Science Fiction

2018.09.26

春夏夏夏夏夏夏夏秋とうっ! 石川宗生の旅日記 第5回(1/2)


第1回 パスポートナンバーTK49494949の叫び
第2回 落下の山村
第3回 笑いを灯す人
第4回 摂氏四五・一度の異邦人


第5回 世界の終わりとアンダーグラウンド・モスク
2017年7月5日
ウズベキスタン・サマルカンド―ヒヴァ―ヌクス
 


1.
 夜行列車でウズベキスタン・ヌクスからカザフスタン・ベイナウに抜けたあと、乗り合いタクシーでカスピ海沿岸の都市アクタウを目指した。
 窓外に覗くのは、雲ひとつない澄み切った青天。黄土色と緑のまだら模様の平野。高い樹木はなく、地平の果てまで見渡せる。そちこちでラクダが放牧され、まばらに生えた草を食んでいる。
 二、三時間経つと砂岩地帯に入り、なだらかな丘陵が見えてきた。点々と続く丘と丘のあいだには塩湖らしき白みがかった大地が遠望され、ごま粒大のちいさな人影がいくつか揺らめいている。
 約六時間後には、蜃気楼めいたおぼろな青を湛えたカスピ海が、そして灰色がかった街並みがはるか遠方に浮かび上がってきた。
 マンギスタウ州の州都アクタウ。そこはぼくが勝手に呼んでいる「エアーズロック型都市」であった。とどのつまり広大な荒野のあと、とつじょとして切り立った岩山のように街がはじまるのだ。街なかはミクロライオンという区画で分けられており、郊外に向かうつれミクロライオンの番号も一六、一七、一八と増えてゆく。かつてはウラニウムや石油といった天然資源掘削の労働者の町として隆盛したそうで、今でも古びをまとった労働者用のアパートが散在している。
 インターネットであらかじめ目星をつけておいたホステルはエアーズロックでたとえるところの崖っぷち、ミクロライオンの番号でいうとどんじりに近い三二に位置していた。新しい地区ゆえか、タクシーの運転手はホステルの位置が分からず、あたりを行ったり来たりし続ける。
 そしてついには、無情の通達がなされた。
「ここで降りて、自分で探してくれ」
 えー、もうちょっと頑張ってみてよぉ、ぶーぶーぶーと反駁してみるも、タクシーには先を急ぐ人たちも同乗しているのでやむなく断念。
 しぶしぶ降りた先は、小さな商店と建設中の高層マンションが点在するだけのひと気ない大通りだった。五〇度近かったウズベキスタンと比べるとだいぶ暑さは和らいだが、砂まじりの風が猛烈な勢いで吹き荒れており、目を開けていられない。じゃりっとした気持ち悪い感触が口いっぱいに広がり、さきのタクシー運転手に対するぶーぶーぶーも瞬く間に燃え広がってゆく。
 数十分かけて、全身砂まみれになりながら商店の店主や地元民に尋ねまわったすえ、ようやくホステルを発見した。道路工事現場にぐるりを囲まれた一角で、遠目ではホステルと分からないようなプレハブの倉庫みたいな外観をしている。
 入り口のガラス扉を開けると、真っ先にペンキのにおいが鼻についた。長方形の大広間の四方には部屋番号のプレートが掛かった扉が等間隔に並んでおり、片隅にはソファ、テレビ、給湯設備などが申し訳程度に置かれているものの、総じて内観も倉庫のように殺風景で、がらんとしたスペースばかりが目につく。おまけに電気もついていない。
「誰かいませんかぁ?」
 大声で叫ぶと、角部屋の扉が開き、太っちょの若者が出てきた。「よぉ、調子はどうだ、兄弟?」といきなり野太い声で話しかけてくる。その気さくな物言いに若干戸惑いつつも部屋が空いているか、見せてもらえるか尋ねてみると、彼はすかさずにっと笑いかけてくる。「もちろんだ、兄弟、ついてこいよ」
 案内された一〇六室は、ダブルベッド、クローゼット、扇風機、書きもの机の備わった清潔な部屋だった。シャワーとトイレは共同で、値段は一泊約六〇〇円だという。
「ここのホステルはまだ出来て間もないんだ」と若者はすこし誇らしげに言う。「あとすこししたらエアコンも取り付ける予定だし、これからもっと良くなっていくはずだぜ、兄弟」
 たしかに、家具調度はニスでつや光りしているし、床にも壁にもかすり傷ひとつついていない。これで六〇〇円なのだから文句のつけようがない。
 だがこのとき最も注意を引きつけられたのは、そんな素晴らしい部屋を説明してくれる若者のほうだった。名をゼンといい、ほぼ必ず語尾に「Bro」をつけてくる。「Dude」や「Man」はともかく、「Bro」を語尾につける人には個人的にあまり会ったことがなかったので、なんだか銀幕のギャングスターとでも話しているような気になってくる。
「長旅で疲れてるんだろ、兄弟? パスポートはあとでいいから、いまはゆっくり休んどきな、兄弟」
 そう言って右ほほにえくぼをつくるゼン。
 キャッチコピーをつけるなら〈優しい陽気なギャングスター〉。

