていたものだ。その中で、桜井信夫『地下別荘(シェルター)の十日間』という本が目に付いた。これまたSFの可能性大なタイトルではないか。とはいえ、核シェルターは現実に存在するものだから、ただシェルターを作りましたとかいうだけの話だと、SFにならない。果たして……と中身を確認すると、実際にシェルターの中で生活している記述がある。いやいや、シェルターに入ったけど空騒ぎでした、というパターンもあり得るぞ……と更に確認すると、どうやら本当に核戦争が起こっている模様。うむ、これなら確かにSFだ、と購入決定。
 余談だが、ついでに会場全体をもう一度チェックしたところ、足元の箱の中に学年誌付録文庫のSFを発見。おお、初日は混雑していたから、ここまで気が付かなかった。もう一回来て、やっぱり良かった。
 さて。手に入れた二冊と、古本市会場にあった何冊かはチェックしたものの、やはり「原爆児童文学集」の全体像を把握しないことには始まらない。調べたところ、近所の図書館の書庫に揃っていることが判明。
 そこで時間のある際に図書館を訪ね、受付に頼んで全巻を出してきてもらった。全部で三十冊と結構な量なので、カート式の移動棚(図書館で返却済みの本などが置かれているやつ)に乗せられて、がらがらと運ばれてきた。ありがたいことに、その移動棚ごと貸してくれるという。というわけで、移動棚を自分で運んで、読書席へ。こんなの、初めてですよ。
 で、片っ端から内容や奥付を確認していく。二十巻までが第一期で、三十巻までの十冊が第二期。第一巻から二十四巻までが一九八五年刊行、二十五巻以降が一九八六年刊行で、「ヒロシマ・ナガサキ 被爆40年特別企画」と銘打たれている。
 結論から言うと、第一期二十冊のうち第十巻から十四巻までの五冊がSFなのだ。巻数が連続していることからしても、「ここの五冊はSFの部」と決めてあったのだろう。そして第二期の第二十七巻もSF。合計して三十冊中、六冊がSF。なかなかのSF含有率ではないか。
 
新発見 平和センタクキ
『新発見
平和センタクキ』
 その日から、児童書専門古書店やネット上の古書店で、未入手のSFの巻を探す日々が続いた。正直に告白すると、最終的に手に入れられず、借りた物もあります。
 ではいよいよ、順番に内容を紹介していくことにしよう。第十巻は『新発見 平和センタクキ』(北川幸比古)。主人公のたけるくん(小学三年生)は、「どっちがいい?」などと聞かれても、なかなか決断できない性格。そんな彼の前に「センタクキ」なる謎の金属箱が現われる。いや、正確には彼の前ではなくて「後ろ」だ。気が付くと、たけるくんの背後に浮かんでついてきたのだから。
 センタクキの外観は、オーディオのチューナーか小型のコンピューターみたいだった。そしてセンタクキは、たけるくんの代わりに決断を下してくれるという。つまり「洗濯機」ではなく「選択機」だったのだ。……ダジャレですか。
 時代は現代かと思って読んでいると、「まだ二十世紀のころ、日本が昭和という年号をつかっていたころ」が、昔の出来事として語られる。おっと、未来の話だったのか! さらに後の記述では、ヒロシマ・ナガサキの被爆から四十年(=一九八五年)に核兵器が廃絶され、それから更に四十年がたったという。とすると二〇二五年なのか。少なくとも前半は、背景に未来感をほとんど感じられないのだけれど。
 表紙こそ星や宇宙ロケットを背景にして宇宙遊泳をしている少年少女とセンタクキが描かれているが、作中にこのようなシーンは全くない。
 センタクキはたけるくんだけでなく、友人や家族、そのまた友人などに代わって“選択”をしてくれるようになった。人々が、どんどんたけるくんの家に集まってきた。
 しかし、ある人物が、宇宙生物の侵略を抑止するためには再び核兵器を持つべきか、と質問したのに対して、センタクキが核兵器禁止のままだと地球は侵略されることになる、と回答したことから、騒ぎが大きくなる。センタクキに対する調査が行われるが、X線でも超音波でも、中身を確認することはできなかった。やがてセンタクキの目的と(推測ですが)正体が明らかになるのだが……次のパートでネタバレしますので、ご注意。
【以下ネタバレ】
 センタクキの中から出てきたのは機械ではなく、脳みそのような灰色のかたまりだった。以前、核兵器で平和が守れると信じた核兵器好きの政治家が脳だけで生きていける手術を受け、頭蓋骨を取り除いて普通の脳より大きく強力になる処置を受けていた。それこそがセンタクキの正体だった(らしい)のだ。そしてたけるくんを利用して、世界全体を核再武装に誘導しようとしていたのだった。
 ――脳みそだけになって生きている上に、四角い箱に入って浮んで移動するので、『キャプテン・フューチャー』のサイモン・ライト博士みたいな感じだったのである。
 それだけの能力を持っているなら、たけるくんを利用するなんて回りくどいことをせずとも核兵器を再推進させることができたと思うが、まあ、それを言ったらこの物語自体が成立しなくなるので、よしとしましょう。

【ネタバレ終了】
 というわけで、未来感の薄さなど惜しい点はあるものの、SFとしての設定をきちんと生かした作品となっている。
 

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