 部屋の扉を閉めて、バックパックをおろした。今になって疲労感がこみ上げてきて、ベッドにばたりと倒れこむ。シーツがひんやりとしていて気持ちいい。久しぶりのシングル・ルームだからか自然と気分も高揚する。
 そして、静かだ。
 耳に届くのは、うつろに響きわたる工事の金属音のみ。窓外では砂塵のカーテン越しにうっすら灰色の街並みが広がり、何人もの労働者たちが建設中のマンションの足場で作業している。このミクロライオンは新しい開発地区のはずなのに、わびしさばかりが立ちこめている。さながら世界の終わりのようだ。
 そもそもアクタウは長期旅行者とそこまで縁がない。世界一周旅行者や中央アジアあたりを周遊する旅行者の多くは、ウズベキスタンのあと、砂漠の真ん中で燃えさかる天然ガス・クレーターを見るためにトルクメニスタンへ抜け、そこからイラン、ないしはカスピ海をわたってアゼルバイジャンへ向かう。逆もまたしかりだ。
 ぼくもガス・クレーターには長年恋い焦がれていたが、トルクメニスタン・ビザが高額なうえ取得にも時間がかかるので断念した。さらに最近は日本からのグループ・ツアーもあるぐらいメジャーになっているようで、あまのじゃくなぼくはクレーターへの憧憬もなんとはなしに失ってしまった。
 それよりもいま興味があるのは、地下モスクだ。
 旅行ガイドブック『ロンリープラネット』によると、ここマンギスタウ州西部に広がる砂漠にはカザフスタンのイスラム教徒のあいだで聖地とうたわれている地下モスクが存在し、日々、何百人もの巡礼者が訪れているのだという。外国人も来訪可能で、地下モスクにある巡礼宿ではほかの巡礼者とともに無料で寝泊まりもできるのだ。
 こんなのときめかずにはいられない!
 と、興奮していたら眠気がすっかり吹き飛んでしまったので、ゼンのいるオフィスに行って、地下モスクへの行き方を尋ねてみた。だが彼は「おれは行ったことないし、よく分からないな」と首を振る。「もうすこししたらオーナーが来るから、彼に聞いてみればいいぜ、兄弟」
 なんでもゼンはオーナーの甥っ子らしく、ここの二階のデザイン事務所でデザイナーとして働くかたわら、ホステルの手伝いをしているのだという。
「地下モスクもいいけど、アクタウに来たからにはやっぱりカスピ海に行くべきだぜ、兄弟。いまの季節なら海水浴だってできるしな、兄弟。それにこの街の中心にはフィッシュバーっていうおいしい魚料理のレストランもあるんだ。カスピ海で獲れた魚だぜ、兄弟。そんなに高くないから、一度は食べてみるべきだぜ、兄弟……」
 と、地下モスクそっちのけでアクタウのことを延々とすすめてくるゼン。口調も態度も初対面とは思えないほど親しげだし、こうも「兄弟、兄弟」と言われ続けると、本当に兄弟になったような親近感さえ芽生えてくる。
 しばらくのち、チェスのポーンみたいな平坦な顔と体つきをした五〇代ぐらいの男性がやってきた。
「ここのオーナーだ」とゼンがえくぼをつくりながら言う。さらにオーナーは英語が達者ではないらしく、通訳までしてくれた。「地下モスクはバスじゃ行けないらしいぜ、兄弟。だけど乗り合いの巡礼タクシーがあるらしい。だいたい六時間ぐらいの道のりで、朝の七時ぐらいにここにやって来るんだってよ、兄弟。道中はふたつの聖地に立ち寄って、最後にベケット・アタっていう巡礼宿のあるメインの聖地に行くみたいだな、兄弟」
「巡礼タクシーは毎日あるんですね?」
「あぁ、ただし、オーナーが用意できるのは片道だけだ。帰りのタクシーはベケット・アタで手配するしかないぜ、兄弟」
「ベケット・アタだと、簡単にほかの乗り合いタクシーを捕まえられるんですか?」
「なんの問題もないさ、兄弟。あそこにはいつもたくさんタクシーがいるからな、朝飯前だよ、兄弟」
 一抹の不安が。
 海外では大丈夫だと言われて、大丈夫だったためしがあまりない。しかも途中からはオーナーの通訳ではなく、ゼンがゼン自身の言葉で答えている感すらあった。
「……まぁ、分かりました」しばし考えたあとでぼく。「今日のところはゆっくりして、明日はカスピ海でも見に行くことにします。なので、巡礼タクシーは明後日の早朝でお願いしますよ、兄弟」

2.
 夜のとばりが降りたころ、ほかの宿泊客が帰ってきたのか、薄い壁越しに物音が聞こえはじめた。入り口の外にある喫煙所に行くとかならず誰かしらがいて、片言の英語で言葉を交わすことになる。どうやらこのホステルは仕事関係で長期滞在しているカザフスタン人が多いらしく、ぼくのような外国人旅行者はほぼ皆無だった。
 そんな宿泊客のひとりに、カザフスタン空軍のパイロットがいた。彼は数年前に、アフガニスタンからタジキスタンに向かって侵攻しようとしていたタリバン勢力を、タジキスタン軍とロシア軍との合同で空爆し、撃退したそうだ。ふだんはアクタウ郊外の軍事施設に勤務しており、この日もカーキ色の軍服に身を包んでいた。しかも本日付で少佐に昇進したらしく、ほこらしげに勲章を見せながら「これからクラブでお祝いパーティーするんだけど、良かったらどうだ?」と誘ってくる。
 面白そうではあったし、一〇年前だったら多少無茶をしてでも乗っていたところだけど、今日は疲れていたので丁重に断った。自分も歳を取ったんだな、と妙なところで実感。
 すこし時間をおいてふたたび喫煙所に行くと、今度はセルヒオという、がっしりとした体格のロシア系カザフスタン人に出くわした。ふだんはカザフスタン・アルマトイで家族と暮らしているが、現在はエネルギー関係の仕事の都合でこのホステルに投宿しているのだという。英語があまり話せないためか、彼は初っ端からスマホで「マイ・ワイフだ」と奥さんの写真を見せてきた。
 空前絶後の美女。
 ベラルーシ人で、光沢美しい黒髪に彫刻のように整った目鼻立ち、誰かに似ている……。そう、「ペネロペ・クルス!」
 するとセルヒオは気を良くしたのか、がははと豪快に笑い、「ドリンク、ドリンク!」と足下に置いてあったビール瓶を差し出してきた。そしてそのまま息子との雪かきの動画やらケーキ職人である奥さんの作ったケーキの写真やらを見ながら、おのずと宴会がはじまる。
「マイフレンド、まだ飲み足りないな」
 ビールをぜんぶ飲みほしたあとも、ふたりして商店に赴き、大量のビールとつまみを買った。ぼくもお金を出そうとすると、セルヒオが「マイフレンド」と首を振ってくる。
「ここはおれに払わせてくれ。おまえはおれの大事なゲストなんだから」
 そんなこと言われた以上は、もうとことん飲むしかない。さっき誘ってくれたパイロットに若干の申し訳なさを覚えつつも腹をくくり、飲んで、飲んで、飲み明かした。
 世界の終わりみたいなところなのに、一日がなかなか終わらない。

 明くる日の午後、頭のなかいっぱいに銅鑼の音が響きわたるなか、路線バスに乗ってアクタウ市街地へ向かった。三〇分ほどで適当に飛び降り、カスピ海に出てみる。
 第一印象、でかい。
 それもまあそのはず、面積は約三七万平方キロメートルで、左右に果てなく広がる水平線からは内陸の湖という印象はさらさら受けない。カスピ海という名にたがわず、波もある。砂浜は少なく、ごつごつとした岩礁が続いている。波打ち際では水着すがたの男女が手をつないで散歩し、母と子が水遊びをしている。
 ちなみにカスピ海は、カザフスタン、トルクメニスタン、イラン、ロシア、アゼルバイジャンの五カ国に面している。湖とするか海とするかで領海の線引きの仕方が変わってくるそうで、それはつまりカスピ海に埋蔵する豊富な天然資源の分配にも影響するため、複数国が「海」を主張しているのだという。
 そういった地理的な意味合いだと、アクタウが「世界」の終わりというのは正しいかもしれない。ここは中央アジアのほぼ最西端であり、カスピ海のはるか先にはぼくの次なる目的地、コーカサス地方が待っているのだ。
 期待に胸をはずませながら海辺の遊歩道をるんるんスキップで散歩。
 一角にはバーやレストランやホテルが連なっており、旧ソ連時代の名残か飾り気のない無機質な建物もあれば、近代風のオープンカフェがあったりと、新旧の息吹きが入り交じっている。コンクリート壁の一角やマンションの側面には色鮮やかなグラフィティが描かれ、波止場の欄干には恋人たちの名前が書かれた南京錠がたくさん掛けられていた。
 海の近くには第二次世界大戦の記念碑や詩人タラス・シェフチェンコ像があった。彼はこの街出身らしく、アクタウは九二年までシェフチェンコという名で呼ばれていたらしい。
 最後に、義兄弟ことゼンに教えてもらったフィッシュ・バーというシーフード・レストランへ足を運んだ。小規模ショッピングモールに併設された西洋風の瀟洒な内観で、観光客用の英語メニューまで用意されていた。ゆえに、一皿一〇〇〇円強と値段もやや張る。  なお、長期旅行者は倹約が至上命題であるため毎食一〇〇〇円もかけておられず、タイなら屋台のカオマンガイやパッタイ、インドなら安食堂の油っこいターリー、メキシコなら軽食屋のタコスと、地元民にまざって二、三〇〇円程度のごはんを食べるのが定石である。ことに西欧や北欧などは日本と同等かそれ以上に物価が高いため、レストランに毎日通うこともかなわず、往々にしてホステルのキッチンで自炊するはめになる。
 というわけで、一〇〇〇円の重みをかみしめながらカスピ海の魚のグリルをぱくり。うまい……! 魚料理自体久しぶりだったし、中央アジアの料理があまり口に合わなかったので感涙にむせびそうになる。

【写真1】カスピ海のお魚料理.jpg  良い映画でも観終わったあとのような余韻に浸りながらホステルに帰還。夜半、部屋でくつろいでいると、とつじょ扉が激しくたたかれた。
「マイフレンド、サプライズだ!」扉越しでもはっきりと分かるセルヒオの声。「出かける支度をして、外に来てくれ。今すぐにだ!」
 なにがなんやら分からないがあわててホステルの外に出てみると、一台のセダンが停まっていた。「タクシーをハイヤーしたんだ」とセルヒオが顔一面に真昼のような笑みを爆発させる。「さぁ、アクタウ・ツアーのはじまりだ!」
 たじろぐぼくをよそに、セルヒオはお姫さまでもエスコートするみたいにタクシーの扉を開け、車内に導いてくれた。さらには瓶ビールまでたっぷり用意しており、「ドリンク、ドリンク」と差し出してくる。このテンションからして、ついさっきアクタウ市街をまわってきたとはとても言えない。
 タクシーは郊外をぐるりと走ったあと、高級マンションの建ち並ぶ一角に入った。
「マイフレンド、ここは金持ちの住むところだ」とセルヒオが窓外を指さす。「この国は汚職だらけだからな、みんな汚職のお金で建てたやつだ。お金が汚いほど、きれいな建物ができあがるんだよ」
 がっはっはと豪快な笑い。
 そんなブラック・ジョークのあとは海辺でタクシーを降り、真っ暗なカスピ海を眺望した。はるか彼方の海上にはほの白い光がたゆたっている。
「あれは貨物船だ」と腰に両手をあてながらセルヒオ。「ロシアとかアゼルバイジャンと行き来してるんだ。もっとも、あっちからの積み荷はたくさんあっても、こっちからの積み荷は少ないけどな」
 がっはっは。
 なぞなぞみたいでなにが面白いのかよく分からなかったが、続いて、きらびやかな海辺のプロナードへ。
 そこらじゅう色とりどりの電飾でかざられており、「I?Aktau」のシンボルまであった。静寂だった昼間とは打ってかわり、レストランやクラブから陽気な音楽が漏れ聞こえ、恋人や家族連れでにぎわっている。暑い国の人々は日中は家で休み、夜半に出かけることが多いが、アクタウもおなじらしい。
 波打ち際で、なにも見えないカスピ海を背景にセルヒオと一緒に記念撮影。「ワイフにさっそく送るよ」とにっこにこの彼。
 それから本日二度目のシェフチェンコ像を訪れ、ぼくはさも初めて目にしたかのように「おぉっ」とうなり声をあげてみせる。締めくくりにはライトアップされた観覧車をうっとり眺め、軽食屋でサンドイッチまでごちそうになった。
 ペネロペ・クルス級の妻がいるというのに、もしやぼくを狙っているのではないか。そう疑ってしまうほど至れり尽くせりのサプライズ。
「セルヒオ、たしかにあなたならペネロペ・クルスだって落とせるよ」
 ツアー終了後、ぼくがそう言うと、セルヒオは今宵最高潮のテンションで哄笑する。
 がーはっはっは!



(2018年9月26日)



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